575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

目つむりていても吾(あ)を統(す)ぶ五月の鷹  寺山修二

2008年05月07日 | Weblog
庭のさくらんぼが実をつけました。
今年はヒヨドリに食べられないように網をかけました。
充分いただいてから、網をはずしました。
あっという間に残りのさくらんぼも無くなっていました。

   

最近、寺山修二の青春俳句(酒井弘司・著)を読みました。

五月の鷹は、自信作だったそうです。
青春時代、俳句に打つ込んだ寺山の句は、
いまもその瑞々しさを失っていません。

俳句も短歌もつくった寺山は、句と歌で、
同じモチーフを詠ったものが多くあります。

 アカハタと葱置くベッド五月来たる

 アカハタ売るわれを夏蝶越えゆけり
         母は故郷の田を打ちていむ

寺山がネフローゼで入院、そのころの句と歌。
酒井弘司さんは、寺山の世界について、
次のように書いています。

  この歌はどこか実感が乏しい。
  現実の病気の苦しさを直視することよりも
  ひとつの言葉で別の世界を創造し癒される。
  それが寺山の句であり、歌であった。
  
年をとっているせいか、こんな句に心ひかれます。

  秋風やひとさし指は誰の墓
  枯野ゆく棺のわれふと目覚めずや

47歳で亡くなった寺山。死を予感しての句でしょうか。

高浜虚子の老成した死生観とは全く異質な
若々しさが感じられて、かえって哀しく思われます。




コメント (2)
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