後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「多くの日本人が憧れる上高地、その物語」

2024年09月16日 | 日記・エッセイ・コラム
上高地は神々しい別世界です。険しい山々をバスで根気よく登り、最後の長いトンネルを抜けると、いきなり眼前に穂高の連峰が広がり、梓川と大正池が夢幻のような盆地を作っているのです。
昔は神垣内と書いたり、神河内と呼んでいたそうですが、とにかく神々しい景観なのです。日本のどこにでもある谷川の風景とは全く違う神秘的で、そしてロマンチックな景観なのです。
以前は梓川沿いのバス道も無く、神河内に入るには北アルプスの徳合峠を越えて、この別世界へ降り立ったのです。苦しい山越えの後で見たこの夢幻的な景観に人々は桃源郷を連想したのです。極楽浄土を連想したのです。
明治の始めころ、イギリス人のウエストン卿も徳合峠を越えて、神河内に降り立ったのです。そのときの感動を記した彼の著作を読むと私の胸も躍ります。
ウェストンは感動のあまり何度も徳合峠を越えて神河内へ足を運びました。人柄が良く山案内人に信頼されたと言います。このウェストンこそが上高地の魅力を日本人へ教えたのです。現在、彼のレリーフが静かに梓川を見降ろしています。

多くの日本人が憧れる上高地の美しい写真をお送りいたします。そして上高地にまつわる物語をほんの少しだけ書きたいと思います。
ここにお送りする写真は2013年09月20日 に家内が撮ったものです。
大正池でバスを降りて、梓川ぞいに田代池、田代橋、帝国ホテル、中の瀬、河童橋と散策しました。滔々と流れる梓川の清流が見え隠れする湿地帯に広がる森の中に木道が完備していて歩きやすい道です。空気が新鮮で樹木が美しいのでこの道は何度も家内と一緒に歩いています。
2011年7月1日に撮った写真をお送りします。

1番目の写真は大正池から見た穂高連峰です。学生の頃の1959年に行ったときは立ち枯れの木が林立していましたがその木々も朽ち果てて、ほんの数本が残っている状態になりました。風景も年を取って変わって行くのです。

2番目の写真は田代橋から河童橋の中間にある中の瀬から見た穂高と明神岳です。明神岳は右の色の暗い山です。真ん中の白いものは岳沢の雪渓です。

3番目の写真は梓川沿いの見事な黄葉です。2012年の10月29日に撮った写真です。

4番目の写真は岳沢の雪渓です。大正池から4Kmほど上流の河童橋まで来ると岳沢の雪渓も真近かに見えます。
私が上高地を初めて訪れたのは23歳の夏にでした。JR大糸線の穂高駅から中房温泉に泊り槍、穂高へと縦走した折に上高地に下りたのです。
有房温泉から燕岳、常念岳、槍、南岳、大キレット、北穂、涸沢、徳合小屋と縦走して上高地におりて来た時に見た時の感動は忘れられません。
梓川の河原に茂っていた白樺の幹が白く輝いていました。そして上高地特有の川原の泥柳の枝が風で揺れている風景をとても神秘的に感じたものです。あれから茫々60年以上の歳月が流れてしまったのです。

そして上高地に行く度に寄るホテルがあります。帝国ホテルです。何度か泊まりました。スイスの山岳地のホテルのように丈夫な石組みの上にがっしりした木造で出来ています。屋根は周囲の緑に調和するように配合した美しい赤い色で塗られています。見る度に感心します。

今日は多くの日本人が憧れる上高地の美しい写真をお送りし、上高地にまつわる物語をほんの少しだけ書きました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

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