秋の晴天です。午後から近所の貫井弁天さんの写真を撮りに行きました。写真を撮るのが上手な家内が構図を考えながらとりました。そんな写真をお送りいたします。
小樽公園の紅葉の写真をお送りいたします。
小樽市の中心部に位置するのが「小樽公園」です。
そろそろ紅葉の見ごろは過ぎてますが、まだ綺麗な姿を見ることができます。
小樽公園は市の花に指定されているツツジの名所でもあります。
北海道の雰囲気には異国情緒があります。本州と違う魅力があります。大自然の美は帯広や旭川の周辺の平原にあります。野付半島やトドワラには何故か怖ろしい雰囲気があります。明治の北海道の開拓の歴史の陰影は札幌、小樽、函館にあります。江戸時代の松前藩の歴代の藩主の墓は道南の松前にあります。どこも本州とは違った風景です。日本ですが何かが違う独特の魅力があります。
今日から連載でこれらの北海道の魅力をご紹介したいと思います。連載の第一回目は「ノスタルジアを感じさせる小樽」です。小樽は何度行っても旧懐の情が掻き立てられます。郷愁というかノスタルジアというか、心の奥の方に赤い炎がポッと灯ります。そんな赤い炎を大切にしながらゆっくり、ゆっくり散策します。小樽へは5回訪れました。グランドパーク小樽やヒルトン小樽に泊まりました。
さて小樽市は江戸時代には松前藩の商業港として栄えた古い町です。札幌の海の玄関口でした。小樽港は開拓民の上陸や物資陸揚げの港だったのです。しかし青函トンネルが出来、函館と札幌間の鉄道が完成すると忘れられた町になったのです。それ以前の小樽は北海道経済の中心都市として発展していたのです。小樽には大正や昭和初期の建物が並んでいます。まずかつて家内が撮った5枚の写真で小樽の風景写真をご紹介したいと思います。
さて小樽市は江戸時代には松前藩の商業港として栄えた古い町です。札幌の海の玄関口でした。小樽港は開拓民の上陸や物資陸揚げの港だったのです。しかし青函トンネルが出来、函館と札幌間の鉄道が完成すると忘れられた町になったのです。それ以前の小樽は北海道経済の中心都市として発展していたのです。小樽には大正や昭和初期の建物が並んでいます。まずかつて家内が撮った5枚の写真で小樽の風景写真をご紹介したいと思います。
小樽の風景を見ていると私は『蟹工船』を書いた小林多喜二のことを思い出します。
小林多喜二は1933年に特高警察の酷い拷問を受け29歳で死にました。彼は小樽に住んでいたのです。小林多喜二を偲びつつ彼がよく行った店で食事をしました。
私は共産主義は嫌いです。しかし以下は日本の歴史の一つの裏面としてご紹介したいと思います。
小林多喜二は1903年10月13日、秋田県に生まれ4歳のときに一家で小樽に移住し小樽で育ち作家として立ちました。プロレタリア文学の旗手と目され1930年に上京、翌年、当時非合法であった日本共産党に入党、困難な地下生活を余儀なくされながらも旺盛に執筆活動を展開しました。そして1933年2月20日に29歳で没しました。
小林多喜二の代表作、『蟹工船』のあらすじです。(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9F%B9%E5%B7%A5%E8%88%B9 )
蟹工船とは、戦前にオホーツク海のカムチャツカ半島沖海域で行われた北洋漁業で使用された船です
漁獲したカニの加工設備を備えた大型船です。搭載して行った小型船でたらば蟹を漁獲し、ただちに蟹工船で蟹を缶詰に加工するのです。その一隻の「博光丸」が小説の舞台です。
蟹工船は「工船」であって「航船」ではない。だから航海法は適用されず、危険な老朽船を改造して投入されたのです。また工場でもないので、労働法規も適用されなかったのです。
蟹工船は法規の真空地帯であり、船内では、東北一円の貧困層から募集した出稼ぎ労働者が過酷な条件で働いていました。資本者側の非人道的酷使がまかり通っていたのです。また北洋漁業振興の国策から、政府も資本者側と結託して事態を黙認する姿勢でした。
情け知らずの監督である浅川は労働者たちを人間扱いせず、彼らは劣悪で過酷な労働環境の中で酷使します。労働者は暴力、虐待、過労や病気で次々と倒れてしまいます。
転覆した蟹工船をロシア人が救出したことがきっかけで日本人労働者は異国の人も同じ人間と感じるのでした。そしてロシア人から「プロレタリアートこそ最も尊い存在」と教わるのです。しかし日本人の船長がそれを「赤化」とみなします。
当初は無自覚だった労働者たちはやがて権利意識に覚醒し、指導者のもとストライキ闘争に踏み切ります。会社側は海軍に無線で鎮圧を要請し、派遣されてきた駆逐艦から乗り込んできた水兵にスト指導者たちは逮捕されます。こうして最初のストライキは失敗に終わったのです。労働者たちは作戦を練り直し、再度のストライキに踏み切るのでした。以下省略。
小林多喜二の資料の常設展示は小樽文学館、(http://otarubungakusha.com/past/200302398 )にあります。
小林多喜二は死の間際まで執筆活動を続け作品の中に込めた弱者救済の思想は現代社会においても通じるものがあります。そして日本の暗い時代の歴史の裏面を知ることが出来るのです。
私が撮った5枚の小樽風景の写真に加えて冬の小樽の2枚の風景写真もお送り致します。
写真の出典は、https://ovo.kyodo.co.jp/news/life/travel-news/a-1397278 です。
今日は北海道の魅力を紹介する連載の第一回目として「ノスタルジアを感じさせる小樽」を書きました。小樽に住んでいた小林多喜二の「蟹工船」もご紹介しました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)