これは戦後の焼野原をこの目で見た私の感慨です。現在の全国の花園の風景を見て隔世の感です。日本がこんなにも変わったことに驚いています。この驚きは若い人には理解出来ないかも知れませんが書いて置きたいと思います。
写真に従って説明いたします。
1番目の写真はB29の編隊が焼夷弾で東京を焼きつくしている光景です。
当時住んでいた仙台でも同じような光景を私は見ました。
1945年7月10日の午前0時から仙台は123機のB29によって焼きつくされました。当時9歳であった私は、向山の高台から市街地が一面の火の海になっているのを立ち尽くして見ていました。
2番目の写真は空襲があった翌日の東京の風景です。
仙台の空襲の翌日、私は鹿落坂をくだって中心街の焼け跡を見に行きました。この写真のような光景が広がり、まだ彼方此方から煙が立ち昇っていたのを鮮明に思い出します。
1番目の写真と2番目の写真の光景は全国にあったのです。全国の200以上の市町村がB29で焼け野原になったのです。
3番目の写真は兵庫県の「豊岡市たんとう花公園」の風景です。
写真の出典は、https://www.hyogo-tourism.jp/review/101 です。
焼け野原になった日本には現在この写真のような広い花園が沢山あるのです。
終戦の頃は花園はありませんでした。皆無でした。現在花園になっている畑にはジャガイモやサツマイモやカボチャが植えられてきたのです。食糧難でお米のご飯が無くてジャガイモやサツマイモやカボチャで命をつないでいたのです。
4番目の写真も「豊岡市たんとう花公園」の風景です。
場所は、舞鶴若狭道「福知山」ICまたは播但自動車道「和田山」ICのどちらからも40kmほど。たんとう花公園は、4月のチューリップと8月ひまわりの見ごろの時期だけオープンする公園です。
5番目の写真も「豊岡市たんとう花公園」の風景です。
のどなか里山の一角に咲き競う300品種・100万本のチューリップ。赤、黄、ピンク、紫と濃淡を交えた鮮やかな色であたり一面を染め上げる様は、春の日差しの下で波打つ花の海を思わせ、まさに圧巻の光景です。
終戦の頃、こんな綺麗な花園が日本に出来るとは想像も出来ませんでした。
全く隔世の感です。日本が復興してこんなんにも豊かな国にになったのです。
人々の心も豊かになったのです。幸福感につつまれます。
それにつけてもウクライナの苦難に心が乱れます。ロシアの暴虐に衝撃を受けています。ウクライナの歴史に無い最大の悲劇です。ウクライナは何もしなかったのにロシアが突然一方的に武力侵攻したのです。
ウクライナのために祈らざる得ません。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)