宮沢賢治は生前に一冊の童話集を出版しています。大正13年、1924年の12月に光原社から出版された「注文の多い料理店」です。その序文は一年前の大正12年12月20日に書かれています。この序文は賢治がどのような気持で童話を書いたかを知る手掛かりとして重要なものと思います。
そこで以下にご紹介したいと思います。
=====「注文の多い料理店」の序======
わたくしたちは、氷砂糖をほしいくらゐもたないでも、きれいにすきとほった風をたべ、桃色のうつくしい朝の日光をのむことができます。
またわたくしたちは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびろうどや羅紗や、宝石いりのきものに、かはってゐるのをたびたび見ました。
わたしは、そういふきれいなたべものやきものをすきです。
これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鐡道線路やらで、虹や月あかりからもらってきたのです。
ほんとうに、かしはばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかったり、十一月の山の風のなかに、ふるえながら立ったりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたがないのです。ほんたうにもう、どうしてもこんなことがあるようでしかたがないといふことを、私はそのとほり書いたまでです。
ですから、これらのなかには、あなたのためになるところもあるでせうし、ただそれっきりのところもあるでせうが、わたくしには、そのみわけがよくつきません。なんのことだか、わけのわからないところもあるでせうが、そんなところは。わたくしにもまた、わけがわからないのです。
けれども、わたくしは、これらのちひさなものがたりの幾きれかが、おしまひ、あなたのすきとほったほんとうのたべものになることを、どんなにねがうかわかりません。
大正十二年十二月二十日 宮沢賢治
=============================
上の序文で私は3つのことを感じています。
(1)・・・きれいにすきとほった風をたべ、桃色のうつくしい朝の日光をのむことができます。・・・とは賢治が人間が食べたり飲んだりする物が実態の無いものこそ理想的だと信じていたと感じています。
それは生前の賢治について、弟の清六が以下のように書いていることから分かります。
「・・・・音やにおいだけをたべて生活が出来たらどんなにいいだろう。今度はお互いにそんなところに生まれて来ることにしよう。」と言った兄のことばを今なつかしく思い起こすのです。
(2)この童話集は賢治の心象スケッチもまじえて、そのまま書いてあるので、わけの分からないろころもあるでしょうと言っていると感じられます。
わからないところにつまづかないで、読み続けるのが良いと私は感じています。
(3)宮沢賢治は生涯、法華経を信奉していました。彼が、お釈迦さまの教えで一番重要なことは「全ての人々が幸せにならなかったら、自分の幸せは無になる」という教えだと信じていたのです。冷害で貧困になり、苦しんでいる東北地方の全ての農民を助けたかったのです。
農業指導をしたのはその信念からでした。文学作品も法華経の精神をひろめるために書きました。ですから序文の最後の文章が、「・・・あなたのすきとほったほんとうのたべものになることを、どんなにねがうかわかりません」となっていると私は考えています。賢治はすべての人々が本当の食べ物を食べ幸せになることを熱心に祈っていたのです。この精神の延長としてに、「雨にもまけず・・・」という詩へとつながるのです。少なくとも私はそのように感じています。
下に光原社の「注文の多い料理店」の初版本の写真を示します。
それはそれとして、
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)