現在の日本人には信じられませんが、1978年に中国の最高指導者、鄧小平が初めて日本を訪問した後、中国では熱烈な日本ブームが巻き起こったのです。
日本の物なら何でも大好き、日本人なら誰でも大歓迎という熱気あふれる時期が1978年から天安門事件の1989年まで続いたのです。現在の日中関係からは想像もつかない蜜月時代だったのです。
それは現在の中国側にとっても貴重な歴史的な大転換だったようです。
中国側の資料に基づいて鄧小平の日本訪問の様子と、私が1981年以後数回、中国で歓迎された体験をご紹介したいと思います。
それは鄧小平による日本の先進技術と資金の導入の時代でした。
1978年は、中国の国家戦略に大きな転換が起こった年でした。中日両国は同年8月、「中日平和友好条約」を締結し、続く10月22~29日、鄧小平氏が、中国の指導者としては戦後初めて正式に日本を訪問したのです。
この訪問は、「中日平和友好条約」の批准書交換式に出席するためのものでしたが、鄧小平氏にとっては中国近代化の大戦略を準備するための学習の旅でもあったのです。
8日間の訪日期間中、鄧小平氏は新日鉄・日産・松下の3社を見学します。
新幹線で東京から関西方面に向かう途中、感想を聞かれた鄧氏は、「速い。とても速い。後ろからムチで打っているような速さだ。これこそ我々が求めている速さだ」「我々は駆け出す必要に迫られている」「今回の訪日で近代化とは何かがわかった」と語ったそうです。
新日鉄の君津製鉄所を見学した鄧小平氏は、工場の設備や技術について詳しくたずね、日本の進んだ生産と管理の経験を、中国人技術者に紹介してほしいと依頼します。同じような工場を中国にも建てたいという鄧氏の決意を示すものでした。この決意こそ、その後の日本の技術指導による上海宝山製鉄所の建設になったのです。
松下電器への訪問時、電子レンジなどの新製品の展示室を鄧小平氏が見学した際にも印象的な一幕がありました。松下の案内員が電子レンジの機能を説明するため、一皿のシューマイを加熱して鄧氏に見せます。鄧氏は突然、シューマイをつまんで口に放り込み、「なかなかおいしい」と感想を述べたのです。松下の従業員らもこれには驚き、何でも試してみるという鄧氏の精神を称賛したといいます。
鄧小平氏の訪日後、中国には「日本ブーム」が沸き起こります。
多くの視察団が日本に赴き、多くの日本人の専門家や研究者が中国に招かれます。中日政府のメンバーによる会議も相次いで行われました。
官民の各分野での交流は日増しに活発となり、経済・貿易・技術での両国の協力は急速に発展したのです。(文作者:王泰平)
以上の文は、「1978年日本の旅――鄧小平氏が訪日で学んだもの」http://j.people.com.cn/95911/95954/6545780.html からの抜粋です。
さらにもと中国の駐日本大使、符浩元さんによると鄧小平は2度も日本を訪問しているのです。(http://www.bjreview.cn/JP/04-32/32-zhongyao-3.htm )
鄧小平は再び、1979年1月に米国を訪問した後、わざわざ日本に立ち寄り、短期間滞在したのです。奈良を訪れた時、宿泊したホテルでちょうど結婚式があるのを知った鄧小平氏は、自ら結婚披露宴の会場に行き、新郎新婦に祝賀の言葉を贈ったのです。
このように鄧小平は先進技術を開発し経済の高度成長を続けている日本人を尊敬し、日本が大好きだったのです。その結果、中国は日本から先進技術と資金の導入を大々的に行ったのです。日本の約2万の会社が中国に工場を作ったり支社や支店を出したのです。
さて1978年の鄧小平氏の訪日後、中国には「日本ブーム」が沸き起こります。このお陰で私も北京鋼鉄学院と瀋陽の東北工学院に招待されました。往復の航空運賃以外のホテル代、交通費、さらに各地の観光の費用の全ては中国側が負担しました。
歓迎宴が何度もありましたが、観光地で会った一般の中国人が皆、大変親切で礼儀正しいのには驚いたものです。当時は一般の人々も日本人を外国からの賓客として礼儀正しく接したのです。彼等はすべて人民服で日本人は背広姿だったので区別が容易についたのです。汽車に乗ってもレストランに入っても皆ニコニコして道を開けてくれました。
そして金属工業省の人が日中鉄鋼会議を開催してくれないかと私に頼んだのです。帰国後、日本鉄鋼協会の当時の専務理事の故田畑新太郎氏と東京大学の故松下幸雄先生に相談し、日中鉄鋼会議を北京と東京で開催することが出来ました。
このように当時の中国側の日本人へ対する尊敬は絶大でした。
しかしこの日中友好関係は1990年以後の江沢民の時代に急に暗転します。
そして習近平時代の覇権主義の時代になったのです。
このような劇的な日中間の歴史の転換を見て来た私にとって最近の日中の関係に深い関心があります。
習近平時の覇権主義が消え、円満な話し合いによる国際平和の時代が来ることを切に祈っています。
今日の挿し絵がわりの写真は鄧小平が1978年の10月に日本を訪問した時の写真です。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
訪日の写真の出典は、http://japanese.china.org.cn/jp/txt/2014- 08/22/content_33310086.htm です。