明治維新以来、日本は欧米の文化を熱心に取り入れてきました。しかしその目的は富国強兵のためであり、欧米の精神文化はあまり忠実には取り入れませんでした。
今日はその例として人間関係について書いてみたいと思います。
時々私は欧米と日本で人間の絆は違うと感じることがあります。
欧米では人間の絆にしばしば神が介在しているように感じます。キリスト教の影響でしょう。
一方仏教国の日本では人間の絆に神が介在していません。日本の人間関係は社会の習慣できまることが多いようです。
このように書くとあまりにも抽象的で何を言いたいか分からないと思います。
そこで人間の絆の違いの例を示したいと思います。
それは学校の同窓会や同級会に見られる人間の絆です。
分かり易く結論を先に書けば、欧米では同窓会や同級会による人間の絆は存在しません。個人的な友情は別にして日本のように強い同窓会の人間の絆が無いのです。
日本ではある学校を卒業すると全員が自動的にその学校の同窓会に入ります。そしてその後の社会生活でも「同窓生のよしみ」でいろいろなことが期待されます。
同窓生は学校の部活への寄付を一生期待されます。同窓生同士も同じ学校を出たという絆を尊重します。
勿論このような絆に反発する人も少なくありません。
しかし何故、同窓会のことを書くかというと、欧米では日本ほど強固な同窓会の組織もありません。確かに数年おきにアメリカの大学から寄付の案内も来ますが無視しても良いような文面なのです。
日本では同窓会に関連して同級会もあります。これは同じクラスとして何年間か同じ勉強をした仲間なので絆が強いものです。
同級会には小学校、中学校、高校、大学とあります。私はそれぞれの同級会を大切にしています。同級会は出席すると楽しいのです。
生まれつき社交的でない性格の私にとっては同級会の仲間だけは気軽に楽しく話しあえるのです。大学の同級会には毎回出席していました。
このような学校という組織で出来た人間の絆が強いのは日本や韓国や中国などの社会特有の文化のようです。
例えば日本の新聞やマスコミで有名人を紹介するとき必ず卒業した大学の名を書く習慣です。
そしてその大学で働いていれば、東大教授、早稲田大教授とか表記するのです。しかしその専門分野を書かないのです。
出身大学を書く習慣は日本の悪習です。これでは高校や中学までしか行っていない人はどうするのでしょうか?私はいきどうりを感じていす。
欧米では人間の絆は組織を離れ、個人個人が作るものです。当然、日本のような同級会はありません。
しかし若い頃通っていた学校を懐かしいと思う卒業生もいます。そこでアメリカでは毎年、ホーム・カミング・ディーと称する日に希望する同窓生が学校に帰って来て、いろいろなイベントに参加します。しかし日本のような半分、強制的な雰囲気ではありません。
日本文化で無意識ながら重要な概念は「運命共同体」というものです。同じ学校を卒業したのも前世からの縁です。運命です。
ですからそこには強い人間の絆がある筈です。
このようないきさつで同窓会や同級会は日本や韓国や中国では重要な意味を持っているのではないでしょうか?そこで出来た人間の絆は強いのではないでしょうか?
しかし一方、人間の絆には農村における絆やインターネットで出来た人間の絆などといろいろあります。ですから上に書いたことは単に私の個人的な感想に過ぎないのかも分かりません。
考えてみると日本と欧米で同じような人間の絆もあります。
その一つは夫婦です。
まったくの赤の他人同士だった2人が一緒になって何十年死ぬまで暮らして行くのですから、これほど不思議な絆はありません。
一緒になる2人が外国人同士だろうが親子ほど年が離れていても一向に関係なく添い遂げるのですから不思議です。
血を分けた母子の絆や父と子供の絆の強さは容易に理解出来ますが、夫婦の場合は全く他人同士なのです。
それから最近増えてきたものに同性婚という絆もあります。
私の友人に同性婚をしていた人がいます。人間性が良く知的で、温かい心を持った人です。
それにしてもいろいろな人間の絆を考えると不思議な気分になります。背後に神の存在があるのでしょうか?
今日の挿し絵は佐伯 祐三の油彩画です。記事の内容とは関係ありません。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
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佐伯 祐三(1898年4月28日 - 1928年8月16日)は、大正・昭和初期の洋画家。大阪府大阪市出身。
佐伯は1898年(明治31年)、大阪府西成郡中津村(現大阪市北区中津二丁目)にある光徳寺の男4人女3人の兄弟の次男として生まれた。1917年(大正6年)東京の小石川(現・文京区)にあった川端画学校に入り、藤島武二に師事する。旧制北野中学(現・大阪府立北野高等学校)を卒業した後、1918年(大正7年)には東京美術学校(現・東京藝術大学)西洋画科に入学し、藤島武二に師事、1923年(大正12年)に同校を卒業した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E4%BC%AF%E7%A5%90%E4%B8%89 へ続く。