後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「写真で見る共産党独裁の中国の宗教とのかかわり」

2024年12月17日 | 日記・エッセイ・コラム
神の存在や宗教を否定するのが本来の共産主義です。ところが中国共産党は宗教の自由を保障し、経済は資本主義の市場経済主義をとっています。ですから中国は厳密な共産主義を捨てているのです。共産党という名前と独裁政治だけが残りました。中国の宗教は共産党独裁に反対しないかぎり全く自由です。もっとも全ての宗教組織は当局に届けなければなりませんが、届けてない組織も多いと言われています。
元来、宗教というものは政治には関心があってはいけないものなのです。カトリックのミサでの説教では政治の話題は禁物です。
したがって中国の全ての宗教組織は共産党と仲良く出来るのです。例外は法輪功だけです。
中国の宗教には仏教、道教、回教(イスラム教)、カトリック、キリスト教プロテスタント教会、その他の原始宗教があります。
中国には宗教を信じている人が数千万人から数億人いると言われていますが、統計の不備で実数は分かっていません。しかし多数の道教の寺院や仏教寺院や回教(イスラム教)の寺院、あるいはカトリック(天主教)の教会の写真を見ると宗教の隆盛に驚かざるを得ません。 
今日は写真で共産党独裁の中国の宗教的風景をご紹介いたします。
道教は多くの神を祀る多神教です。中国の道教寺院は日本の神社のようなものです。家内安全を祈る場所です。商売がうまく行くように祈る場所です。祀ってある神は関帝や昔の偉人などなどいろいろです。道教は中国で生まれた宗教であり、その歴史は1700年以上も前に遡ります。国内には道教寺院1500ヶ所があり、2万5千人以上の道士がいるそうです。
道教は仏教と儒教とともに中国の三大宗教と言れています。ですから大部分の中国人はこの三大宗教を信じています。そのどれかを信じる人もいますが、多くは同時に、それぞれを信じています。
なお回教のお寺は北京にも多数あります。街で白い布を被って歩いている人が回教徒で、多数見かけます。
イスラム教は7世紀に中国に渡りました。イスラム教は主に回族、ウイグル族など少数民族の他に、多数の漢族にも信仰されています。信者はおよそ1800万人で、モスクは3万ヶ所あると言われていますが実数は分かりません。

1番目の写真は仏教寺院の写真です。写真の出典は、http://blog.livedoor.jp/shyougaiitisekkeisi2581/archives/51818531.html です。
中国の仏教は2千年の歴史を誇ります。中国には現在、仏教寺院がおよそ1万3千ヶ所あり、出家した僧侶・尼僧は20万人、そのうち西蔵(チベット)系仏教のラマ僧は12万人、活仏は1700人、寺院は3千ヶ所、巴利語系仏教の比丘(びく)や長老はおよそ1万人、寺院は1600ヶ所に上ると言われています。

2番目と3番目の写真は中国のあるカトリック(天主教)の教会の風景です。
写真の出典は、http://blog.goo.ne.jp/sakurasakuya7/e/04e67def473bfbaf22720ac2634718fc です。
3番目の写真はカトリック(天主教)の教会の内部の風景です。
カトリックは7世紀に中国に渡り、1840年のアヘン戦争後、信者の規模が増えます。中国には現在、カトリック信者400万人、教職員4千人がおり、教会などの活動施設4600ヶ所があると言われています。カトリックの他にプロテスタントのいろいろな宗派もあり、キリスト教信者総数は少なくても1000万人以上、数千万人以上とも言われています。宣教師1万8千人がおり、また教会は1万2千ヶ所、そしてその他の動場所や集会所2万5千ヶ所があると言われています。さて私は東北地方の瀋陽市に行ったのでついでにそこのカトリック教会と故宮の写真も示しておきます。
4番目の写真は瀋陽市のカトリック教会の南関教会です。
5番目の写真は瀋陽にある清朝の故宮です。清朝の初代皇帝は瀋陽の出身でその根拠の城は瀋陽にあったのです。北京にある壮大な故宮は瀋陽の故宮を大きくしたものです。

ところで最近、中国は宗教ブームです。いろいろな宗教が活性化し、それぞれの信者数が急増しているようです。 その理由は独裁政治を続けている中国共産党が宗教の自由を大幅に認めているからです。

中国の民主化を主張したり、独裁政治を批判しない限り、自由に宣教し、自由に信仰してて良いのです。
この宗教の流行は今後も続き、中国では宗教はますます盛んになると思われます。
しかし最後に一言付け加えると、中国本土のカトリックはローマ法王傘下に入れません、共産党政府がローマ法王組織から台湾のカトリックを切り捨てれば本土のカトリックがローマ法王傘下に入っても良いというのです。非道な話です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)


「写真で見るアメリカ人の宗教とのかわり」

2024年12月17日 | 日記・エッセイ・コラム
私どもはアメリカの教会で結婚式をあげ、私自身はいろいろな時期にアメリカには4年間も住んで居ました。一生付き合っている友人もいました。
アメリカはプロテスタンの国です。アメリカ人の宗教とのかわりはキリスト教の新約聖書の福音の重視が特徴です。
ヨーロッパでは規模壮大で立派な教会が数多く建っていますがアメリカでは少ないのです。大きな教会が少なく代わりに小さな手造りのような教会が村々にあるのです。
キリストは規模壮大で立派な教会を建てろと言いませんでした。その代わり「汝の隣人を愛せ」と言ったのです。新約聖書の福音とは「汝の隣人を愛せ」ということです。アメリカの信仰で重要なことは新約聖書の福音です。
その小さな手造りのような教会の写真をお送り致します。
1番目の写真はアメリカの田舎の典型的な小さな教会です。写真は、「アメリカの田舎の教会の写真」を検索して、インターネットにある写真からお借りしました。
2番目の写真もアメリカの田舎の典型的な小さな教会です。出典は、1番目の写真と同じです。
3番目の写真はバプテスト教会 です。バプテスマ(浸礼での洗礼)を行うキリスト教プロテスタントの一教派です。出典は、「https://ja.wikipedia.org/wiki/バプテスト教会 」です。
4番目の写真は礼拝式をしているアメリカの教会の内部の写真

アメリカはプロテスタンの国です。そのアメリカ社会で一番多くの人が信仰している教派がバプテスト教会です。 一番近代的で、民主的な教派です。アメリカの民主主義を支えている信仰なのです。逆にアメリカの平等主義、自由主義が作りだした教派とも言えます。
 その教派の教義は日本の佛教制度やカトリックの組織と比較しながら考えるとよく理解できます。 
 まず第一に、教会の牧師と信徒の間には身分的上下関係が全くありません。平等です。教会名簿にも牧師は信徒と同じ欄に書いてあります。
したがってキリスト教の布教活動は牧師も信徒も同じように致します。 これに比べると日本の佛教制度ではお寺の住職さんが偉くて、檀家の人々より身分が高い事になっています。仏教の布教はお坊さんや修業を終えた伝道師という専門家が行い、信徒はあまりしないのが普通です。この様子はカトリック教会と非常によく似て居ます。
  第二にアメリカの各教会はそれぞれ独立した存在で、上下関係や強固な連合組織を作りません。カトリック教会はローマ法王が世界の全ての教会の頂点に立っています。
 第三にバプテスト教会では政教分離が徹底しています。その考えは17世紀に出来たのですが、政教分離が徹底している国はアメリカだけと言っても過言ではありません。ヨーロッパではキリスト教関連の政党があったり、税金から教会へ財政援助があったりで、アメリカ程厳密になっていません。 
 第四にバプテスト教会ではカトリックのような幼児洗礼を認めません。成人して自発的に洗礼を決心した人にだけが全身浸礼式洗礼をうけます。 従ってバプテスト教会は自発意思による信仰契約集団の性格を持っています。契約社会の一つなのです。 アメリカのキリスト教はこのように平等主義と自由主義が強い特徴です。
その一方南部バプテスト教会のようにアフリカ出身の黒人の宗教観の影響を受けているものもあります。

今日は「写真で見るアメリカ人の宗教とのかわり」をお送り致しました。アメリカはプロテスタンの国です。代表的なバプテスト教会の教義を説明ました。バプテスト教会は自発意思による信仰契約集団です。 アメリカのキリスト教は平等主義と自由主義が特徴です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「欧米と日本の違い、人間の絆は違う!」

2024年12月17日 | 日記・エッセイ・コラム
明治維新以来、日本は欧米の文化を熱心に取り入れてきました。しかしその目的は富国強兵のためであり、欧米の精神文化はあまり忠実には取り入れませんでした。
今日はその例として人間関係について書いてみたいと思います。
時々私は欧米と日本で人間の絆は違うと感じることがあります。
欧米では人間の絆にしばしば神が介在しているように感じます。キリスト教の影響でしょう。
一方仏教国の日本では人間の絆に神が介在していません。日本の人間関係は社会の習慣できまることが多いようです。
このように書くとあまりにも抽象的で何を言いたいか分からないと思います。
そこで人間の絆の違いの例を示したいと思います。
それは学校の同窓会や同級会に見られる人間の絆です。
分かり易く結論を先に書けば、欧米では同窓会や同級会による人間の絆は存在しません。個人的な友情は別にして日本のように強い同窓会の人間の絆が無いのです。
日本ではある学校を卒業すると全員が自動的にその学校の同窓会に入ります。そしてその後の社会生活でも「同窓生のよしみ」でいろいろなことが期待されます。
同窓生は学校の部活への寄付を一生期待されます。同窓生同士も同じ学校を出たという絆を尊重します。
勿論このような絆に反発する人も少なくありません。
しかし何故、同窓会のことを書くかというと、欧米では日本ほど強固な同窓会の組織もありません。確かに数年おきにアメリカの大学から寄付の案内も来ますが無視しても良いような文面なのです。
日本では同窓会に関連して同級会もあります。これは同じクラスとして何年間か同じ勉強をした仲間なので絆が強いものです。
同級会には小学校、中学校、高校、大学とあります。私はそれぞれの同級会を大切にしています。同級会は出席すると楽しいのです。
生まれつき社交的でない性格の私にとっては同級会の仲間だけは気軽に楽しく話しあえるのです。大学の同級会には毎回出席していました。
このような学校という組織で出来た人間の絆が強いのは日本や韓国や中国などの社会特有の文化のようです。
例えば日本の新聞やマスコミで有名人を紹介するとき必ず卒業した大学の名を書く習慣です。
そしてその大学で働いていれば、東大教授、早稲田大教授とか表記するのです。しかしその専門分野を書かないのです。
出身大学を書く習慣は日本の悪習です。これでは高校や中学までしか行っていない人はどうするのでしょうか?私はいきどうりを感じていす。
欧米では人間の絆は組織を離れ、個人個人が作るものです。当然、日本のような同級会はありません。
しかし若い頃通っていた学校を懐かしいと思う卒業生もいます。そこでアメリカでは毎年、ホーム・カミング・ディーと称する日に希望する同窓生が学校に帰って来て、いろいろなイベントに参加します。しかし日本のような半分、強制的な雰囲気ではありません。
日本文化で無意識ながら重要な概念は「運命共同体」というものです。同じ学校を卒業したのも前世からの縁です。運命です。
ですからそこには強い人間の絆がある筈です。
このようないきさつで同窓会や同級会は日本や韓国や中国では重要な意味を持っているのではないでしょうか?そこで出来た人間の絆は強いのではないでしょうか?

しかし一方、人間の絆には農村における絆やインターネットで出来た人間の絆などといろいろあります。ですから上に書いたことは単に私の個人的な感想に過ぎないのかも分かりません。
考えてみると日本と欧米で同じような人間の絆もあります。
その一つは夫婦です。
まったくの赤の他人同士だった2人が一緒になって何十年死ぬまで暮らして行くのですから、これほど不思議な絆はありません。
一緒になる2人が外国人同士だろうが親子ほど年が離れていても一向に関係なく添い遂げるのですから不思議です。
血を分けた母子の絆や父と子供の絆の強さは容易に理解出来ますが、夫婦の場合は全く他人同士なのです。
それから最近増えてきたものに同性婚という絆もあります。
私の友人に同性婚をしていた人がいます。人間性が良く知的で、温かい心を持った人です。

それにしてもいろいろな人間の絆を考えると不思議な気分になります。背後に神の存在があるのでしょうか?

今日の挿し絵は佐伯 祐三の油彩画です。記事の内容とは関係ありません。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
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佐伯 祐三(1898年4月28日 - 1928年8月16日)は、大正・昭和初期の洋画家。大阪府大阪市出身。
佐伯は1898年(明治31年)、大阪府西成郡中津村(現大阪市北区中津二丁目)にある光徳寺の男4人女3人の兄弟の次男として生まれた。1917年(大正6年)東京の小石川(現・文京区)にあった川端画学校に入り、藤島武二に師事する。旧制北野中学(現・大阪府立北野高等学校)を卒業した後、1918年(大正7年)には東京美術学校(現・東京藝術大学)西洋画科に入学し、藤島武二に師事、1923年(大正12年)に同校を卒業した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E4%BC%AF%E7%A5%90%E4%B8%89 へ続く。