日本人のキリスト教信者は仏教的な伝統社会に住んでいます。自分の信仰と日本の仏教との折り合いを考え平穏に暮らしています。そしてキリスト教と仏教の比較もします。カトリックの私も日本の仏教というものをいろいろ考えています。
そこで今日から「日本の仏教を客観的に考える」と題した連載記事を書こうと思います。
その第一回として日本の仏教は釈迦の教えと非常に違うということを書きます。
さてキリスト教ではイエス・キリストの教えがそのまま新約聖書になっています。ですから信者はイエスの教えを直接知ることが出来ます。
しかし日本の仏教では大日如来や薬師如来や観音菩薩など多数の仏を拝むのです。それでお釈迦さまの教えを簡単に知ることが難しいのです。お釈迦さまの教えを新約聖書のように明快に書いた平易な書物が無いのです。
しかしお釈迦さまの教えを解説した本がいろいろあります。それらの本を読むと日本の仏教は釈迦の教えとは非常に違うことが分るのです。
日本の大乗仏教は釈迦の教えとは非常に違うのです。大きな違いの5つの具体的な実例を以下にあげてみます。
(1)釈迦は自分が死んだら墓を作らず、遺骨は野に捨てよと言って入滅しました。
しかし日本の仏教では先祖の墓を大切にし、お寺はお墓の管理で収入を得ています。釈迦の教えとは違います。
(2)釈迦は全ての像を拝んではいけない。仏像など作ってはいけないと教えました。
しかし日本には観音さまや薬師さまや大日如来さまの像が沢山あり、崇拝されています。釈迦の教えとは違います。
(3)釈迦は全ての殺生を禁じました。
しかし現在の日本の仏教徒はこの戒律を破っています。釈迦の教えとは違います。
(4)釈迦は妻や家族から離れて出家しました。
しかし日本の僧侶は妻帯し子供を大切にしています。お寺は世襲制で子供がまた住職になるのです。お寺の住職の世襲制は釈迦の教えとは違います。
(5)釈迦は教えの中心の「色即是空、空即是色」と「受想行識亦復如是」を本当に深く理解し信じるためには家族から離れて出家しなければいけないと教えました。
しかし日本では出家しなくても釈迦の教えが理解でき悟りの境地に入れると信じられています。釈迦の教えとは違います。
以上のような違いのあることを私は重要視しています。
その理由の一つは自分がカトリックの信者だからとも考えています。キリスト教ではイエスの教えを福音書として正確に伝承しています。そのイエス自身の教えを変えないで、そのまま信じるように努力しています。
だから日本の仏教は間違っているなどと皮相的な、そして浅薄な主張をいたしません。
もしそう考えたとしたら宗教というものの奥深さを理解していない証拠です。
さてお釈迦様は2500年程前にインドに生まれ、現在でも世界中の多くの人に信じらている仏教を創ったのです。インドでその後500年くらい経ってから仏教は大乗仏教と上座部仏教の2つに分かれました。
玄奘三蔵法師が629年に陸路でインドに向かい645年に経典657部や仏像などを持って唐に帰還しました。
この玄奘三蔵法師の持ち帰ってきた経典は大乗仏教のものでした。従って現在の日本の仏教は大乗仏教なのです。
一方、上座部仏教の方はミャンマー、タイ、ベトナムなどに伝承されました。
この連載記事の第二回ではこの上座部仏教を説明しながら日本の仏教と比較をしてみようと思います。
今日は5つの具体的な実例をあげて日本の仏教は釈迦の教えとは非常に違うことを明らかにしました。
今日の挿絵代わりの写真は昨日撮って来た神奈川県の宮ケ瀬湖の風景写真です。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)




そこで今日から「日本の仏教を客観的に考える」と題した連載記事を書こうと思います。
その第一回として日本の仏教は釈迦の教えと非常に違うということを書きます。
さてキリスト教ではイエス・キリストの教えがそのまま新約聖書になっています。ですから信者はイエスの教えを直接知ることが出来ます。
しかし日本の仏教では大日如来や薬師如来や観音菩薩など多数の仏を拝むのです。それでお釈迦さまの教えを簡単に知ることが難しいのです。お釈迦さまの教えを新約聖書のように明快に書いた平易な書物が無いのです。
しかしお釈迦さまの教えを解説した本がいろいろあります。それらの本を読むと日本の仏教は釈迦の教えとは非常に違うことが分るのです。
日本の大乗仏教は釈迦の教えとは非常に違うのです。大きな違いの5つの具体的な実例を以下にあげてみます。
(1)釈迦は自分が死んだら墓を作らず、遺骨は野に捨てよと言って入滅しました。
しかし日本の仏教では先祖の墓を大切にし、お寺はお墓の管理で収入を得ています。釈迦の教えとは違います。
(2)釈迦は全ての像を拝んではいけない。仏像など作ってはいけないと教えました。
しかし日本には観音さまや薬師さまや大日如来さまの像が沢山あり、崇拝されています。釈迦の教えとは違います。
(3)釈迦は全ての殺生を禁じました。
しかし現在の日本の仏教徒はこの戒律を破っています。釈迦の教えとは違います。
(4)釈迦は妻や家族から離れて出家しました。
しかし日本の僧侶は妻帯し子供を大切にしています。お寺は世襲制で子供がまた住職になるのです。お寺の住職の世襲制は釈迦の教えとは違います。
(5)釈迦は教えの中心の「色即是空、空即是色」と「受想行識亦復如是」を本当に深く理解し信じるためには家族から離れて出家しなければいけないと教えました。
しかし日本では出家しなくても釈迦の教えが理解でき悟りの境地に入れると信じられています。釈迦の教えとは違います。
以上のような違いのあることを私は重要視しています。
その理由の一つは自分がカトリックの信者だからとも考えています。キリスト教ではイエスの教えを福音書として正確に伝承しています。そのイエス自身の教えを変えないで、そのまま信じるように努力しています。
だから日本の仏教は間違っているなどと皮相的な、そして浅薄な主張をいたしません。
もしそう考えたとしたら宗教というものの奥深さを理解していない証拠です。
さてお釈迦様は2500年程前にインドに生まれ、現在でも世界中の多くの人に信じらている仏教を創ったのです。インドでその後500年くらい経ってから仏教は大乗仏教と上座部仏教の2つに分かれました。
玄奘三蔵法師が629年に陸路でインドに向かい645年に経典657部や仏像などを持って唐に帰還しました。
この玄奘三蔵法師の持ち帰ってきた経典は大乗仏教のものでした。従って現在の日本の仏教は大乗仏教なのです。
一方、上座部仏教の方はミャンマー、タイ、ベトナムなどに伝承されました。
この連載記事の第二回ではこの上座部仏教を説明しながら日本の仏教と比較をしてみようと思います。
今日は5つの具体的な実例をあげて日本の仏教は釈迦の教えとは非常に違うことを明らかにしました。
今日の挿絵代わりの写真は昨日撮って来た神奈川県の宮ケ瀬湖の風景写真です。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)




