先日、京都の北、一乗寺にある金福寺を訪ねました。
蕪村のお墓があるとのことでしたので。
最初に目に入ったのが芭蕉庵でした。
説明によると、芭蕉は、この寺の鉄舟和尚と親交があり、
しばしば訪れており、芭蕉庵という庵もあったそうです。
その後、荒廃していた庵を再興したのが与謝蕪村。
蕪村は、ここで一門の句会を開いていたそうです。
(写真は再興された芭蕉庵です。)
金福寺での芭蕉の句
憂き我をさびしがらせよ閑古鳥
蕪村の句
我も死して碑に辺(ほとり)せむ枯尾花
この句の通り、芭蕉庵の裏には蕪村のお墓がありました。
高浜虚子も訪れて一句
徂(ゆ)く春や京を一目の墓どころ
さて私の句ですが、何者かが庭の桔梗の花を食べてしまったそうです。
犯人は?
蕪村のお墓があるとのことでしたので。
最初に目に入ったのが芭蕉庵でした。
説明によると、芭蕉は、この寺の鉄舟和尚と親交があり、
しばしば訪れており、芭蕉庵という庵もあったそうです。
その後、荒廃していた庵を再興したのが与謝蕪村。
蕪村は、ここで一門の句会を開いていたそうです。
(写真は再興された芭蕉庵です。)
金福寺での芭蕉の句
憂き我をさびしがらせよ閑古鳥
蕪村の句
我も死して碑に辺(ほとり)せむ枯尾花
この句の通り、芭蕉庵の裏には蕪村のお墓がありました。
高浜虚子も訪れて一句
徂(ゆ)く春や京を一目の墓どころ
さて私の句ですが、何者かが庭の桔梗の花を食べてしまったそうです。
犯人は?