後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「年間第五主日のカトリック関口教会の動画配信ミサにあずかりました」

2021年02月07日 | 写真
今日のカトリック関口教会のミサの写真を3枚お送りいたします。
ミサの司式はホルヘ神父さまでした。神父さまは関口教会の助任司祭です。
写真を3枚にはいずれにもホルヘ神父さまが写っています。
ミサの動画は、https://www.youtube.com/watch?v=IiLs-Sao-cs に出ています。





ホルヘより、自己紹介申し上げます。2020年06月19日

関口教会の皆様、わたしは東京教区の助祭、ホルヘ・マヌエル・マシアス・ラミレス(Jorge Manuel Macias Ramires)と申します。メキシコ合衆国のハリスコ州のグアダラハラ出身です。この度、新型コロナウイルス緊急事態宣言の最中、小平教会から関口教会への異動となりました。まだお会いできていない方も大勢いらっしゃいますが、コロナが終息したあとに、皆様と共にマリア大聖堂でミサに与ることを楽しみにしています。

私の名前について簡単に説明いたします。メキシコでは通例、名前と洗礼名は一緒なのですが、わたしは2つ(ホルヘとマヌエル)付けられました。メキシコ人は皆、名字を2つ並べます。最初の名字(マシアス)は父親の名字、二番目の名字(ラミレス)は母親のものです。名前が長いのでホルヘとだけ覚えてもらえれば結構です。兄弟8人の中でわたしだけが司祭の道を選びました。わたしが8歳の時、自分の教会の主任司祭のような神父に憧れて、神学院に入りました。

わたしはこれまで日本の色々な教会で司牧させて頂きましたが、こんなに大きな教会は初めてです。今わたしは関口教会共同体に派遣されることに喜びと希望を覚えています。・・・以下省略

「銀座の街頭で追悼イベントをする人々の風景」

2021年02月07日 | 日記・エッセイ・コラム
今日は日曜日です。日曜日には宗教的な記事や写真を掲載することにしています。
そこでまず銀座の街頭で望月崇英さんという人の追悼イベントをする人々の風景写真を2枚お送りします。

1番目の写真は望月崇英さんの友人らが手を合わせて冥福を祈っている光景です。

2番目の写真は望月崇英さんの冥福を祈り、色紙に感謝の気持ちを書く女性です
この2枚の写真の出典は2021年2月5日の東京新聞です。この追悼イベントの説明は次の東京新聞の記事にあります。
『托鉢の僧・崇英さん 惜別の花束撤去 銀座・和光本館前で友人ら「気持ち引き継ぐ」』 
 1月18日に新型コロナウイルス感染症のため66歳で亡くなった僧侶の望月崇英さんをしのび、望月さんが托鉢たくはつをしていた東京の銀座の和光本館前に手向けられた花束などが、望月さんの誕生日に当たる2月5日夜、友人たちに引き取られた。(梅野光春)
和光本館前で托鉢を続け1月に亡くなった僧侶の望月崇英さんの友人らが5日、手向けられた花束の前で手を合わせて冥福を祈った。
 望月さんは2010年8月から、平日の正午~午後4時に和光本館前で托鉢を続け、身の上相談にも乗った。11年の東日本大震災後は東北地方を訪ねて犠牲者を弔い、亡くなる直前まで何度も足を運んだ。知人からは、米国滞在中に付けられたという「アントニオ」の愛称で親しまれた。
 死去後、和光本館前で花束を供え、手を合わせる人の姿が多く見られた。ボランティアで望月さんと被災地を訪ねた白井糺ただしさん(73)=世田谷区=が「彼はきれい好きで、人に迷惑をかけるのを嫌った」と花束を整理してきたが、誕生日を節目に片付けようと、知人5人と集まった。
 午後7時、花束の脇に立てた約30本のろうそくに灯をともし、「ハッピーバースデーアントニオ」と小さな声で合唱しながら別れを惜しんだ。白井さんは「彼を知る人が多いから、花束がたくさん供えられたのだろう。彼の気持ちを継ぎ、また被災地を巡りたい」と話した。(終わり)

以上の記事を読んで私はいつも賑わっている銀座の街角にこんな光景もあることに感銘を受けました。華やかな銀座にこんな宗教的な光景があるのです。何故か心が静かになります。
この追悼イベントのことを私に教えてくれたのは崇英さんの在米中の友人の矢花陽子さんでした。私の以前の崇英さんの記事に対するコメントとして教えてくれたのです。それには次のような文章もついていました。崇英さんは在米時代はアントニーさんと呼ばれていたそうです。

・・・アントニーさんは生前、目標は「蒼い空になること」と申しておりました。
まるで彼のキャラクターそのものです。上を見上げればアントニーさんいつでもそこにいるような気がします。あのお坊さんは出世をして、今はもっと広い場所でお経を唱えていると信じています。
コロナで心細くても友人たちと身を寄せ合えない、なんとも辛い時期ですが、それでも希望を信じて生きてゆきます。アントニーさんを忘れないで。・・・

この文章で私は判りました。崇英さんは生まれつき非常に優しい性格だったのです。高野山で阿闍梨の修行をして僧になったから優しくなったのではないのです。優しかったから阿闍梨の修行をしたのです。

今日ご紹介した銀座の街頭である人の追悼イベントをする人々の風景はすがすがしい光景です。人間の美しい愛の風景です。こんな風景も銀座にあるのです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「今日はカトリック関口教会の動画配信ミサにあずかります」

2021年02月07日 | 日記
コロナが怖いので今週も教会のミサには出ません。その代わりカトリック関口教会の動画配信ミサにあずかります。

今日は年間第五主日で、10時から始まるミサの動画配信ミサは、カトリック関口教会の、https://www.youtube.com/watch?v=-xaPWwBUhBY とイグナチオ教会の英語のミサは、https://www.ignatius.gr.jp/news/streaming.html にあります。

今日教会に行かない方々はこの動画配信のミサにご参加なられるのも良いと存じます。

カトリック聖イグナチオ教会は上智大学の構内にありますが大学とは別組織でイエズス会が直接に管理運営しています。イグナチオ教会の信徒数は2009年(平成21年)に14,382人で信徒数では日本最大規模の教会です。
イグナチオ教会はイエズス会の創始者で初代総長のイグナチオ・ロペス・デ・ロヨラの名前にちなむ名称です。

イエズス会は1534年にイグナチオ・デ・ロヨラやフランシスコ・ザビエルらによって創設されたのです。パリのモンマルトルの礼拝堂で「清貧と貞節、エルサレムへの巡礼」の誓いが立てたのがその始まりでした。

そこで今日はパリのモンマルトルの現在の風景写真を3枚お送りいたします。ロヨラやザビエルらが誓いを立てた礼拝堂は無くなってしまい、現在はサクレ・クール寺院が立っています。写真の出典は、https://www.travel.co.jp/guide/article/10394/ です。