後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「日本は世界一のレベルの工業国」

2023年10月26日 | 日記・エッセイ・コラム
日本の人々が豊かな生活が出来るのは、世界一のレベルに発達したの工業技術のお陰です。日本はアメリカやドイツともならび高度な工業技術を持った工業国なのです。自動車や新幹線車両などから各種の家電製品などを生産しています。私は日本の工業を誇りに思っています。今日は現在の日本の工業について書いてみたいと思います。
たしかに韓国や台湾、中国、東南アジア諸国でも工業化が進んでいます。しかし日本の先端的な工業技術は優れています。世界一のレベルにあるのです。
中国など新興の工業国は、賃金の安さを利用して工業製品を生産をしているのです。 そのため業種によっては日本から工場がなくなり 産業の空洞化が進んでいることも事実です。
しかしこれに対抗するためヨーロッパ、アメリカ、日本など前々から工業国だった国は技術力の高い製品を開発しています。新興工業国では作れない製品を生産し差別化を図っているのです。
その上、先進工業国どうしでも工業の競争があります。先端技術は日進月歩なのです。
そして日本やアメリカやドイツなど工業先進国は中国や東南アジアなどに工場を進出させそこで工業を営んでいます。
より安い価格で製品をつくることで先進工業国どうしの経済競争に勝つためです。
こんな状況なので中国や東南アジアの工場はーロッパ企業や日本企業、アメリカ企業など先進工業国の恩恵を受けているのです。

さて日本国内の工業を見てみましょう。日本で工業が盛んな地域は主に太平洋側の平野部に多いのです。関東地方の太平洋側から瀬戸内海、北九州にかけての地帯で工業がさかんであり、 太平洋ベルト と呼ばれていいます。
日本では、1970年頃から工業の国際競争が厳しさを増したために単純な技術で作られる製品の工場は賃金の安い海外に移ってしまいました。 日本の製造業では石油危機の反省から、省エネルギー化の研究開発が進み先端技術が発達しました。
日本の工業地帯を少し詳しく見ます。
太平洋ベルトとよばれる日本列島の太平洋側の臨海部に多い工業地帯は明治時代から次第に発展してきたのです。太平洋ベルトの 中京工業地帯 と 阪神工業地帯 と 京浜工業地帯は 三大工業地帯と呼んでいます。
中京工業地帯は愛知県の名古屋を中心とした工業地帯です。阪神工業地帯は大阪や兵庫を中心とした工業地帯です。京浜工業地帯は東京や神奈川を中心とした工業地帯です。日本の豊な暮らしはこの三大工業地帯が支えているのです。
三大工業地帯を少し比較してみます。2019年度の生産額は中京工業地帯が最も多く、ついで阪神が2番目の生産額です。京浜は3番目の生産額です。
昔は北九州をふくめて中京・阪神・京浜・北九州を四大工業地帯と言っていました。しかし、近年は北九州の生産量が落ちてきているので、北九州をはずして、中京・阪神・京浜を三大工業地帯と呼んでいるのです。

さて日本では第二次世界大戦の前までは天然繊維の製品の輸出などの繊維工業が日本の主要な工業でした。
しかし戦後は、賃金の安い中国や東南アジアなどの外国に工場が移ったことやナイロンなどの化学繊維の発明によって日本の繊維工業の割合は低下したのです。
1960年代の高度経済成長のころから、機械工業がさかんになります。
現在でも機械工業が主流です。自動車や新幹線車両などの輸送用機械の生産が機械工業の中ではもっとも多いのです。 
日本には資源が乏しく外国から原料などを多く輸入しています。外国から原料を輸入し日本国内で加工して工業製品にして、その工業製品を外国に輸出することで外貨をかせいでいます。このような加工貿易こそが日本にとって大変重要です。加工貿易は外貨を獲得したり工業力を発展させるたりするために絶対必要なのです。
なお現在では、日本国内で製品を作るだけでなく、アメリカなど外国にも日本企業の工場が進出しており、現地の国の人などを雇って生産して、その地域の消費者に販売しています。ヨーロッパでも同様に日本企業の工場などが進出しており現地生産をしています。

以上のように日本の工業はいろいろな方法で日本の経済を支えているのです。
日本の工業こそが日本という国の基盤なのです。私は世界一のレベルに発達した工業を誇りに思っています。自慢したいのです。

今日は以下の資料を参考に致しました。https://ja.wikibooks.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E7%A4%BE%E4%BC%9A_%E5%9C%B0%E7%90%86/%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%A8%E6%AF%94%E3%81%B9%E3%81%A6%E3%81%BF%E3%81%9F%E6%97%A5%E6%9C%AC_%E5%B7%A5%E6%A5%AD
今日の挿絵代わりの写真は日本の工場の夜景です。ネットからお借りした写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)





「コンピューターの故障で2日間投稿休みました」

2023年10月25日 | 写真
なおったので巨木の向こうに明るい広場の見える風景写真をお送り致します。
小金井公園の大きな広場は巨木の林で囲まれています。その林の中の道を歩くと巨木の向こうに明るい広場が見えます。幻想的な風景なので写真を撮って来ました。 そんな写真をお送り致します。
 

「アメリカの会社の厳しい人事管理と大学の強制退学」

2023年10月23日 | 日記・エッセイ・コラム
アメリカは競争社会だとよく言われます。競争社会だから発展するとも言われます。しかし日本人にとって「競争社会」とはどういう社会なのか分かりません。
そこで今日はアメリカの会社の厳しい人事管理と大学の強制退学を具体的に説明しようと思います。アメリカの競争社会の実態を明快に説明したと思います。4年間の在米生活で得た競争社会の実態を書きます。
まず始めにアメリカから入って来たスーパーマーケットのことを考えてみます。スーパーには広い駐車場があります。あらゆる食品をはじめ日常生活に必要な品が一店舗に揃っています。またコンビニエンスストアでは商品が実に新しい発想で開発されていて店内を見ているだけで楽しい店です。商品は日常使う物や食品が全てそろっているのです。文房具や香典袋からローソクなどの日用雑貨、各種の酒類、菓子、卵から野菜、そして多種多様な弁当類がそろっているのです。
日本全国に仏教のお寺が7万5千軒あるそうですが、コンビニの数は同じくらいあるそうです。
コンビニはアメリカで生まれた便利な文化です。気がついてみると生活を便利にするアメリカのものは全て日本を占領してしまっています。
マックやケンタやスタバのようなファストフードの店もお寺の数に迫っているそうです。
こうしてキーボードを叩いているパーソナル・コンピューターもアメリカ発祥のアメリカ文化の産物です。
郊外の大型量販店もアメリカ発祥です。この狭い日本の国内旅行に飛行機を使うのもアメリカの風習です。その上、その旅客機はほとんど全てアメリカ製なのです
上に書いたようなアメリカ文化は自由に日本に入って来ます。日本人の生活を豊かにしてくれます。有難いことです。

しかしアメリカ文化のなかの一部には日本には絶対に入らないものがあるのです。輸入が不可能なのです。それはアメリカ社会や会社の中の厳しい人事管理と大学などの学校において行われているの強制的な退学命令です。
さてアメリカの会社の人事管理から始めます。
アメリカでは能力主義の人事管理をします。成果で評価します。成果を挙げないと情け容赦なくクビにします。クビにした後は成果を挙げそうな人を他の会社から引き抜いてきます。
その人事管理はトランプ前大統領の側近のクビの仕方と同じなのです。トランプ前大統領の人事管理はアメリカでは普通のことで驚いている人はいません。日本人が驚いているのです。
アメリカ社会や会社の中の人事管理を深く考えると、それはキリスト教を下敷きにしているのです。
アメリカの文化の特徴はキリスト教に対する強い信仰があることです。
アメリカ人の80%がキリスト教を信じています。
アメリカは弱肉強食の社会で、貧富の差が大きいので人間関係は殺伐としていると誤解しがちです。しかしアメリカに4年間暮らしてみると助け合いの精神が溢れていて、実に暖かい人間関係があるのです。殺伐とした社会というより人間的で温かい社会なのです。
ですからアメリカ文化を万遍無く公平に理解しようとしたら、彼らのキリスト教への帰依を理解しなければなりません。
勿論、アメリカにはイスラム教徒もユダヤ教徒も仏教徒も数多くいます。しかし話を簡明にするために今日はキリスト教だけを取り上げています。

さてアメリカでは従業員や側近を簡単にクビにします。仕事で成果が上がらないのは神の業なのです。しかし神はその従業員や側近を深く愛しているのです。
クビにする上司は、「神が君に与えた才能はこの仕事に合わないので辞めてたほうが君の幸になる。君の才能に合った仕事に就いた方が幸になるよ」と言ってクビにします。
アメリカで転職が多いのはこの考え方が強く存在しているからです。
上司は絶対に、「君は悪い人間だからクビ」だとは言いません。神が与えた才能がこの仕事に合わないとだけ言っているのです。
辞めさせられた人も傷つきません。人格が悪いから辞めさせられた訳ではないのです。
キリスト教の共通価値観の無い日本ではアメリカ流の人事管理は不可能なのです。
蛇足を書きます。アメリカでも気に食わない部下を上司が感情的にクビにすることはあります。しかし周囲の目が厳しいのです。そんな人事管理を続けていればその上司もクビになります。そこが日本と違うところです。

次に大学の強制退学を具体的に説明します。オハイオ州立大学の大学院を例にします。
履修した全ての課目の平均点が2学期続けて80点以下になると強制的に退学させられます。
大学の新入生の約半分しか卒業出来ません。学年ごとに強制的に退学させられて学生数が減っていくのです。
退学した学生はレベルの低い大学へ転校します。例えばオハイオ州立大学から私立のオハイオ大学や他のカレッジへ転校します。こうしてアメリカの大学のレベルを世界一しているのです。

以上は約60年前の私の見聞ですがアメリカ社会は本質的には変わっていません。いろいろなアメリカについての本を読むと本質的には変わっていません。

今日はアメリカの競争社会の実態を説明しました。アメリカの会社の厳しい人事管理と大学の強制退学を例にました。2つとも絶対に日本へ輸入不可能なものなのです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

今日の挿し絵代わりの写真は私が留学したオハイオ州立大学の懐かしい風景写真です。
1番目の写真はオハイオ州立大学の構内にあるミラーレイクです。
2番目の写真はオハイオ州立大学の中央にある広場です。
3番目の写真はオハイオ州立大学のアメリカンフットボールの競技場です。」
4番目の写真は私が実験装置を作ったロードホールです。
5番目の写真は学科主任のフォンタナ先生の部屋のあった建物です。

「今日のカトリック関口教会の年間第28主日のミサの動画配信」

2023年10月22日 | 日記
今日のカトリック関口教会の年間第28主日のミサの動画配信です。

10月22日10:00 司式 天本昭好神父(主任司祭)
https://www.youtube.com/watch?v=zwfaOssiSYs

入祭の歌  カ典17 神よわたしの叫びに
いつくしみ・栄光の賛歌 ミサ曲610・612
答唱詩編  典148②③⑤ 遠く地の果てまで 
アレルヤ唱 典273 年間第29主日
信仰宣言 ニケア・コンスタンチノープル信条(1)
奉納  典47 神の注がれる目は  
感謝・平和の賛歌 ミサ曲613・614   
拝領  カ典330 わたしは世の光
閉祭  カ聖27 全世界にいって

写真はミサの風景です。


「何時もよく行った奥多摩の紅葉」

2023年10月22日 | 写真
奥多摩は自宅から1時間30分くらいの所なので何時もよく行ったものです。自宅の裏庭のようなものです。車の免許を今年のはじめに返納したので以前の紅葉風景の写真を見て楽しんでいます。
奥多摩の紅葉は11月の下旬からです。紅のの写真をネットからお借りしてお送り致します。出典は、https://allabout.co.jp/gm/gc/477681/ です。

1番目の写真は奥多摩の鳩ノ巣渓谷の紅葉です。JR青梅線の鳩ノ巣駅から徒歩5分です。

2番目の写真は奥多摩の秋川渓谷の紅葉です。

3番目の写真は多摩川の最上流にある氷川渓谷の紅葉です。JR青梅線の終点奥多摩駅前にあり交通も便利です。

4番目の写真はJR青梅線の御岳駅の前にあるの御岳渓谷の紅葉です。交通が便利です。


「小金井神社の本殿」

2023年10月21日 | 日記・エッセイ・コラム
小金井神社の本殿は、宝暦年間(1751~1764)の造営と伝えられ、本殿内のご神像は、宝暦元年の彫刻とされる。小金井市内現存最古の神社建築と推定されている。
 一間社入母屋造の社殿で向拝軒に唐破風が付いており、屋根はこけら葺きである。向拝柱には、獅子と獏の木鼻(きばな)彫刻がある。
 平成4年に改修工事をおこない、保存状態は良好とされ、建築当時の姿をよく留めている。金具類は戦時中に供出されたが、戦後補修された。
 覆殿に囲われており、公開されていない。
 令和2年12月1日、小金井市指定有形文化財に登録された。(小金井市HP等参照)



「小金井神社の巨木の写真をお送り致します」

2023年10月21日 | 写真
小金井神社は江戸時代の小金井村の鎮守の神社です。喬木が勝手大きく育っています。その巨木の写真を撮って来ました。
記録によると小金井神社は元久2(1205)年に現在の中町 1丁目付近に天満宮の名で社殿が創建されました。
のち天正11 (1583)年に、現在地に社殿を移しました。 
その後江戸時 代の、宝暦元(1751)年に本殿を改造し、菅原道真公の座像を彫 らせご神体として本殿に納めました。



「2023年全国の有名な秋祭り10選」

2023年10月21日 | うんちく・小ネタ
秋祭りは地域の歴史や文化に触れる貴重な機会であり、伝統的な儀式を通して地域と人々の絆を感じます。

2023年開催のおすすめ秋祭り10選
1.まりも祭り|北海道
2.盛岡秋まつり|岩手県
3.東京よさこい|東京都
4.前橋まつり|群馬県
5.片貝まつり|新潟県
6.岸和田だんじり祭|大阪府
7.時代祭|京都府
8.阿智神社 秋季例大祭|岡山県
9.伊万里トンテントン祭り|佐賀県
10.那覇大綱挽まつり|沖縄県

(https://jp.trip.com/blog/autumn%E2%80%90festival/ より)
写真は.北海道のまりも祭りです。






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「ケルト人の祭り、ハロウィーンの日本の光景」

2023年10月21日 | 日記・エッセイ・コラム

我々は祭りが好きです。中国や西洋の祭りもドンドン輸入して楽しみます。

今日は一例としてハロウィーンについて書いてみたいと思います。
さてハロウィーンは毎年10月31日に行われるお祭りです。古代アイルランドに住んでいたケルト人が起源と考えられている祭りです。ケルト人の1年の終わりは10月31日で、この夜は秋の終わりを意味し、冬の始まりでもあり、死者の霊が家族を訪ねてくると信じられていたのです。

現代では主にアメリカ合衆国で民間行事として定着しています。カボチャをくりぬいて「ジャック・オー・ランタン」(お化けカボチャ)を作って飾ったり、子どもたちが魔女やお化けに仮装して近くの家々を訪れてお菓子をもらったりする風習などがあります。

私どもがアメリかに住んでいた頃は近所の子供たちが仮装して、「Trick or Treat」と言ってお菓子を貰いに来たものです。

日本にはそんな習慣が無く、渋谷の交差点で若者が仮装して騒ぐだけです。あるいは幼稚園でお化けカボチャを作って遊びます。世界的に見ても現在はアメリかの民間行事です。

カトリック教会・聖公会・ルーテル教会・正教会・東方諸教会の全てで、ハロウィンは祭としては祝われていません。キリスト教とは関係が無いのです。

ハロウィーンにまつわる日本の写真をお送り致します。

それにしても日本人の「祭り好き」は若い人にも伝承して永遠に続くのでしょう。
日本のお祭りの本来の目的は「神様に感謝する」ことでした。 「祭り」という言葉の語源も「祀る(まつる)」です。 神を慰め、祈願すること、またはその儀式を意味します。
日本の 祭りの有名さで順位をつけると1位は「青森ねぶた祭」だそうです。
 そして2位は徳島の阿波おどり、3位は京都の祇園祭となり、 続く4位は仙台七夕まつり、5位はよさこい祭となるそうです。

今日は日本の祭りの一例として日本のハロウィーンをご紹介しました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「遥かな上高地、懐かしい紅葉の風景」

2023年10月20日 | 日記・エッセイ・コラム
85歳を越すと何故か体が急に弱くなりました。以前は毎月のように長旅に出ていましたが、それも出来なくなりました。

今日は何度も訪れた上高地の風景を思い出しました。
今となっては遥かに遠くなってしまった上高地です。今頃は紅葉黄葉が美しいだろうと目に浮かびます。
その紅葉の写真をお送りいたします。写真は2012年10月29日に上高地を散策しながら撮ったものです。
大正池でバスを降り田代橋から梓川添いに歩きながら黄葉のカラマツ林の写真を撮りました。
梓川の向こうには穂高連山が見えています。
上高地帝国テテルは何度か家内と一緒に泊まった懐かしいクラシックホテルです。

上高地には神々しい別世界のような場所です。明治の始めころイギリス人のウエストン卿が日本人の山案内人と徳合峠を越えて、神河内に降り立ったのです。
このウェストンこそが日本へ近代登山を伝えた人だったのです。
「私の上高地」は、若い頃、北アルプスを縦走して、疲れ果てた末に神河内に降り立った時に見た光景なのです。
その後仕事が忙しくなって何十年も行きませんでした。
しかし引退後、今度は家内と何度も訪れたのです。上高地には楽しい思い出が沢山出来ました。

その上高地は今頃は紅葉が美しいだろうと想像しながら日々を過ごしています。

 それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)



「散歩と買い物だけが日課の楽な老境の日々」

2023年10月20日 | インポート
老境の日々はこんなに、らくで楽しいものとは知りませんでした。なにせ散歩と買い物だけが日課なのですから。
今日は電動車椅子で長躯、国分寺の駅ビルまで買い物に行きました。
秋晴れで気分爽快です。


「曾遊の地、ドイツと故郷の蔵王山の紅葉風景」

2023年10月20日 | 日記・エッセイ・コラム
秋の紅葉風景は私の大好きな風景です。秋になると鮮明に思い出すのは嘗遊の地、ドイツの紅葉風景と故郷の山、蔵王山の紅葉風景です。
今日はそんな思い出深い紅葉風景の写真をお送り致します。ドイツと蔵王山の紅葉風景です。
茫々50年ほど前にドイツに住んでいました。紅葉の美しい国でした。紅葉の美しい林の中の道を何度も散歩しました。まだ若かった妻と一緒に歩いたのです。
ドイツの紅葉風景を思い出しながら、写真をお送りいたします。
写真は「ドイツの紅葉風景の写真」を検索して、インターネットの写真から綺麗な写真を選びました。



そして秋になると故郷の山、蔵王山の紅葉を思い出します。
仙台で育ったので蔵王山には何度も登りました。特に東北大学が蔵王山に清渓小屋を持っていたので何度も登りました。刈田岳に登って頂上からお釜を見下ろしたものでした。
懐かしい山なので麓の「七ヶ宿町の紅葉」を検索して美しい写真を何枚も見つけました。その中から4枚お借りしてお送り致します。




それにしても紅葉の美しい季節になりました。近所の小金井公園や武蔵野公園も間もなく紅葉が美しくなります。楽しみながら待っています。

今日は曾遊の地、ドイツの紅葉風景と故郷の山、蔵王山の紅葉風景の写真をお送り致しました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)