後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「日本の仏教を客観的に考える(1)釈迦の教えとの違い」

2021年02月14日 | 日記・エッセイ・コラム
日本人のキリスト教信者は仏教的な伝統社会に住んでいます。自分の信仰と日本の仏教との折り合いを考え平穏に暮らしています。そしてキリスト教と仏教の比較もします。カトリックの私も日本の仏教というものをいろいろ考えています。
そこで今日から「日本の仏教を客観的に考える」と題した連載記事を書こうと思います。
その第一回として日本の仏教は釈迦の教えと非常に違うということを書きます。
さてキリスト教ではイエス・キリストの教えがそのまま新約聖書になっています。ですから信者はイエスの教えを直接知ることが出来ます。
しかし日本の仏教では大日如来や薬師如来や観音菩薩など多数の仏を拝むのです。それでお釈迦さまの教えを簡単に知ることが難しいのです。お釈迦さまの教えを新約聖書のように明快に書いた平易な書物が無いのです。
しかしお釈迦さまの教えを解説した本がいろいろあります。それらの本を読むと日本の仏教は釈迦の教えとは非常に違うことが分るのです。
日本の大乗仏教は釈迦の教えとは非常に違うのです。大きな違いの5つの具体的な実例を以下にあげてみます。

(1)釈迦は自分が死んだら墓を作らず、遺骨は野に捨てよと言って入滅しました。
しかし日本の仏教では先祖の墓を大切にし、お寺はお墓の管理で収入を得ています。釈迦の教えとは違います。

(2)釈迦は全ての像を拝んではいけない。仏像など作ってはいけないと教えました。
しかし日本には観音さまや薬師さまや大日如来さまの像が沢山あり、崇拝されています。釈迦の教えとは違います。

(3)釈迦は全ての殺生を禁じました。
しかし現在の日本の仏教徒はこの戒律を破っています。釈迦の教えとは違います。


(4)釈迦は妻や家族から離れて出家しました。
しかし日本の僧侶は妻帯し子供を大切にしています。お寺は世襲制で子供がまた住職になるのです。お寺の住職の世襲制は釈迦の教えとは違います。

(5)釈迦は教えの中心の「色即是空、空即是色」と「受想行識亦復如是」を本当に深く理解し信じるためには家族から離れて出家しなければいけないと教えました。
しかし日本では出家しなくても釈迦の教えが理解でき悟りの境地に入れると信じられています。釈迦の教えとは違います。

以上のような違いのあることを私は重要視しています。
その理由の一つは自分がカトリックの信者だからとも考えています。キリスト教ではイエスの教えを福音書として正確に伝承しています。そのイエス自身の教えを変えないで、そのまま信じるように努力しています。
だから日本の仏教は間違っているなどと皮相的な、そして浅薄な主張をいたしません。
もしそう考えたとしたら宗教というものの奥深さを理解していない証拠です。

さてお釈迦様は2500年程前にインドに生まれ、現在でも世界中の多くの人に信じらている仏教を創ったのです。インドでその後500年くらい経ってから仏教は大乗仏教と上座部仏教の2つに分かれました。
玄奘三蔵法師が629年に陸路でインドに向かい645年に経典657部や仏像などを持って唐に帰還しました。
この玄奘三蔵法師の持ち帰ってきた経典は大乗仏教のものでした。従って現在の日本の仏教は大乗仏教なのです。
一方、上座部仏教の方はミャンマー、タイ、ベトナムなどに伝承されました。

この連載記事の第二回ではこの上座部仏教を説明しながら日本の仏教と比較をしてみようと思います。
今日は5つの具体的な実例をあげて日本の仏教は釈迦の教えとは非常に違うことを明らかにしました。

今日の挿絵代わりの写真は昨日撮って来た神奈川県の宮ケ瀬湖の風景写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)









「今日のカトリック聖イグナチオ教会の動画配信ミサの写真」

2021年02月14日 | 写真
今日のカトリック聖イグナチオ教会のミサの写真を3枚お送りいたします。
ミサの司式は李聖一神父さまでした。
今日のミサの写真を3枚お送りします。いずれにも李聖一神父さまが写っています。





李聖一 : 1955年生まれ。1976年、イエズス会入会。1985年、司祭叙階。1986年から2015年まで、六甲学院、広島学院、栄光学園で教員として勤務。2003年から2010年まで、広島学院校長。現在、イエズス会系の学校(上智大学・六甲学院・栄光学園・広島学院・上智福岡)の法人合併により、学校法人上智学院のイエズス会中等教育担当理事

李聖一 著、「み言葉とともに 生きる、学ぶ、喜ぶ」の内容
第1章 学びの現場から(「かもしれないライン」に立つ君たちへ/ おもしろい学校? ほか)/ 第2章 聖書のおはなし(はじめに言があった/ 吹く風の中のいのちの息吹 ほか)/
第3章 生き方が語るもの(世阿弥―「初心」と「柔和な心」/ シモーヌ・ヴェイユ―共感できる人に ほか)/
第4章 み言葉、ときどき寄り道(美しい生き方/ 「知る」祈り ほか)

「今日もカトリック関口教会の動画配信ミサにあずかります」

2021年02月14日 | 日記・エッセイ・コラム
コロナが怖いので今週も教会のミサには出ません。その代わりカトリック関口教会の動画配信ミサにあずかります。

今日は年間第六主日で、10時から始まるミサの動画配信ミサは、カトリック関口教会の、https://www.youtube.com/watch?v=-xaPWwBUhBY とイグナチオ教会のミサは、https://www.ignatius.gr.jp/news/streaming.html にあります。

今日教会に行かない方々はこの動画配信のミサにご参加なられるのも良いと存じます。

カトリック聖イグナチオ教会は上智大学の構内にありますが大学とは別組織でイエズス会が直接に管理運営しています。イグナチオ教会の信徒数は2009年(平成21年)に14,382人で信徒数では日本最大規模の教会です。
イグナチオ教会はイエズス会の創始者で初代総長のイグナチオ・ロペス・デ・ロヨラの名前にちなむ名称です。

イエズス会は1534年にイグナチオ・デ・ロヨラやフランシスコ・ザビエルらによって創設されたのです。パリのモンマルトルの礼拝堂で「清貧と貞節、エルサレムへの巡礼」の誓いが立てたのがその始まりでした。
そのザビエルが日本へカトリックを初めて伝えたのが1549年のことでした。それからいろいろな事がありました。

禁教とと隠れキリシタンの歴史が250年も続いたのです。

そこで今日は隠れキリシタンが禁教が解け、明治時代以後に作った教会の写真をお送りします。五島列島に行って自分で撮った写真です。訪れた5つの教会は井持浦天主堂、堂崎天主堂、青砂ケ浦天主堂、頭ケ島天主堂、中ノ浦天主堂です。詳しくは、「遥かな五島列島への旅(1)訪れた5つの天主堂の写真」2015年04月13日 掲載、をご覧下さい。

1番目の写真は井持浦天主堂です。

2番目の写真は堂崎天主堂の写真です。

3番目の写真は青砂ケ浦天主堂です。

4番目の写真は頭ケ島天主堂です。1軒をのぞいて皆キリシタンだったという頭ヶ島。五島崩れの時、信徒は牢から全員逃げ出して島を離れ、迫害が終わってからこの地に戻ってきた。頭ヶ島天主堂は、鉄川与助の設計施工によって建設され、近くの石を切り出して、1919年に完成し、コンパス司教により祝別・献堂された。2001年に国の重要文化財に指定。世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産「頭ヶ島の集落」にある石造りの天主堂。

5番目の写真は中ノ浦天主堂です。