写真の出典は、https://www.euro-ex.com/blog/item/12435.html です。
今朝はブログに、「激動の昭和という時代(5)新幹線、東京オリンピック、高度成長」という記事を書いてから駅前のスーパーにお昼の弁当を買いにいきました。「これぞ天丼」という天丼と小さいパックの赤飯を買いました。午前中に「文学の会」に出ていた家内が帰ってきたので作っておいた治部煮とおでん、野菜と鶏肉のスープで昼食にしました。「これぞ天丼」と赤飯を正確に半分に分けて食べました。弁当を買いながら、嗚呼、時代は変わった!と驚いてました。私は昭和33年に大学を卒業しました。その頃はスーパーマーケットというものが日本に普及してませんでした。野菜は八百屋、肉類は肉屋、魚は魚屋、果物は果物屋、米は米屋という具合に店と店を巡り歩いて買い集めたのです。それが現在では一か所のスーパーで全て買えるのです。これこそ大きな時代の変化です。感無量です。数十種の弁当、レトルトパック、冷凍食品などなどもあります。それにしても時代の変化に驚いている今日この頃です。午後は家内と庭仕事をします。今日、スーパーマーケットで撮って来た写真をお送りいたします。
1945年、昭和20年の敗戦により日本人は自信を失い暗い社会になりました。食糧難と相まって人心が荒れ犯罪が多い時代が続きました。
そんな暗い日本へ明るい希望を与えたのが古橋広之進が自由形400m、800m、1500mの泳ぎで世界新記録をうち立てたのでした。そしてプロ野球や大相撲も復活し次第に社会の雰囲気が明るくなったのです。その後、日本は新幹線の開通と東京オリンピック開催、そして経済の高度成長をとげ現在の豊さを手中におさめたのです。
今日は戦後の日本の発展を写真で示したいと思います。
(1)新幹線の開通と1964年の東京オリンピックの開催
東海道新幹線は1964年(昭和39年)10月1日に東京駅 - 新大阪駅間に開業しました。1番目の写真は開業当時のコダマ号です。
2番目の写真は現在の新幹線の車両です。
世界初の210 km/h運転を達成した新幹線の成功は欧米各国に大きな影響を及ぼしました。
鉄道先進国のフランスは1967年5月28日よりパリ - トゥールーズ間の列車「ル・キャピトール」を欧州において初めて200 km/hで運転します。
東京オリンピックは1964年(昭和39年)10月10日(後の体育の日)から10月24日までの15日間、日本の東京都で開かれたオリンピック競技大会でした。3番目の写真はこのオリンピックの開会式で行進する日本選手団です。4番目の写真は「東洋の魔女」と言われた日紡貝塚チームの競技中の様子です。
東京オリンピック開催を契機に競技施設や日本国内の交通網の整備に多額の建設投資が行なわれました。競技や施設を見る旅行が増え、カラー放送のテレビ受像機購入が飛躍的に増加しました。
このため日本経済に「オリンピック景気」といわれる好景気をもたらしたのです。
特に開催地の東京では競技施設だけでなく東京モノレール羽田空港線や首都高速道路やホテルなど様々なインフラストラクチャーの整備が行なわました。
(2)戦後史に輝く沢田美喜の混血児の救済事業
2018年の3月に私は大磯駅前にある沢田 美喜記念館を訪れました。そこは樹木の生い茂る山で、同じ敷地に孤児院エリザベス・サンダース・ホームがありました。そして現在、聖ステパノ学園小学校、中学校もあります。ステパノとは戦死した三男の晃の洗礼名です。
沢田 美喜はこの大磯駅前にエリザベス・サンダースホームを創設しました。それは終戦直後の1948年のことでした。
そして進駐軍兵士との混血孤児を育て上げたのです。その数は2000人近くと言われています。
5番目の写真は以前家内が撮ったもので、沢田 美喜記念館とエリザベス・サンダース・ホームの入り口です。この右の奥には聖ステパノ学園小学校、中学校もあります。
6番目の写真は沢田美喜を紹介した新聞などの展示です。なお彼女は隠れキリシタンの遺物の収集家としても有名で展示には隠れキリシタンの遺物も沢山あります。
沢田美喜は1901年に三菱財閥の3代目総帥・男爵岩崎久弥の長女として現在の東京都文京区に生まれました。1922年にクリスチャンの外交官・沢田廉三と結婚してカトリックの洗礼を受けました。1962年にはブラジルのアマゾン川流域の開拓を始め、聖ステパノ農場を設立し、孤児院の卒園生を数多く移住させました。そして1980年にスペインのマヨルカ島にて心臓発作のため急死しました。享年78歳でした。
(3)東京オリンピック後の経済の高度成長
東京オリンピックは日本の経済の高度成長の基礎を作りました。それでは日本のGDPと各国のGDPの成長を比較してみましょう。図面は「主要国のGDPをグラフ化してみる(最新)」から転載いたしました。(http://www.garbagenews.net/archives/1335765.html )
7番目の写真の図面は2019年時点の上位10か国の名目GDPの推移です。(IMF予想含む、兆米ドル)
名目GDPの上での最大の国家はアメリカ合衆国、次いで中国が示しています。
この2国だけで世界全体のおおよそ4割。次いで日本、ドイツ、インド、フランスが続きます。
8番目の写真の図面は国民一人あたり名目GDP(主要国、含むIMF予想、万米ドル)です。
アメリカ、日本、ドイツのグループが非常に大きいのに比べて中国、インド、インドネシアのグループが小さいのが分かります。
中国は共産党独裁、インドは階級制度が強い社会でインドネシアはイスラム教の国です。
ここで明確なことは自由な民主主義の社会体制の国々の国民一人あたり名目GDPが非常に大きいことです。
日本人はB29の焼夷弾空襲による灰燼の中から立ち上がり、新幹線開通と東京オリンピック開催を経て経済の高度成長を達成したのです。
昭和時代は1926年に始まり1989年、昭和64年に終わりました。始めの20年間は満州事変、日中戦争、ノモハン事件、太平洋戦争と続く戦争の時代でした。そして1945年の敗戦です。敗戦後は新幹線開通を経て1989年、昭和64年までに経済の高度成長を達成したのです。
昭和という時代は日本民族の歴史において最も大きな激動の時代の一つでした。関ヶ原合戦で江戸幕府が出来上がった歴史や明治維新の歴史に並ぶ激動の時代でした。
それはそれと、今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。後藤和弘(藤山杜人)