尼港事件、ニコライエフスクに於けるロシア兵による日本人惨殺事件の殉難者の慰霊碑の写真です。
1番目の写真は天草市にある尼港事件の殉難者の慰霊碑です。
尼港事件の民間人殉難者には、熊本県天草の出身者が多い。他県在住の縁者も加えると110名にのぼり、ほぼ三分の一に達する。
1895年(明治28年)、天草北部の二組の夫婦が、それぞれに若い女性たちを連れてニコラエフスクへ渡り、水商売を始めた。
以来、水商売に限らず、洗濯業や洋服仕立業で、家族ぐるみの移住者も増え、中には成功して、貿易業や旅館経営をする者も現れていた。小樽と同じく昭和12年、遺族たちの手によって、天草市五和町手野に、尼港事変殉難者碑が建てられている。
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2番目の写真は尼港殉難者追悼碑(北海道小樽市手宮)です。北海道の小樽市は、樺太、シベリア方面への物資積み出し港であり、ニコラエフスクとも縁が深かった。
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3番目の写真は尼港殉難者記念碑(茨城県水戸市堀原)です。1922年3月建立。全員が犠牲となった第14師団尼港守備隊の出身地、茨城県水戸の堀原、もと練兵場のあった場所にも、尼港殉難者記念碑が建っている。
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4番目の写真は尼港殉難碑(札幌護国神社)です。札幌の護国神社境内にも尼港殉難碑があるが、これは、1927年(昭和2年)、救援隊の兵士達が旧丸山村界川に建立したもので、戦後、現在地に移されたものです。