575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

舳倉島紀行Ⅱ          草女

2008年05月09日 | Weblog
 舳倉島は渡り鳥の中継地であり、多くの野鳥を観察観察することが出来る。
 鳥たちはこの島で休養と栄養をとり、体力を回復し目的地へ立っていく。
 天候のよい日にやってきて荒天の前に去っていくので、どんな鳥に会えるかは運に左右される。
 島について二日目、色々な鳥を見かけたのだが3日目・四日目は他の鳥は飛び立ってオオルリだけと言ってよいほどになったなった。憧れのオオルリが私たちの顔を掠めて飛んだり、観察仲間の頭に止まろうとして失敗したり、信じられないくらい身近な鳥となってくれた。
  大瑠璃は光放って飛びにけり
 オオルリは、ヒタキ科の夏鳥で、雀より少し大きい。雄は背が青紫色、翼と尾が黒く腹は白くてその姿は名前どおりに大変美しい。その上鳴き声も美しいので昔からとても愛されてきた。
 瀬戸の海上の森でも見かけるし、繁殖しているけれど、こんなに近い距離で観放題というのは、舳倉島ならではのことである。
 ところで、リーダーを始め我々を悩ませた問題があった。滞在中バックミュージックのようにウグイスが鳴いているのである。鳴き声ばかりでなくてあちこちに姿も見せるのである。かなりの数のウグイスが居る。里から山を往復しているウグイスが何故ここに居るのか? 数は少ないがヒガラ、ヤマガラ、メジロ、カワセミも居た。彼らは渡り鳥ではない。頭を捻った結果、夏鳥、冬鳥、留鳥、漂鳥のくくりだけでは説明がつかないと言うことになった。ウグイスの場合、渡島したのは繁殖に適したメダケの藪も多いし、托卵を狙う鳥もいないので繁殖のためかかもしれない。
 残念ながら小さな鳥に発信機を付ける技術もまだないので、研究が進んでいおらず、分からないことも多いのである。
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荻原俳句教室    遅足

2008年05月09日 | Weblog
先回の教室の宿題は「五月」と「葉桜」でした。

「五月」

  野の真ん中五月の棺軽くなる

棺がふっと軽くなる。
担いでいる人が、軽くなったと感じた。
五月の棺軽くなる、は、印象深いフレーズ。

その景が、野の真ん中、というのは、どうか?
もっと普通の景、たとえば畦道とか、
具体的なシチュエーションを、上五に持ってきたほうが
より読者に伝わるのでは。

うーん?どうしたら良いかな?

     

「葉桜」

  葉桜や生家あとかたなしと云う

葉桜という季語が生きている。
花が散ってしまったあとの葉桜、もう人々は見向きもしない。
それと、あとかたなし、というフレーズが響きあっている。
また、と云う、という表現が
少し距離感をおいて見ているという感じを与え、
読者に共感してもらいやすくなっている。
ここを、いま正に解体中とすると
句が作り物という印象を与えてしまう。

    

また、新緑、という季語もあるが、
葉桜は含まれていない。
そのくらい葉桜は特別な季語。

  葉桜の中の無数の空さわぐ  篠原梵

この句、葉桜を新緑に置き換えてみると、

  新緑の中の無数の空さわぐ

なにかが足らない感じ。
葉桜という言葉が、桜の花のイメージを
ひっぱってきている。
それが句をいきいきしたものにしている。

ということで、次回の宿題は「新緑」と「虹」となりました。


コメント (1)
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