千住は、江戸時代の日光、奥州街道の出入り口として存在した宿の一つである。この要路が今でも写真の様な「こつ通り」と言う名前が使われている。「こつ」とは人間の骨である。奥州へ出入りする一番目立つところに、断罪人を戒めのため梟首、磔(はりつけ)、獄門などしたところである。埋葬された数は実に20万人ともいわれているが、埋葬とはいえ、土を僅かに掘って実は取り捨野犬に食い荒らされたのが実態のようである。周辺の地面を掘り起こすと、「こつ」が大量に出てきて、由来「こつ通り」というリアルな名前が残されている。
近くの三ノ輪橋から日光街道沿いに円通寺と言う寺があり彰義隊のお墓を見ていた時に、歴史を追う方に、是非見てきたらと言われたのが回向院であったが、その道すがら、お稲荷さんに「こつ通り」と言う表記のの看板に遭遇した。回向院には吉田松陰始め、桜田門事件や坂下門事件で、攘夷で決起した水戸藩の若き志士たちの墓が所狭しと並んでいる。まさに幕末を揺れ動かした歴史事件が凝縮されている「こつ通り」であった。
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