後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「今日の日記、武蔵国の国分寺の写真を撮りに行きました」

2021年02月11日 | 日記
今日は晴天で少し暖かい日でした。午後に武蔵国の国分寺跡と現在の国分寺の写真を撮りに行きました。
国分寺がこの場所に天平13年(741年)に出来たのは3Kmくらい南に武蔵国の国衙があったからです。現在の府中市の大國魂神社の隣りに国衙の建物があったのです。
写真を撮りながら悠久の時の流れを考えていました。

1番目の写真は国分寺跡の礎石のある風景です。

2番目の写真は現在の国分寺の楼門です。現在の武蔵国分寺は真言宗豊山派の寺院です。武蔵国国分寺の後継寺院にあたります。

3番目の写真は現在の国分寺です。万葉植物園が境内にあります。冬枯れで花も葉も枯れていました。
1333年に分倍河原の合戦で焼失した国分寺は江戸時代に再建されました。その現在の国分寺は昔の国分寺跡の北に約300mの所にあります。

奈良時代の中頃、聖武天皇は諸国に国分寺の建立を命じました。武蔵国では、都と国府(現府中市内)を結ぶ古代官道「東山道武蔵路」沿いの東に僧寺、西に尼寺が計画的に配置されました。
武蔵国分寺跡は、全国の国分寺跡と比べても規模が大きく、その歴史的重要性はつとに認められており、大正11年に国指定史跡に指定されています。

4番目の写真は国分寺跡から出土した奈良時代の瓦です。
武蔵国分寺には壮大でした。山門、楼門、金堂、講堂、七重塔、庫裏、僧堂、鐘楼、などなどが東西1,500m、南北1,000mの範囲に華麗に並んでいたのです。

5番目の写真は武蔵国分寺僧寺イメージ図です。出典は、https://www.musashikokubunji.jp/history です。
当時はこの場所には東山道の武蔵路が南北に走り、近くには古墳時代からこの地を治めていた国府、現在の府中市がありました。
国分寺および国分尼寺の跡地の跡地の間を府中街道とJR武蔵野線が横切っています。

もともとの国分寺は鎌倉時代末期の新田義貞と鎌倉幕府側の合戦で焼失しました。その後の1335年に、新田義貞は国分寺跡に小さな薬師堂を建てました。その薬師堂は何度か修理されて現在も残っています。現在の武蔵国分寺の裏山に淋しく立っています。

そんな歴史を想いながら国分寺跡の公園でのんびりして来ました。

「美しく咲き誇る梅も蝋梅もみな外国から来たのです」

2021年02月11日 | 日記・エッセイ・コラム
今日は日本で美しく咲いてる花々はほとんど外国からやって来たという話を書いてみたいと思います。もっとも何種類かの花はもともと日本に自生していた日本原産の花です。その花が日本だけに咲く花なら日本の固有種といいます。日本原産の花は中国やその他の国にも咲いている花も含める言い方なのです。例えば桜はもともと日本の山に咲いている日本原産の花ですが中国やヒマラヤにも咲いているので日本固有種ではありません。山桜をいろいろ改良したのがソメイヨシノです。
さてこの季節に美しく咲いている花は梅と蝋梅です。梅は奈良時代に中国から来ました。蝋梅も中国から室町時代にやって来たのです。

1番目の写真は梅の花です。

2番目の写真は蝋梅(ロウバイ)の花です。
その他、季節ごとに咲き誇る花々の大部分は渡来植物の花々なのです。皆様はそんなことにご興味があるでしょうか?

私は昔から歴史に興味がありました。特に地方、地方の歴史や少数民族の歴史を調べて、独りで楽しんでいます。その延長で動物や植物の進化にも興味があります。そして日本で現在見られる花々の歴史、渡来の歴史にも興味があります。
そこで渡来植物のことを調べてみました。そうしたら慶応大学の磯野直秀名誉教授が発表している「明治前園芸植物渡来年表」を見つけました。素晴らしい研究書です。
それは昔は、http://koara.lib.keio.ac.jp/.../xoonips/download.php... に出ていましたが現在は削除されています。
下のにその一部をご紹介いたしますが、是非原文をご覧下さい。植物学の素人にも簡単に理解出来る平易な文章で書いてあります。明治維新以前の渡来植物はみな中国からやって来たのです。下記は中国からの渡来植物の時代別の一覧表です。
(1)奈良、平安期
梅、菊、ボタン、シャクヤク、アサガオ、シモクレン、ケイトウ、ジュズダマだどなど。
(2)鎌倉期
ナンテン、フヨウ、ムクゲなど。
(3)室町期から安土桃山期
スイセン、ホウセンカ、ジンチョウゲ、ヒガンバナ、ロウバイ、ソテツなどなど。
(4)江戸時代(17世紀)
シュウカイドウ、サルスベリ、レンギョウ、ハクモクレン、オシロイバナ、エニシダ、ヒマワリ、などなど。
(5)江戸時代(18世紀)
キョーチクトウ、ハボタン、ニチニチソウ、など。
(6)江戸時代(19世紀)
ノボタン、ダリア、オジギソウ、コスモス、カンナ、キンギョソウ、スイートピー、パンジー、ラベンダー、チューリップ、ゼラニュームなどなど。

この研究論文の圧巻は30ページから39ページにわたる数百種の渡来園芸植物の年号別の一覧表にあります。
慶雲2年(705年)から始まって、明治1年(1968年)のそれぞれの年号に渡来した園芸植物の名前が明記してあるのです。それはこの研究者のライフワークと言っても過言ではありません。
驚くことにわれわれが普通日本古来の植物と思っていた梅も柿も皆渡来植物なのです。

日本にある花々は大部分外国からやって来たことは明らかです。しかし元々日本に自生していた花もある筈です。
それではと「日本原産の花」を検索しましたところ「お花の写真集」というホームページがありました。日本原産の花々の写真が沢山掲載されています。もっとも日本原産といっても東南アジアや中国、シベリアにもある花々です。日本だけの固有種ではありません。
その中から幾つかの写真をお送り致します。原産の花を園芸種に改良したものもあります。

3番目の写真がマンサクです。

4番目の写真がテッポウユリです。

5番目の写真がハナショウブです。

6番目の写真がフヨウです。

7番目の写真がナデシコです。

8番目の写真がアジサイです。

9番目の写真がカラスウリです。
その他にも日本原産の花々は沢山あります。
日本の固有植物については、http://d.hatena.ne.jp/naturalist2008/20110520/1305903018 をご覧下さい。キンラン、エビネ、クマガイソウ、ウラシマソウなどがあります。

上に書いたように多くの植物は海を渡って日本に来たのです。 そのことは世界中同じで、植物たちは国々の間を行ったり来たりしたのです。渡り鳥が運んだり、人間が運んだのです。
特に美しい花々はその種子や苗を人間が大切に運んだのです。運んだ人の名前は分かりません。しかし外国から運んで来た種や苗が日本の土で花を咲かせたときの感動は大きかったに違いありません。そのようなことを想像するのが楽しいのです。しかし所詮、素人の調べ方なので間違いもあると思っています。

植物や花のことを調べるのは、世の中の政治や国際紛争や経済問題を調べるよりずっと楽しいのです。そうではありませんか?

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)