名古屋市美術館の「モディリアーニ展」へいってきました。
開館20周年の記念行事とあって、なかなかの充実振り。作品もよく集まり、展示も行き届いていました。
会場はかなり混雑していましたが、静寂そのもの。話し声どころか足音を立てるのも気がひけるほど。みんな作品に引き込まれています。
長い首を傾げて思索し、瞳を描かない目で内面を見据えてる視線、モディリアーニに対決を迫られるような思いの2時間をようやく過ごしました。
中でも惹かれたのは、「カリアティード」と題された油彩の裸婦。古代建築で庇やバルコニーの屋根を支えている女性の像を描いたものです。
どこか孤独で、理不尽を訴え、それでいて力強い肉体。悲しみと諦めとその果ての嘲笑さえ読み取れて、いたたまれませんでした。
興福寺の国宝、天灯鬼のあの表情が重なって、なおも悲しく寂しいのです。
つくづく淋しい我が影よ動かして見る 尾崎放哉
開館20周年の記念行事とあって、なかなかの充実振り。作品もよく集まり、展示も行き届いていました。
会場はかなり混雑していましたが、静寂そのもの。話し声どころか足音を立てるのも気がひけるほど。みんな作品に引き込まれています。
長い首を傾げて思索し、瞳を描かない目で内面を見据えてる視線、モディリアーニに対決を迫られるような思いの2時間をようやく過ごしました。
中でも惹かれたのは、「カリアティード」と題された油彩の裸婦。古代建築で庇やバルコニーの屋根を支えている女性の像を描いたものです。
どこか孤独で、理不尽を訴え、それでいて力強い肉体。悲しみと諦めとその果ての嘲笑さえ読み取れて、いたたまれませんでした。
興福寺の国宝、天灯鬼のあの表情が重なって、なおも悲しく寂しいのです。
つくづく淋しい我が影よ動かして見る 尾崎放哉