後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

トルコの犠牲者、フランスの犠牲者、アメリカでの犠牲者へ蓮の花の写真をお送りします

2016年07月17日 | 写真
最近、各国で殺伐としたクーデター事件や大型トラック暴走によるテロ事件や黒人による白人警官狙撃事件などがたて続けに起きています。
イギリスのEU離脱も大ニュースで大騒ぎしましたが、その後のアメリカ、フランス、トルコの事件で数多くの一般市民と警察官の犠牲者が出て、「EU離脱問題」も遠い過去のこととして忘れられようとしています。
そして欧米諸国では排他主義が蔓延し、極右政治家が台頭し、国家主義が復活しつつあります。日本でも例外ではありません。全体主義の傾向が強くなり個人の権利が主張しにくい雰囲気になって来ました。
人類は本当に進歩しているのでしょうか?
1990年頃にソ連が解体し、ソ連圏だった国々が独立しました。冷戦が解消して、やっと真の平和が世界にやって来たと思いました。
ところが欧米勢力が中東で大規模な戦争を始め、その報復のためのテロ事件が欧米で、中東各国で数多く起きているのです。
トルコのクーデターの背景はまだ不明です。
フランスの大型トラックを使ったテロはチュニジア移民が起こした大規模なテロ事件でした。
アメリカの黒人差別が原因になった白人警官狙撃事件は、黒人が大統領になったにもかかわらず起きているのです。白人警官が黒人を気軽に射殺する事件が跡を絶えません。それに対する報復の狙撃事件でした。
射殺事件やテロ事件は中東各国で毎日のように起きているのです。
昨日、神代植物公園を一人で歩きながら、数々の事件の犠牲者とその遺族、そして悲惨な事件が身近に起きたトルコ、フランス、アメリカの人々へ、ハスの花々の写真をお送りしようと思いました。いろいろな蓮の花を咲かせている一画があるのです。
ハスの花はお釈迦さまと一緒の花です。
平和な花です。昨日は写真を撮りながら、トルコの犠牲者、フランスの犠牲者、アメリカでの犠牲者の冥福を祈り続けていました。そして中東の各国での戦争とテロ事件を考え犠牲者の冥福を祈っていました。
残された家族に心を寄せていました。ショックを受けているトルコ、フランス、アメリカの人々、そして暗い気持ちになっている世界中の人々へ、7枚のいろいろな蓮の花々の写真をお送りいたします。
祈っている私の頬を蒸し暑い風がなでて通り過ぎます。雨雲の向こうの星空に犠牲者たちの霊が安らかに眠るようにと祈りました。
今日は7枚のハスの花の写真を謹んでお送りいたします。













「神代植物公園の花々の写真をお楽しみ下さい」

2016年07月16日 | 写真
今日も蒸し暑い曇りでした。午後から決心して暑い中を神代植物公園に行き花々の写真を撮ってきました。
種々のダリア、いろいろな蓮の花、睡蓮の花々、ランの色々、カサブランカ、夏バラの色々、多種多様な花々が咲いていました。
写真は160枚も撮りましたが今日はその一部だけをお送りします。
花々の写真をお楽しみ頂けたら嬉しく思います。









憲法改正問題を諦観の境地から想う

2016年07月16日 | 日記・エッセイ・コラム
一昨日、「現実的な平和主義者の憲法改正の主張と、弥生時代の防戦準備」と題する記事をSNSの趣味人倶楽部とブログとFace Bookに掲載致しました。趣味人倶楽部では483件のアクセス数があり45件程のコメント を頂きました。 ブログの方の閲覧数は1315人でした。他にFace Bookの方では105人の方から「いいね」を頂き、5人の方からコメントを頂きました。
憲法改正問題は生々しい問題で現在インターネットの世界では感情的な意見もあります。
そこで今日はこの現実的な問題から少し距離を置き、遠方のほうから日本という島国で何が起きているか考えてみたいと思います。
その時、役に立ちそうなのは諦観の境地と思います。仮に諦観の境地からこの問題を眺めてみると日本の現状や将来が少し見通うせると思います。
なお諦観の境地とはあまり些細なことに拘らず悟りあきらめることでです。社会と距離を置き、超然とした態度をとる境地です。
このような視点から趣味人倶楽部で頂いた45件のコメントとFace Bookで頂いた5件のコメントに対する総括をしたいと存じます。
この総括は下のような3つの部分から成っています。
(1)合計50件程のコメントに対する全般的な感想、
(2)憲法改正に反対の理由
(3)憲法改正に賛成の理由
それではそれぞれについて私の考えを述べていきたいと思います。
(1)合計50件程のコメントに対する全般的な感想、
頂きました合計50件程のコメントを丁寧に読んで感動しました。皆さんが本当にこの国の将来を真剣に考えていることに感心しました。もっと言えば溢れるような善い愛国心が行間に感じられたのです。
コメントを下さった方々はお互いに質問をし合い、議論を深め、相互理解をしようとしている態度に心が打たれました。相手の考え方に納得はしますが憲法改正に対する自分の意見は変えていません。相互理解こそ議論の建設的成果ではないでしょうか?素晴らしいことです。
勿論、すべてのコメントが礼儀正しく、建設的であったと言えばいささか嘘になります。相手のコメントの内容を理解しないで頓珍漢な返事を返した例もありました。相手に失礼な物言いをした人もいました。しかし全般的に見て、それは少数と感じました。
もう一つ私が感じたことを書きます。
この憲法改正問題で意見の対立が生じ、国民が分裂することを危惧していました。しかし頂いた50件ほどのコメントを読むと感情的な対立がほとんど感じられなかったのです。
日本の平和を守るという点では憲法改正反対者も賛成者も同じだったのです。その方法論が相違しているだけなのです。この私の危惧はイングランドからスコットランドの独立運動の影響から来ていました。しかし日本とイギリスの事情はまったく違うことに気がつきました。安心しました。
以上がコメントに対する全般的な感想です。それでは2番目の問題に移ります。
(2)憲法改正に反対の理由
反対している理由は、1、戦前のような社会へ戻る恐れ、と2、憲法を変えなくても日本の平和が維持出来るという2つの理由が主なものでした。
1、戦前のような社会へ戻る恐れ、
かつての第二次大戦で経験した悲惨さがあまりにも大きかったのです。多くの日本人、特に高齢の人々は戦前の社会のように戻る可能性のある改正には本能的に反対します。感情的に反対します。
憲法を改正しても逆戻りはしないと静かに理性的に説明しても絶対に反対します。このような感情を持っている人を非難しては間違いです。幸せな国とは感情的にも心地良い国でなければいけません。このような人々も暖かく包み込むような国にすべきです。
2、憲法を変えなくても日本の平和が維持出来る、
戦後71年間日本はこの憲法で平和だったのです。ですから将来も賢い外交を展開すれば別に憲法を変えなくても平和は守れる筈です。
アメリカの駐留費は増加すべきかも判りません。アメリカ軍の駐留を長期間に少しずつ減らして日本が独自に安全を守れるように努力すべきでしょう。
しかし現在の憲法は世界に誇れる高邁な憲法です。その上、憲法を改正するとどうしても明治憲法のような精神が少し混じってきて個人の人権や尊厳が尊重されなくなる恐れがあるのです。
この他にも憲法改正に反対の理由はいろいろあるでしょうが、次に改正賛成の理由を見てみましょう。
(3)憲法改正に賛成の理由
下のように個条書きにすることは厳密性に欠けますが、一応、列挙します。
1、現在の自衛隊は国際的に言っても軍隊であります。武力放棄を謳っている現憲法との矛盾があまりにも大きいので憲法を実情に合うように改正すべきです。
2、軍事同盟を結んでいるアメリカと対等に協力するためにはそれを法的に可能にするため憲法を改正すべきです。
3、核兵器開発などの急激な軍備拡張をしている中国や北朝鮮に対抗するためにも、日本は侵入軍を打ち破る気概を示す必要がある。そのような時代になってきたのだから、それに合致した憲法に変えるべきです。
4、世界的に見て自衛のための交戦権まで放棄している独立国がありません。ですから憲法を変えて、日本が自衛のための交戦権を持った独立国になるべきでしょう。
上の4つの理由の他にも理由はいろいろあるでしょう。
しかし今日はこの位にしておきます。

さて表題の、「憲法改正問題を諦観の境地から想う」とはどのような意味でしょうか?
この表題で私が強調したいことは二つです。
まず第一に憲法改正問題に関して絶体に感情的にならないで下さい。その為には可能な限り諦観の境地に近づいて考察を深めることが重要です。
そして第二の主張したいことは憲法改正の問題で国民が分裂しないように努力することです。最終的に憲法が改正されても、改正されなくてもそれは運命だと諦観することが重要です。
意見の対立を超越して悟りの境地から人類に平和が来るように努力したいものです。真の平和が来るように努力したいですね。
今日の挿し絵代わりの写真は湘南の平和な風景写真です。先月、自分で撮った写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)









夏が来れば思い出す幼い頃の遊びの光景

2016年07月15日 | 日記・エッセイ・コラム
何故か知りませんが夏が来るとしきりに思い出すのが幼い頃の遊びの光景です。思い出すたびに、幼かった頃に戻って夏の遊びを楽しんでいます。
私の幼い頃は戦前、戦後にまたがっていました。食べるものも無かった貧しい時代でしたが夏の日々がめっぽう楽しかったのです。
エアコンは勿論、電気冷蔵庫も無い時代でしたので暑かったに違いありませんが、不思議に暑くて困ったという記憶がないのです。
夜になると蚊帳を吊り、渦巻き形の蚊取り線香の香りを楽しみながら蚊帳に入ったり出たりして遊んだものです。網戸もありません。迷ったセミやコガネムシ、ハンミョウなどがが開け放した廊下に飛び込んで来ます。
その夏の夜には近所の子供たちとよく花火遊びをしたものです。
その昔の花火遊びの光景に似た写真を探しました。

1番目の写真は子供たちの花火遊びの写真です。
出典は、http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201508/p1_0008264353.shtml です。
花火遊びで一番魅了されたものが線香花火です。

2番目の写真は線香花火の写真です。
出典は、http://prcm.jp/album/gazou1ro1ro/pic/56877292 です。
線香花火は細い小さな花火ですが赤い丸い火の球が出来、そこから柳や松葉のような繊細な光が飛び出すのです。出来の良い線香花火は何時までも松葉の光を出します。そして散り菊の形になり、丸い火の玉がポトリと落ちて終わります。その後のシンとした寂しさ。あの笹の葉が擦れるような音が80歳になった私の耳に鮮明に残っています。
夏の夜の思い出でもう一つ忘れられない光景があります。それは夜店の並んだ通りの光景です。当時は電灯を並べるなどという贅沢が出来ません。ローソクの炎がゆらゆら揺れて幻想的なものでした。その夜店でひときわ明るい店が所々にあります。カーバイトに水を少しずつ供給しアセチレンガスを発生させ大きな炎を出させるのです。その炎がシューシューと大きな音を立てます。カーバイトから出る特有の臭いを思い出します。
夏の夜はこうして楽しい思い出が沢山ありました。
そして朝になり太陽がまぶしく中天にかかるころになると金魚売りがやって来ます。キンギョ、キンギョーとよく透る呼び声が路地に響きます。

この3番目の写真は金魚売の写真です。出典は、read:http://www.city.shimabara.lg.jp/mailmagazine/backnumber/no135(270401)/270401.html です。

4番目の写真は金魚売りの売っていた金魚の写真です。
出典は、http://ameblo.jp/rika-131/entry-11485194425.html です。

そして夏と言えば海水浴です。当時は貧しい時代だったので娯楽といえば海水浴しか無かったのです。国内旅行などまれで、海外旅行は夢の夢でした。
海水浴では海で泳いで、砂浜に寝そべって甲羅干しをするだけです。海水で冷え切った体に熱い砂が心地よく感るのです。
当時はスイカ割りなどしませんでした。スイカは貴重品です。もったいないのです。私は一度もスイカ割りの経験がありません。
そんな当時の海水浴の光景の写真を探しました。

5番目と6番目の写真は昔の川崎、扇島の海水浴場の写真です。
海水浴の写真2枚の出典は、http://hamarepo.com/news.php?news_id=403 です。

この2枚の写真に示すように海水浴には多数の人が集まり、ただ泳いで砂浜で遊ぶだけです。ビーチパラソルもビーチバレーもありません。バーベキューなど言葉もありませんでした。
そして夏休みになると子供たちは徹底的に遊び回ったのです。私は夏休みの宿題など熱心にした記憶がありません。
海水浴に行けない日は、セミ・トンボ取り、ドジョウ掬い、小鮒釣り、肝試し、なんでもやりました。
遊びは何でもやりましので後悔はありません。
そんな夏の思い出の遊びの光景を楽しみながら老境の日々が今日も静かに流れて行きます。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

現実的な平和主義者の憲法改正の主張と、弥生時代の防戦準備

2016年07月14日 | 日記・エッセイ・コラム
最近の参議院の改選で改憲派が3分の2以上の議席を獲得しました。
第二次大戦による悲惨な体験をした人々は戦争に懲り懲りなので憲法改正に絶対反対です。このような体験をした年代の人々への深い同情を忘れるべきではありません。
しかし一方、第二次世界大戦以後の世界の各国の軍備技術の進歩と数々の戦争の歴史を現実的に考えている人々も少なからず居ます。その人々の考えによると日本の平和を守るために、憲法を改正し、自衛のための交戦権を明記すべしと主張しています。
以上の状況を勘案すると、現実的な平和主義者は憲法改正に賛成し、理念的な平和主義者は憲法改正に反対していると言えます。
日本は戦後71年間平和でした。
何故平和が続いたかと考えてみると2つの見方があります。
一つは理念的な平和主義者の考え方です。それによると日本には平和憲法があったので71年間の平和があったと言います。
もう一つは現実的な平和主義者の考え方です。戦後71年間、アメリカ軍が日本の各地に軍事基地を置き、駐留をして、日本を防衛していたから日本には平和が続いたと言います。
憲法改正は一朝一夕には出来ません。慎重な準備と議論をしてゆっくり進行すると考えられます。拙速は絶対に避けるべきです。
しかし最近にわかに憲法改正に関心を持つ人々が増え、インターネットの上で議論されています。
その議論を読んでみるとかなり感情的な意見が掲載されているように感じられます。
感情的な議論は絶対に建設的な結果を生みません。

そこで今日は、少しでも感情的な議論を避ける為に約2000年前の弥生時代の人々は戦争に対してどのような準備をしていたか考えてみましょう。
その為には弥生時代の代表的な遺跡の「吉野ケ里遺跡」の展示施設を見れば明快に分かります。
日本の弥生時代は地方によって違いますが、紀元前300年から紀元後300年までの600年間と言われています。そしてその後は古墳時代を経て大和朝廷の時代へと続くわけです。

佐賀県の「吉野ケ里遺跡」の展示施設を見ると人々の戦争に対しての準備施設が周到に用意されていたのです。
遺跡は稲作の始まった紀元前300年から紀元後300年にわたって造営された環濠村落で、数多くの建物は堀や柵で囲まれ、独立した小王国のような構造になっています。特に注目すべきは敵の襲撃に備えた堅固な柵、そして環濠を呼ばれる堀があることです。
その様子は原始的ながらも中世の城郭都市を彷彿とさせる構造になっています。その様子を下の数枚の写真で示します。

この1番目の写真はまつりごとの行われていた北内郭の部分です。
出典は、http://www.yoshinogari.jp/contents3/?categoryId=10 です。

2番目の写真は復元された建物の写真です。
出典は、http://www.yado.co.jp/kankou/saga/sagasi/yosino/yosino.htmです。

3番目の写真は政治の行われていた北内郭の遠景の写真です。北内郭を環濠と柵の外から撮った写真です。
手前の高床式の家と竪穴式の倉庫は食料の貯蔵庫と考えられます。

これらの写真と青森県の縄文時代の丸山三内遺跡と比較すると明快に次の2点が大きな違いです。
(1)青森の縄文時代は戦争が少なかったらしく、敵襲へ備えた環濠や堅固な柵が無かった。
(2)青森の建物群は非常に土俗的デザインで原始的な構造をしている。それに対して佐賀県の建物群は高床式の発展した高殿式構造を有し、中国大陸や東南アジアからの文化的影響が暗示されている。
その上、縄文文化は北東北から南北海道にかけて栄えたのに対して弥生文化は九州や西日本で始まっているのです。
稲作という大きな生産力のある農業が人口増加を生み、いろいろな手工芸や鋳物細工や鉄器製造の職人をそだてたのです。
生活に使用される道具も次第に石器から金属製へと変って行ったのです。土器のデザインも呪術的な装飾が姿を消し、実用的な簡素な形に変化して行きました。
縄文文化を支えたのがアイヌ民族で、弥生文化を支えたのが朝鮮や中国から移住してきた人々と原日本人が混血した人々と仮定すると判りが良いのです。
しかし事実はもっと、もっと複雑でアイヌ人も弥生文化を受け入れたのかも知れません。アイヌと原日本人の混血も進み、地方によってはその区別もなくなったのかもしれません。

さて戦争の為に備えた防御施設をもう少し詳しく見て見ましょう。以下の全ての写真の出典は、http://www.yoshinogari.jp/contents3/?categoryId=10 です。

上の4番目の写真は環濠の内部へ入る入り口の様子です。敵襲を防ぐ逆木や乱杭が恐ろしい印象を与えています。

上の5番目の写真は人々の生活を支える畑作の様子を示す写真です。吉野ケ里遺跡ではまだ水田の跡は見つかっていませんが付近の湿地からは鍬などの農具が見つかっているの当然、稲作もされていたに違いないと考えられています。

上の6番目の写真は居住区から離れた所にある墓地の航空写真です。

上の7番目の写真は王の墳墓です。銅剣とガラスの管玉が副葬されていました。この墳墓の形は後の古墳時代の古墳の原型のように見えます。

これらの写真を見ると弥生時代から人々は戦争に悩まされていたのです。そして平和な時期でも敵襲に備えて堀を巡らせ、入り口には敵襲を防ぐ逆木や乱杭が作ってあったのです。
このような遠い昔の歴史を勘案しながら、決して感情的にならないでで現在の日本の自衛を考えるのが良いのでしょう。そしてそれに従って憲法もあせらずゆっくり変えて行くのが良いと思います。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

日本の多神教社会を讃える!、そこに住んでいる幸せに感謝する

2016年07月13日 | 日記・エッセイ・コラム
3日前の日曜日に、「後期高齢者を幸せにする諦観の日常生活」と題した記事を掲載いたしました。
この記事の趣旨は日本人は知らず知らずのうちに仏教の教えの影響を受けているというものでした。無意識のうちに影響を受けているのです。ですから日本人のキリスト教信者も深い意識の中で仏教の教えの影響を当然、受けているのです。勿論、神道の影響も受けています。
この記事の仏教の影響を無意識に受けているという趣旨に対して、フランス人と結婚し、子供を作り、幸せな家庭を持っている日本の女性から以下のようなコメントを頂きました。彼女の現在の名前はMotoko Boutdumondeさんと言います。了解を頂きましたので転載いたします。少し長くなりますが、是非、お読みください。
「こんにちは。おっしゃること、よく分かる気がします。まだもちろん諦観や達観の境地に至るには遠いですが。
確かに日本人の心の底には仏教が深く根付いていますね。私も小さいころ自分から言いだして家族で洗礼を受け、フランスに来るまでは毎日曜、欠かさずにミサに行っていました。学校もカトリック系の学校でした。
私に仏教の心があり、仏教をもっと学ぶべきだと言ったのは、フランスでお会いした精神分析学の教授でした。彼はフランス人でしたが、仏教に深い造詣があり、仏典を学べと言ったのです。
そして私はやっと自分の考えの底には仏教があるのだと気が付きました。
神道の方が根付いているかと思ったのですが、そうではありませんでした。
そして教授はキリスト教と仏教の違いと類似点を見出すように私を導いてくれました。
フランスでは仏教に興味を持っている人も、また仏教徒になった人も多いですし、フランス人のお坊さんもいます。
私の親友の結婚式のミサを挙げてくださった司祭は禅に非常に興味があり、毎年日本の禅寺に修行に行っています。また、禅に関する講演を黙想会もできるあるキリスト教の僧院を中心にあちらこちらで行っています。
私のヨガの先生も仏教徒です。パリには禅寺と小乗仏教のお寺があります。禅寺の方はみなフランス人です。そして精神分析学の教授は私の目を開かせてくれました。あまり関係はありませんが、教会でも、お寺でも神社でも、またはモスクでも祈るときは神と会話をしていると思っています。」

上に引用したMotoko Boutdumondeさんはカトリック教徒です。そして私もカトリックです。驚いたことに彼女の心が私と全く同じなのです。
明快に書けば日本人のキリスト教徒は皆例外なく仏教や神道の影響を深く受けているのです。意識すると意識しないと関わらず受けているのです。
この事に気がついてから随分年月が経ちました。
私はキリスト教を理解する場合、「それはイエスさまが本当におっしゃったことですか?それとも、その時代、その国の文化や他の宗教の影響を受けた考え方ですか?」と自問自答することにしています。
このように宗教というものを柔軟に考えらるのは日本が多神教の文化的土壌を持っているからです。
この文化のお陰で日本では歴史的にみても大規模な宗教戦争は起きませんでした。宗教自身が、その教えに反する悲惨な戦争の原因にならなかったのです。私自身も狂信的にならなかったのです。

私はこの日本の多神教的文化は平和をもたらすと思います。狂信的な過激派によるテロも起きません。
勿論、一時期に軍部が独走して、悲惨な戦禍に見舞われたことがありました。しかし日本の長い歴史の中でそれは唯一の大規模な戦禍でした。
私はこの多神教の日本の社会を讃えたいと思います。誇りにしています。そしてそこに生まれ育った幸運へ感謝しています。

今日の挿し絵代わりの写真は多神教の様子を示すために順に清瀬市の長命寺、カトリック成城教会、小金井市の貫井弁天の写真を示します。最近、自分で撮った写真です。そして近所の咲いているアジサイ、ヤマユリ、カワラナデシコの花の写真を、皆様のお楽しみのために、お送りいたします。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)











規模壮大な拝島大師、そして日本の寺院制への疑問

2016年07月12日 | 日記・エッセイ・コラム
都下、旧北多摩郡の拝島は家内の祖母の出身地であり、そこには拝島大師という天台宗の古刹がありました。明治の女性だった祖母は年老いても全ての家事をきちんとする賢い人でした。その祖母が拝島大師のことを話していたので、1963年頃に参拝に行ったことがあります。あれから茫々50年、一昨日、久しぶりに独りで訪問してみました。
驚いたことに昔行ったときの古色蒼然とした本堂がすっかり立て直され規模壮大なお寺になっていました。奥の方には立派なニ重の塔、多宝塔まで建っています。
今日はまず写真で現在の拝島大師をご紹介いたします。
そしてそれに関連しながら日本の寺院制度に対する2つの疑問を書いてみたいと思います。
一つの疑問は仏教信仰の仕方にたいする疑問です。二つ目の疑問は世の批判を浴びている高額な戒名料や墓地売買の背景に対する疑問です。

1番目の写真は本堂の西側から撮った写真です。本堂は前部と後部の二つから構成されていてその規模は壮大でかつ重厚です。

2番目の写真は奥の本堂の甍と金色に輝く鴟尾(しび)の写真です。

3番目の写真は多宝塔の写真です。
このような写真で示した規模の大きな寺院は東京の都下には珍しいものです。
私は寺院が好きでドライブの時見かけるとよく車を停めて境内を散歩します。
カトリックの洗礼を受けていますが、お釈迦様の教えも好きでなので境内を散歩しながらいろいろな事を思い出すのです。
さて第一の疑問です。
この拝島大師のご本尊様は比叡山延暦寺の中興の祖として知られる良源(元三大師、慈恵大師)を本尊として祀っています。

帰宅して拝島大師のことを調べました。そしたらHPには以下のように書いてあるのです。
・・・拝島大師の元三・慈恵大師の正体は如意輪観音ですので、大師の力を念じ、信仰することで皆さまの苦境はたちまち乗り越えることができるのです。朝に暮れに観世音を念じる。その一念はすべて我々の心、煩悩に汚れた迷いの心から起こる。一念一念はいつも我等の心を離れない。いつも観音さまを心に念じ、無事に暮らしたいと願います。お大師さまが観音さまの生まれ変わりであることが了解されます。・・・

このHPにはお釈迦様のことが一切書いてありません。それどころか慈恵大師のことが長々と饒舌に書いてあるのです。(http://haijimadaishi.com/haijimadaishi/)
私がかねがね疑問に思っていたことは、「何故日本の寺院はご本尊だけを重視し、お釈迦様の教えを書かないのだろうか?」ということです。勿論、例外はありますが、多くの寺院はご本尊様への信仰を薦めていますが、お釈迦様への直接的な信仰に言及していません。
このことを私は不思議に思っています。

私は「自分の弟子はつくるな。お釈迦様の弟子を作れ」ということが大切だと思っています。日本の寺院はご本尊さまの弟子を作ることに熱心過ぎるように感じています。
誰方か、この疑問を解消して下さるようにお願いいたします。

さて第二の疑問は高額な戒名料や墓地の売買問題です。
日本の寺の数は約7万位あります。
しかしその大部分は財政難で苦しんでいると言われています。
この7万のお寺を大胆に二分すると金持ちの宗派に属するお寺と貧乏な宗派に属するお寺があります。
金持ちの宗派の例は高野山の真言宗と比叡山の天台宗です。そして鎌倉仏教では日蓮宗です。
拝島大師は天台宗なので規模壮大にお寺を再建出来たようです。
そして経済的に苦しい多くのお寺は、存続のために財政難で苦しんでいます。その一番大きな原因は以前の檀家がお墓を自宅に近い便利な墓苑へ引っ越すからです。昔のお墓を放棄して散骨や樹林葬にするからお寺の収入が激減しているのです。従って戒名料と残った墓地の売買で住職の生活を支えなければなりません。
この問題は以前にも何度か書きましたので今回はこのへんで止めます。
私の第二の疑問は経済的に困っている末寺の経営努力を宗派の本部が指導し、支援しているのかという疑問です。本部は支援するどころか末寺に上納金を徴収しているのではないでしょうか?
宗教法人とは言え、健全な財政にするための経営コンサルタントへ依頼しているのでしょうか?どうも経営の素人の住職さんが非常識な戒名料や墓地売買だけに頼って顰蹙を浴びているように思います。
私の第二の疑問は財政難のお寺の宗派の本部の行っている経営努力へ対する疑問です。
どなたかご存知の方がお教え下されば幸いです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

4番目の写真は本堂の前の左右に並んでいるお堂の写真です。

5番目の写真は参拝者が本堂のほうへ登っていく入り口です。護摩供祈願が大きな収入になっているのでしょうか。

今回の参院改選結果で憲法改正がいよいよ進行する

2016年07月11日 | 日記・エッセイ・コラム
今朝の新聞やテレビのニュースでは自民党と公明党が議席を増やし、その他の憲法改正賛成派の政党の議席を加えると改正に必要な3分の2以上の議席を参議院で確保したと報じられています。
アメリカ、ヨーロッパ、韓国、中国でも改選結果が報じられ、日本の憲法改正が進むという内容も報道されているということです。
安倍総理は憲法改正を重要な政策として在任中に道筋をつけたいと述べています。
さてこの際、戦後、アメリカ占領軍の指導で作成された現行の憲法の改正について少し考えていたことを書いてみたいと思います。
結論を言えば私は憲法を改正することに賛成です。
理由はいろいろありますが、私は理論と現実はなるべく一致していた方が良いと信じているからです。
現行の憲法では軍隊の解消と戦争の放棄を明記しています。
しかし我が国の自衛隊の現実は軍隊に必要な条件を満たしていると考えられるのです。諸外国の常識から判断すると自衛隊はまぎれも無く軍隊です。戦前の日本の軍隊との違いは広範な権力を持った憲兵がいないことです。そして軍法会議が無いことです。
しかしこの違いがあっても自衛隊の最新の戦闘機や海軍艦艇をみれば、それは常識的に軍隊と呼ぶべきです。
すなわち憲法に嘘と誤解されそうな軍備放棄が明記してあるのです。その部分は改正して貰いたいのです。
改正反対派の主張は戦争放棄を明記した現行の平和憲法を改正すれば戦争が起きるというものです。そしてこの平和憲法が存在したお陰で戦後71年間の平和が守れたと主張します。
私は平和こそ一番大切なことだと信じています。それを守るためには全ての外交努力をしなければなりません。
しかし平和憲法があったから日本は平和だったという理解は根本的に間違った理解の仕方です。
日本の平和を守ったのは核戦力も含めたアメリカ軍のお陰です。そしてかなり優秀な装備を持っている自衛隊があったからです。これが現実です。
ところが現行の憲法は自衛のための戦争まで完全に放棄すると誤解されるような高邁な精神が書いてあるのです。
外国との紛争の解決に戦争は始めるべきではありません。絶対に開戦してはいけません。
しかし日本を守るためには、侵入して来たいかなる敵も粉砕するという気概を明記したうえで、日本はいかなる紛争の解決にも戦争は始めないと明記すべきと思います。
さてここで重要なことは自衛隊の制服組の独断専行を防止するためのシビリアン・コントロ-ル
(文民統制)を明記することです。
以上は綺麗ごとを書いたに過ぎません。
一番、難しいのはどんな状況になったら自衛のための武力行使をすべきかという判断です。
攻撃は最大の防御ですから最悪の状況になるかなり以前に自衛隊が実力行使をしがちです。
この判断は国民の代表である政治家がすると明記すべきです。
もう一つの困難は日本がアメリカと安保体制を作ってあります。それは相互軍事同盟なのです。
アメリカ政府が日本へ海外派兵の要請をしてくれば受けざるを得ません。あのイラク戦争は日本の自衛のための戦争だったのでしょうか?
もし断っていたらアメリカは日本防衛の手を抜くのが人情ではないでしょうか?
ですからこの問題は非常に難しい問題です。
このように書くと、すぐに安保条約を破棄して日本の平和を自衛隊だけで守れば良いと主張する人がいます。その気持ちは理解できますが、ことはそう単純ではありません。
第一に日本の自衛隊だけでは核武装している近隣の国々の攻撃から日本を守れきれないからです。
第二にアメリカにとっては日本の基地が橋頭保として作戦上非常に重要なのです。ですから近い将来はアメリカは日本から完全に撤収するとは考えられないのです。
憲法改正にあってはこのような現実をよく考慮して細心の考察を進めることが重要です。
ですから憲法改正の作業はそんなに簡単ではないと私は考えています。
以上が憲法改正に関する私の考えです。
皆様からのいろいろなコメントを頂けたら嬉しく思います。
今日の挿し絵代わりの写真は先日、都立薬草植物園で撮った花の写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)





後期高齢者を幸せにする諦観の日常生活

2016年07月10日 | 日記・エッセイ・コラム
最近、三回ほどイギリスのEU離脱問題を話題にした記事を書きました。
そうしたらある方から以下のようなコメントを頂きました。「もうイギリスのEU離脱も昔の話です。ダッカでのテロも新聞紙上を賑わさなくなりました。老人にとって大切なのは家庭菜園のトマトの成長だと思います。」
このご意見にしたがうと、高齢者にとっては、日常の生活をどのように暮らすかということが一番大切になります。
そこで今日は、トマトがうまく成らなかったら、それをあっさり あきらめてキューリを植えれば良いという日常生活の心の在り方を考えてみたいと思います。
そういう生活を私は「諦観の日常生活」と言います。
辞書をひくと諦観とは悟りあきらめることで超然とした態度をとることと書いてあります。
何故この態度を後期高齢者に薦めるのでしょうか?
理由は簡単でその年齢になると誰でもこの諦観の境地になりやすくなるからです。そして諦観の境地になると全ての心配事が無くなります。幸せになります。
ですから毎日の日常生活を諦観の境地で笑って楽しく過ごすのが良いと思います。
それでは諦観の境地になるための具体的な考え方を書きます。
(1)朝起きたら生きていることを喜びます。
(2)朝から今日の3食に、どのような美味しいものを食べようと真剣に考えないことです。冷蔵庫にある魚や肉を上手に料理すれば美味しい食事が出来ます。冷蔵庫に何もなければウドンやソーメンを茹でて、出汁を工夫して美味しく食べます。
(3)子供や孫がさっぱり遊びに来なくても諦めて愚痴を言わずに平穏な気持ちになります。
(4)病院へ行くのが嫌でもそれが老人のたった一つの義務だと諦めて、ハイキングに行くような楽しい気分で気軽に出かけます。
(5)夫や妻が先に逝ってしまってもあきらめて、楽しい思い出だけを大切にして暮らします。
その他いろいろありますが何事も若い時のように高望みをしないで身の回りにあるものだけを工夫して使い平穏な気持ちで過ごすのです。

さて先日、達観の境地の具体的なあり方を書きました。そうしたら多くの高齢者から達観の境地を楽しんでいますというコメントを頂きました。
そしてある方が言っていました。達観の境地とはある程度、充実した人生を送った人のことではないでしょうか。私は諦観の境地ですというコメントを頂きました。達観でも諦観でも雑に言えば同じようなものです。毎度、雑ですみません。
そこでいろいろ深く考えています。
達観も諦観もお釈迦様の教えた「悟りの境地」と同じようなものです。
ある国際的な統計によると、日本人は外国の諸国と比べると宗教を信じている人が非常にに少ないのです。
仏教は1000年以上も日本に存続していますが、現在は、意識的に仏教を信じようとする人が少なくなっているようです。
あなたは仏教徒ですかと聞くと、いや信じてはいませんが、お寺さんとお付き合いはしていますという答えも返ってきます。
ですから多くの人が仏教とは関係無く達観や諦観の境地に入ろうとしているのかも知れません。それが仏教の悟りの境地と同じようなものだと意識していないのです。勿論。意識している人もいますが。

意識していないとしたら仏教は知らず知らずのうちに日本人の心に大きな影響を与えていると言えます。


日本が仏教国だと欧米人がよく言います。私も何度も聞きました。何故ですかと聞き返すと全国にお寺がいっぱいあります。巨大な仏像や観音像が立っています。そして日本人が行動を決める時、必ずのように仏教の影響を受けています。ですから仏教国だと言うのです。
今日の私の主張は、特に新しいものではありません。日本は正真正銘の仏教国だという主張です。この主張が仮に正しいとすれば、後期高齢者が諦観の日常生活を幸せに送ることは自然なことと思います。

私自身は諦観の毎日ではありません。ときどきその真似事をしているだけです。
実はキリスト教にも悟りの境地に近い教えがあります。野山を嬉々として飛んでいる小鳥たちには何の心配事がありません。神様が良いようにしてくれるのです。この世の欲望を捨てて神様やイエスさまへ全てを任せなさいと教えています。わたしはこれが悟りの境地だと独りで合点しています。これから参議院の投票をして、ミサへ行きます。
今日の挿し絵の写真は相模湖のそばでフラリと寄った善勝寺の写真と小金井の真蔵院のハスの花の写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)





「イギリスのEU離脱を讃えたい・・」へのコメントと重要な訂正

2016年07月09日 | 日記・エッセイ・コラム
一昨日、「イギリスのEU離脱を讃えたい、それにしてもマスコミの偏向報道」という記事を掲載いたしました。
それに対して30件程のコメントを頂きました。有難う御座いました。
コメントの大部分はこの記事に書かれている私の意見の不備を指摘し、考え直すべきだという厳しいものでした。
そのご指摘の主な内容を整理すると以下のようになると思います。
(1)イギリスがEUを離脱した理由はEUへの経済的負担や多数の移民の流入によって職場を失ったからである。
(2)この移民問題の現実的な脅威は今後増加しそうなシリア難民や中東からの難民によって増大している。
(3)イギリスの離脱に投票した人々は離脱に賛成派の宣伝のお陰で軽く考えて投票した。
(4)民族文化のアイデンティテーなどは現在のヨーロッパの若者は重要視しない。それよりヨーロッパ中で自由に就職したい。
(5)イギリスはそれぞれの歴史が異なるイングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドからなっていて、スコットランドは圧倒的に残留賛成であった。そのことに一切ふれていない今回の記事はイギリスの複雑な国内事情を無視し過ぎている。
(6)各国の自動車に関する特徴は30年ほど前の評価であり現在の状態と大幅に違っている。(この部分は今日の訂正で削除しました。)

以上のご意見を2日間考えましたが全く正しいということに気がつきました。
しかしEU離脱の主な理由は上記のようなものであるとしても、私は少数ながらも「民族文化のアイデンティティ」を守ろうとして離脱へ投票した人がいたと思います。
その人数は決して多くはなかったにしても大変重要な理由ではないかと考えています。この民族文化を守ることの重要性は伝統的な日本文化の維持、発展の重要性を暗示しているのです。

そこでこの私の主張を再度明快に示しながら題目と本文を大きく訂正したいと思います。
訂正の柱は離脱の主な理由は移民問題だと明記しながら、一方で「民族文化のアイデンティティ」を守ることの重要性を強調することの2本の柱です。
それでは以下に題目と本文の訂正を示します。

「イギリスのEU離脱と民族文化のアイデンティティ」

イギリスのEU離脱を国民の半分以上が賛成したのです。
ある方が先日、以下のようなコメントを送ってくださいました。
イギリス人に気概があれば、EU脱退を今後の発展の正解にできるし、努力しなければ不正解になるだけです。EU結成自体大きな賭けで、まだ正解も不正解も出ていないように思います。
この意見は客観的にしかも公平に見ています。将来の歴史も見ないうちからマスコミはイギリスが凋落すると騒ぎたてるのは時期尚早と思います。
ですから私は現時点でEU離脱を讃えたり、逆に非難するのは正しくないと思います。

それではEU離脱の重要な理由とは何でしょうか?
その理由の主なものは、EUへの経済的負担や多数の移民の流入によって職場を失ったからと理解するのが正しいようです。。
しかし離脱に賛成した人の中には少数ながら民族特有の文化を守るためを考えた人々がいた筈です。イギリスの文化を守るためです。
そこで今日は文化的アイデンティティを守ることの重要性について考えてみたいと思います。この問題は伝統的な日本の文化の将来を考える上でも重要な問題なのです。

ある民族にとってその固有の文化を守ることが経済的問題より重要だったとしたら、その民族は称賛すべきです。これは私の個人的な意見です。
以下は私の30年前、40年前の昔の経験です。現在のヨーロッパは変わってしまったとは思いますが、まあ、お読み下さい。
昔、ヨーロッパの旅をなさった方々にはお分かりとおもいます。国ごとに文化が違います。その文化の違いに魅了されたのです。
イギリスはドイツと違います。フランスと違います。イタリアと非常に違います。スウェーデンと違います。
料理の美味しい国はフランスです。イタリアです。ドイツ料理もイギリス料理も尊敬出来ません。
絵画芸術や彫刻はフランスとイタリアです。クラシック音楽の作曲はべートーベンやモーツルトのようにドイツ文化圏です。
産業革命と科学技術の国はイギリスです。これが昔のヨーロッパです。

そしてヨーロッパ人は自国の文化に強烈な誇りを持っていたのです。
昔、ドイツに住んでいた頃に、何度もドイツ人と一緒にビールを飲みました。酔ってくると彼らは自国の文化を自慢し始めます。クラシック音楽と物理学を作ったのはドイツ人だと自慢します。私がイギリスの産業革命を褒めると、イギリスはヨーロッパではないと放言します。
そして宗教改革をしたのはドイツ人だと自慢します。私がカトリックやローマ法王の重要さを指摘すると、イタリアはアフリカの始まりでヨーロッパの辺境だと言います。
酒席の議論ですから論点がどんどんずれて行きます。話になりません。
しかしドイツ人の本音が出て来ます。それで判ったことはヨーロッパ人の強烈な文化的自負心です。

これはドイツに限ったことではありませんでした。フランスに行き、レストランで間違ってドイツ語を話したら大変です。フランス語でまくし立てて、早く注文しろとフランス語のメニューを見せます。
ならばと英語を使うと態度が柔らかになりますが、フランス語を使います。彼らは私の使う単純なドイツ語も英語も判るのです。しかしフランス語しか使いません。彼らはフランス語を自慢に思っているのです。
あるフランスの友人にうっかりドイツを褒めました。そうしたらフランスの印象派の美術館を見なさいと言います。そしてドイツにはたった一人の画家、デューラーしかいませんと言います。

まあ以上は昔話です。今回の投票でEU離脱に賛成した人々は高齢者だったと報道されています。以上の昔話と何故か関係があるように私には思えるのです。
文化の違いに関心がある人なら、昔のヨーロッパの国々の文化の違いに魅了されると思います。

イギリスがEUに残留していたら伝統的な固有の文化がいずれ消滅するでしょう。そして移民で成立しているアメリカのような文化に変わって行くのです。
マスコミは「移民に反対だからEUから離脱する」という経済的理由だけを報道しています。この報道には大筋において大きな間違いはありません。
しかし少数ながらイギリス文化のアイデンティティの保守の為にEU離脱に投票した人がいる筈です。これは日本の伝統的な文化の将来の運命にとっても重要な問題を提起していると思います。

さて上記ではイギリスの民族文化という総合的な表現を用いました。しかしイギリスはそれぞれの歴史が異なるイングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドからなっています。スコットランドは圧倒的に残留賛成であったのです。
ですから上記でイギリスの民族文化と言うときはイングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの民族文化を意味するのです。話はもっと複雑なのです。この問題はスコットランドの独立にも関係しています。もっと詳細に考えるべきと思います。

西洋には「人間はパンのみで生きるべきではない」という教えがあります。この格言は日本固有の文化の維持にとっても重要ではないでしょうか?
なお今回の記事では東ヨーロッパの諸国やウクライナやロシアに言及しませんでしたが、私はヨーロッパに含めて考えています。
今日の挿し絵代わりの写真は昨日、都立薬草植物園で撮った花の写真です。花の名前は順々に、キキョウ、ノカンゾウ、アーティチョーク、ヤブカンゾウ、ヤマユリです。


それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)









薬草の花々の写真をお楽しみ下さい

2016年07月08日 | 写真
今日は午後から曇りになり少し涼しくなりましたので小平市にある都立薬草植物園に行きました。
薬草の花々の写真をお楽しみ頂ければ嬉しく思います。

写真は家内が撮りました。

1番目の写真はカルドンです。

2番目の写真はトウキです。

3番目の写真はコガネバナです。

4番目の写真はクチナシです。

5番目の写真はハナハッカです。

イギリスのEU離脱を讃えたい、それにしてもマスコミの偏向報道

2016年07月07日 | 日記・エッセイ・コラム
イギリスのEU離脱を国民の半分以上が賛成したのです。
ある方が先日、以下のようなコメントを送ってくださいました。
イギリス人に気概があれば、EU脱退を今後の発展の正解にできるし、努力しなければ不正解になるだけです。EU結成自体大きな賭けで、まだ正解も不正解も出ていないように思います。
この意見は客観的にしかも公平に見ています。将来の歴史も見ないうちからマスコミはイギリスが凋落すると騒ぎたてます。
マスコミはイギリスのEUへの負担金や自由な移民による職場の減少という経済的な理由だけを報じ、離脱を一方的に非難しています。
そして離脱に賛成した人々の心の中にあるいろいろな理由を一顧だにしません。
ですから経済的理由だけを報道するマスコミは偏向報道と非難されるべきです。これが私の今日の記事の主張です。
それではEU離脱の重要な理由とは何でしょうか?
その理由は民族特有の文化を守るためです。イギリスの文化的アイデンティテーを守るためです。
ある民族にとってその理由は経済的理由より重要な理由だったとしたら、その投票結果は称賛すべきです。これは私の個人的な意見ですが、まあ続きをお読み下さい。
ヨーロッパの旅をなさった方々にはお分かりとおもいます。国ごとに文化が違います。その文化の違いに魅了されます。
イギリスはドイツと違います。フランスと違います。イタリアと非常に違います。スウェーデンと違います。
料理の美味しい国はフランスです。イタリアです。ドイツ料理もイギリス料理も尊敬出来ません。
絵画芸術や彫刻はフランスとイタリアです。クラシック音楽の作曲はべートーベンやモーツルトのようにドイツ文化圏です。
産業革命と科学技術の国はイギリスです。
そしてヨーロッパ人は自国の文化に強烈な誇りを持っているのです。
昔ドイツに住んでいた頃に、何度もドイツ人と一緒にビールを飲みました。酔ってくると彼らは自国の文化を自慢し始めます。クラシック音楽と物理学を作ったのはドイツ人だと自慢します。私がイギリスの産業革命を褒めると、イギリスはヨーロッパではないと放言します。
そして宗教改革をしたのはドイツ人だと自慢します。私がカトリックやローマ法王の重要さを指摘すると、イタリアはアフリカの始まりでヨーロッパの辺境だと言います。
酒席の議論ですから論点がどんどんずれて行きます。話になりません。
しかしドイツ人の本音が出て来ます。それで判ったことはヨーロッパ人の強烈な文化的自負心です。
これはドイツに限ったことではありません。フランスに行き、レストランで間違ってドイツ語を話したら大変です。フランス語でまくし立てて、早く注文しろとフランス語のメニューを見せます。
ならばと英語を使うと態度が柔らかになりますが、フランス語を使います。彼らは私の使う単純なドイツ語も英語も判るのです。しかしフランス語しか使いません。彼らはフランス語を自慢に思っているのです。
あるフランスの友人にうっかりドイツを褒めました。そうしたらフランスの印象派の美術館を見なさいと言います。そしてドイツにはたった一人の画家、デューラーしかいませんと言います。
文化の違いに関心がある人ならヨーロッパの国々の文化の違いに魅了されると思います。
最後に簡単な実例を一つだけあげます。
それは国別の乗用車の違いです。日本で外車に乗っている人を見ると、「金持ちが見栄で乗っている」と軽蔑する人がいます。
これは車文化の違いが判らない偏見的な批判です。
実際に自分で運転してみると外車はそれぞれ日本の車と非常に違うのです。
詳しく書くと長くなるので割愛しますが、例えばドイツ車はドイツの文化を背負っています。運転してみると全ての部品が正確に動きます。イタリアのアルファロメオはイタリアらしい人生の謳歌を感じさせます。しかしよく故障します。フランスの車はドイツ資本が入っていてもフランスらしい美しい内装と外観があります。いささか信頼性に欠けます。そしてイギリスの高級車はかつてのロールスロイスの雰囲気があります。大衆車のミニクーパーには、あのMGの走りを感じさます。
このようにヨーロッパの車は皆独自の文化を感じさせます。ですから運転していて楽しいのです。
一番個性の無い車は、私が愛用している日本の車です。故障が無くて安心なのです。外車は面白いのですが手が届きません。
そしてアメリカの車も乗り心地は良いのですが文化的な個性がありません。
イギリスがEUに残留していたら伝統的な固有の文化がいずれ消滅するでしょう。そして移民で成立しているアメリカのような文化に変わって行くのです。
マスコミは「移民に反対だからEUから離脱する」という言葉の深い意味を考えないで、経済的理由とだけと報道しています。マスコミの浅薄さが結果として偏向報道になったのでしょうか?
日本のマスコミはもっともっとヨーロッパの多様な文化の相違を分かりやすく報道すべきと思います。
そしてイギリスのEU離脱の理由を経済問題だけと決めつけないで欲しいのです。イギリス文化のアイデンティテーの保守にあるという事も報道すべきと思います。
西洋には「人間はパンのみで生きるべきではない」という教えがあります。今回の大多数のイギリス人はこれに従っただけです。
なお今回の記事では東ヨーロッパの諸国やウクライナやロシアに言及しませんでしたが、私はヨーロッパに含めて考えています。
今日の挿し絵代わりの写真は昨日、行った町田市立の薬師池公園で撮った写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)













人々の悲しみと灯篭流し、それは美しい夏の風物詩

2016年07月05日 | 日記・エッセイ・コラム
人は悲しみの器と言います。人生を歩んでいくといろいろな悲しい思いをします。その悲しみは思い出として心に積み重なって行きます。本当に悲しい出来事は消えることなくこの小さな体に溢れています。
悲しみにはいろいろありますが、祖父母、両親、夫婦の別れの悲しみ、そして一緒に遊んだ友達との別れほど悲しいものはありません。
夏になると、亡くなった人をあの世におくるためあちこちで灯篭流しがおこなわれます。夏の暗い川面にほのかに光る灯篭を流します。故人の冥福を祈ります。楽しかった思い出を懐かしみます。祖父母、両親、親族、恩人や友人との別れの悲しさが少し癒されます。
それは夏の美しい風物詩です。日本民族の心の美しさです。
写真に九州の延岡の五ヶ瀬川の川面の写真をお送りいたします。

1,2、3番目の写真の出典は延岡市仏教会が主催した五ヶ瀬川の『流れ灌頂』(http://www.pawanavi.com/staffblog/nagarekanjyou2014/ )です。



この灯篭流しの写真を見つめていると、今は亡き祖父母や両親のことを思い出します。そして消えてしまった幼友達のことを思い出します。
みんな、みんなあの世で幸せにしているようにとお祈りします。暗い川に浮かんだ灯篭がゆっくりと流れて行きます。だんだん小さくなって暗い川下に消えて行きます。
灯篭流しと言えば似たものに長崎の精霊流しもあります。
この長崎の精霊流しでは精霊船を町中を賑やかに引いて行って、海に流すのです。海の向こうにある浄土に亡くなった人の精霊を送り、冥福を祈ります。
この長崎の精霊流しの写真を示します。

4番目の写真は長崎大学医学部の精霊船の写真です。
出典は、http://blog.livedoor.jp/naika2staff/archives/3492201.html です。

5番目の写真は賑やかに送る長崎の精霊船の写真です。
出典は、https://www.youtube.com/watch?v=_zW-sFin_nQ です。
長崎の精霊流しと灯篭流しは非常に違います。
灯篭流しはあくまでも静寂を守ります。一方長崎の精霊送りは船を送るとき爆竹を鳴らします。威勢の良い掛け声をかけます。騒々しく陽気に死者を送るのです。その陽気さの中に深い悲しみがひそんでいるのです。
その深い悲しみを美しく歌いあげたのが さだまさしの「精霊流し」という歌謡曲です。

さだまさし「精霊流し」https://www.youtube.com/watch?v=gg504_XlHu0

去年のあなたの想い出が
テープレコーダーからこぼれています
あなたのためにお友達も
集まってくれました

二人でこさえたおそろいの
浴衣も今夜は一人で着ます
線香花火が見えますか 
空の上から

約束通りにあなたの愛した
レコードも一緒に流しましょう
そしてあなたの舟のあとを
ついてゆきましょう

私の小さな弟が
何も知らずにはしゃぎまわって
精霊流しが華やかに
始まるのです

あの頃あなたがつま弾いた
ギターを私が弾いてみました
いつのまにさびついた糸で
くすり指を切りました

あなたの愛した母さんの
今夜の着物は浅黄色
わずかの間に年老いて
寂しそうです

約束通りにあなたの嫌いな
涙は見せずに過ごしましょう
そして黙って舟のあとを
ついてゆきましょう

人ごみの中を縫うように
静かに時間が通り過ぎます
あなたと私の人生をかばうみたいに

この歌は若くして亡くなってしまった恋人か、あるいは妻か夫を偲んだものと一般的には理解されています。
残された者の深い悲しみがせつせつと唄われています。
是非、https://www.youtube.com/watch?v=gg504_XlHu0 の動画で若かった頃のさだまさしの歌をお聞きになって下さい。

この歌を恋人か、あるいは妻か夫を偲んだものと理解しても良いと思います。
しかし、歌詞の設定は恋人同士でも、婚約者でも、新婚でもないそうです。
さだまさし、いとこの兼人さん、その母親の三人が登場人物です。母親は「おばさん」と呼んでいます。
もともと、まさしの両親一家とおばさん一家は中国に住んでいて日本に帰ってきたそうです。
帰国後、おばさんは離婚して、ジャズ喫茶「椎の実」をひらいたそうです。兼人さんはそのおばさんの息子だったのです。
さだまさしは兼人君と仲が良かったようです。その兼人君が海でヨットのオールを流され、それを拾うために海に飛び込んだのです。しかし兼人君は海から二度と帰って来なかったそうです
息子がおばさんより先に死んでしまったのです。

そして年があけて次の年の夏に、兼人さんの初盆を迎えます。
さだまさしの故郷の長崎では、お盆行事として「精霊流し」が行われます。
この歌は、「精霊流し」の時に、さだまさしが、兼人君を偲び、おばさんとの思い出をつづった歌だそうです。
おばさんの着物が浅黄色なのは、長崎の風習に従って息子の新盆に着る着物の色だそうです。

この悲しい歌が私の耳に焼き付いています。焼き付いて何十年にもなりますが、毎年夏になるとこの歌のメロディと歌詞を思い出します。そして人は悲しみの器だという言葉を思い出します。全ての死者の冥福を祈ります。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

イギリスのEU離脱を大歓迎する中国、そしてプーチン大統領は?

2016年07月04日 | 日記・エッセイ・コラム
イギリスのEU離脱に関して日本のマスコミはイギリスが経済的に苦境におちいるという悲観的な記事が数多く報道されています。
そしてイギリスへ進出している日本の企業が1000社もあるので、日本の経済も大打撃を受けるというような記事だけが掲載されています。
しかし視野を広げて観察すると、イギリスのEU離脱を大歓迎している国もあるのです。それは中國です。
ロシアは経済的にはEUと深い関係があるので微妙な立場です。しかしヨーロッパの結束が弱まれば軍事的にはロシアの負担が減ります。ロシアにとっては西側のNATO軍事同盟が不愉快なのです。ですからロシアは経済的な懸念を持ちながらも軍事的緊張が緩和されるのは歓迎です。プーチン大統領はひそかにニンマリしていると言われています。

一方中国はヨーロッパから遠方にあるのでNATO軍事同盟はあまり気にしないと考えられます。
ですからイギリスのEU離脱は中国の国際的な経済活動をより自由にさせ、中国の世界経済支配をより有利にさせる効果があるのです。
この傾向は日本の国際的地位を低める効果につながります。日本はもっと広い視野でイギリスのEU離脱を考えるべきではないでしょうか?
今日はNewsweekの「イギリスEU離脱と中国の計算」(6月26日)を簡略にし、分かりやくして、お送りしたいと思います。詳細は、http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/06/eu-27.php にあります。
中国は以前から、イギリスのEU離脱に備え、いくつもの手を打っていたのです。
ドイツのメルケル首相やロシアのプーチン大統領の訪中だけでなく、中国が主宰するアジアインフラ投資銀行(AIIB)への規参加国を24カ国も増やしているのです。
 イギリスがEUから離脱したがっている傾向は、早くから中国は知っていて、それを利用して来たのです。
 まず金融センターの中心をアメリカのウォール街からイギリスのシティに移しました。つぎにチャールズ皇太子やキャメロン首相らによるダライ・ラマとの蜜月を非難して、困惑するイギリスの痛いところを突いたのです。
 キャメロン首相が折れたところで、「それならば」とばかりにAIIBへイギリスが一番乗りで加盟させたのです。
これは驚きです。先進7カ国(G7)に中でイギリスだけが中国の主宰するAIIBへ加盟してしまったのです。

そしてイギリスのEU離脱の日に備えて、イギリスとは別にEUとの連携を強化し、EUで最大の力を持っているドイツをターゲットにし友好関係を推進したのです。日本とドイツとの戦後対応を比較してドイツを持ち上げ、習近平国家主席や李克強首相によるたび重なるドイツ訪問やメルケル首相の訪中を何度も成功させ、備えてきました。もちろんEU本部が置かれているベルギー訪問も怠っていません。
ドイツのメルケル首相による訪中は、今年6月13日で9回目を迎え、尋常ではありません。安倍総理は何回、中国を訪問したでしょうか?

中国がドイツをひいきにする理由は、第二次世界大戦に対する戦後処理に関して日本と比較して日本非難を行なうのに好都合だという理由だけではないようです。
改革開放後、中国が自家用車の製造に関して技術提供を世界に求めたとき、日本が中国を見向きもしなかったのに対して、ドイツはフォルクスワーゲンの技術提供を申し出ました。フォルクスワーゲンの意味は「国民の車」。まさに中国の自家用車開発の理念にピッタリで、中国はフォルクスワーゲンを「大衆」と訳して自家用車「大衆」を大量生産していったという過去があります。

一方、イギリスがEUから離脱すれば、イギリスはますます中国への経済依存度を高めるねばなりません。
中国はイギリスを自分の経済圏に取り込むのがより容易になるのです。
そして中国とEUとの関係をメルケル首相を通して強化していれば、中国はEUとイギリスの両方を手に入れ、「漁夫の利」を得ることになるのです。。

日本のマスコミはあまり報じませんが、中国主宰のアジアインフラ投資銀行(AIIB)の発展こそ日本経済の脅威です。 
AIIBは、これまで57カ国が創設メンバーとなっていましたが、6月25日に北京で開催されたAIIB第1回年次総会において、新たに24カ国の代表が総会に参加しているのです。
この24カ国は、一朝一夕に「突然」加盟意向を表明したわけではありません。中国政府の根気良い外交努力の結果なのです。
 つまり中国はイギリスがEUから離脱する日に備えて、ドイツのメルケル首相との関係を緊密化してきただけでなく、AIIBの強化をも、もくろんできたのです。来年には加盟国が80ヶ国を越え、日本が中心となっているアジア開発銀行(ADB)(現在、67ヶ国)を抜くことになる勢いです。

そして中国の目は、西欧から中央アジアあるいは東欧との連携にも向けられているのです。
英国の国民投票当日と2日後、プーチン大統領と中国・習近平国家主席がウズベキスタンと北京で会談しています。話し合では、パキスタン、アジア、ヨーロッパ、南シナ海、地球、五輪、などの広い話題が出たそうです。

以上のような中国の外交の展開から、中国はイギリスのEU離脱を大歓迎していると結論しても大きな間違いは無いと私は信じています。
日本のマスコミは北京で沖縄独立のシンポジュウムが開かれたというような感情的な報道はすぐにしますが、中国の用意周到な外交努力の積み重ねのような地味ながら非常に重要な記事の掲載が少な過ぎます。日本の外交が中国の外交に負けているように感じられるのは私だけでしょうか? 嗚呼。
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今日の挿し絵代わりの写真は江戸時代から続く仙台の七夕祭りの写真です。上の記事内容とは一切関係ありません。毎年、旧暦の七夕に近い8月6日、7日、8日に開催されます。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)









今日は幸田和生司教さまのミサに行きました

2016年07月03日 | 日記・エッセイ・コラム
今日のカトリック小金井教会での10時からのミサは久しぶりに幸田和生司教さまが司式してくださいました。
2つのことが感動的でした。
一つは今日読み上げられた「イザヤの予言」、「使徒パウロのガラテヤの教会への手紙」、と「ルカによる福音」は世界中のカトリック教会で同じように朗読されますという幸田司教さまのお話しで、世界中の教会が一致していることに感動しました。そしてかつて自分が訪れた外国の幾つもの教会を懐かしく思い出しました。
カトリック教会のミサは世界中同じなのです。そして各地の司教区はローマ法王のフランスコ教皇に直接つななっがています。ですから説教でもフランシスコ教皇さまの話がよく出ます。
二つ目は幸田司教さまの説教が実に明快なことです。
今日の説教の主題はイエスさまの言う「平和」の意味でした。
日本人は戦争さえ無ければ平和だと思っています。その理解も間違っていませんが、イエスさまの言う平和とか神の与えてくれる平和の意味はもう少し厳しい意味があります。
「主の平和」というときの平和とは心の中に憎しみや争いの無い完全に穏やかな状態であることが必須条件です。平和は個人の心から生まれるのです。例えば独裁国家で人権蹂躙があるような社会では、たとえ戦争が無くても平和とは言えません。あるいは横暴な父のいる家庭では一見平和な家庭に見えても家族一人一人の尊厳が大切にされていなければ平和とは言えません。
このように理解すると神が人間に与える平和は非常に大切なものです。
そのような平和が心の中にありますようにという祈りがミサの間に何度も唱えられるのです。
何気なく、「司祭さまにも平和がありますように」と鸚鵡返しに唱えているその一行の言葉にも深い意味があるのです。

今日の説教の明快さと深い意味に感動して日記に残そうとしました。今日は写真機を持って行きませんでしたので、「幸田和生司教の写真」を検索しましたら沢山の写真がありました。下の1番目の写真は私が選んだ一枚の写真です。

そして写真を検索していたら幸田司教さまがブログを書いていることを発見しました。
それは「毎日がクリスマス」http://nativitas.blog130.fc2.com/ というブログです。
以下は6月26日に幸田司教さまが湘南のカトリック茅ケ崎教会のミサを司式されたときの記事の抜粋です。
茅ケ崎海岸には時々ドライブに行くので、何故かご縁を感じ、幸田司教さまのブログの抜粋を以下にお送りします。
・・・わたしたち全世界のカトリック信者は、フランシスコ教皇の呼びかけに従って、いつくしみの特別聖年という年を過ごしています。聖年には昔からの伝統で、巡礼が行われてきました。今もそうかもしれません。聖年の扉をくぐるためにローマまで行ったり、司教座聖堂に行ったりする人もいるかもしれません。もちろん多くの人はそんなことできまないと思います。フランシスコ教皇は、刑務所にいる人も、病気で動けない人も、聖年の巡礼の恵みにあずかることができるとはっきり言っておられます。わたしたちは今年、特別に、主日のミサの中でルカ福音書を読んでいますから、今日の箇所を出発点としてイエスさまとともに、エルサレムへ向かう巡礼を、霊的な(spiritualな)旅をしていけたら良いと思います。これなら誰でもできます。・・・・以下省略。
下の2番目の写真は幸田司教さまが撮ったカトリック茅ケ崎教会の写真です。

3番目の写真は6月に茅ヶ崎海岸に行った時、私が撮った写真です。

この幸田司教さまの「毎日がクリスマス」というブログを読むと実に分かりやすい文章で書かれていることに感銘を憶えます。
優しいお人柄が伺えるようです。
キリスト教にご興味がある方々にお薦めいたします。ご一読なさいますように祈っております。