先日の新聞に「書で潤い」という写真記事が載っていました。
写真には北京の中心部にある北海公園の風景が写されています。
七月の北京は暑いらしく人々は半そで短パン姿でたむろしています。
市民と北京へのおのぼりさん半々くらい、十数人のひとが写されいます。
場所としては日本にもよくある公園の一角で木々の植えられた芝生の部分に囲まれたちょつとした広場風の舗道。広場には平たい方形の敷石が敷かれています。
問題は中心に写された老人。
彼は夏の日差しで乾いたその敷石を紙に見立てて、墨汁ならぬ「水」で漢詩を鮮やかに書いているのです。
老人は竹箒のような筆で水痕鮮やかに石畳に漢詩を書き下しています。
通行の人々の数人が見入っています。白髪の老人は眼鏡を鼻までずらせて、片手を垂らしてなぞるように軽々と楷書を記していきます。
詩の最初の部分はもう乾きかけて判読もままならないくらいです。
すくなくとも大道芸人といった風情ではありません。
詩と書の好きな老人が、ここへ時々やってきて、消え行く事に拘らず淡々と好きな漢詩を表現する喜びに浸っている姿なのです。
写真の説明によると「地書」呼ばれているようですから、長い歴史を持つ中国の人々の楽しみの一つかも知れません。
写真を見て中国の人々の文化の楽しみ方を垣間見たようなきがしました。
写真には北京の中心部にある北海公園の風景が写されています。
七月の北京は暑いらしく人々は半そで短パン姿でたむろしています。
市民と北京へのおのぼりさん半々くらい、十数人のひとが写されいます。
場所としては日本にもよくある公園の一角で木々の植えられた芝生の部分に囲まれたちょつとした広場風の舗道。広場には平たい方形の敷石が敷かれています。
問題は中心に写された老人。
彼は夏の日差しで乾いたその敷石を紙に見立てて、墨汁ならぬ「水」で漢詩を鮮やかに書いているのです。
老人は竹箒のような筆で水痕鮮やかに石畳に漢詩を書き下しています。
通行の人々の数人が見入っています。白髪の老人は眼鏡を鼻までずらせて、片手を垂らしてなぞるように軽々と楷書を記していきます。
詩の最初の部分はもう乾きかけて判読もままならないくらいです。
すくなくとも大道芸人といった風情ではありません。
詩と書の好きな老人が、ここへ時々やってきて、消え行く事に拘らず淡々と好きな漢詩を表現する喜びに浸っている姿なのです。
写真の説明によると「地書」呼ばれているようですから、長い歴史を持つ中国の人々の楽しみの一つかも知れません。
写真を見て中国の人々の文化の楽しみ方を垣間見たようなきがしました。