575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

雪女郎吹雪の中へ消えにけり    朱露

2010年02月01日 | Weblog


    「雪女郎」と「吹雪」で「季重なり」だ。
    この場合主題が妖怪変化だから仕方ない。
    「女郎」は「遊女」だから「差別用語」。
    所が本来は「上臈」で「高級御殿女中」。

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難解句         呆老冷水氏

2010年02月01日 | Weblog
★呆老冷水録http://blog.goo.ne.jp/oldjackなるプログに面白い記事があったので紹介したい。(愚足)

 運動のため電動自転車でちょくちょく隣の豊明市まで足を伸ばすようになって気づいたが、この辺りは民家の横丁をチョット入ってみると突然風景が変化するのがなんとも面白いですね~。とにかく突然こんなところにこんな未開の風景が!といった風に昭和も明治も一気に飛び越え、時代劇のロケが出来そうな未舗装あぜ道の田畑が広がっている所があちこちにあり、そこで意外な発見があったりするのです。

例の桶狭間合戦当日、義元が出陣したという沓掛城址から北北東約1.5kmのところに若王子池(にゃっこうじいけ)という池があり、この周辺も一部はかなり宅地化が進んでいるが反対側にはまだまだそのような人影の殆どない田畑が広がっています。農業用の溜池らしいが先日その高さ十数mの周回堤に登ってみたら、最近のものと思しき小ぶりのきれいな句碑があり

「柿の木に 弓箭(ゆみや)のこして 穐さりぬ」
   友七
という句が刻んでありました。
傍らの豊明市教育委員会のカンバンによると作者はこの地で代々庄屋だった何代目かの当主で治山治水に功績をのこし俳句もよくした由・・・
すぐ写真を・・と思ったが句碑の背後には無粋な金網の柵が迫り「こりゃトテモ絵にならん!」とあきらめたが、折角人に見せるために大理石で立派な句碑を作ったのに、何で入り口に鎖を張って進入禁止の立て札がしてあるのかね~??(ワタシャ傍をすり抜けて入ったが・・)

俳句は出来ない私だが矢を箭、秋を穐とかくシャレた文字使いに惹かれ何度か読み返してみたが「柿の木に 弓箭(ゆみや)のこして・・」の情景がどうしても理解できません。
句は幕末(たしか1857としてあった)の作だが、弓矢(箭)といっても昔こんなところで戦があったとは聞かぬし、枯れた柿の木にそんなもの(あるいは似たもの?)がぶら下がっている風景も変だし、もしかして柿の木を弓の的にしたのか・・・??それに田んぼの取水口の樋板にこの句が書いてあったというのは何故・・??などなどと謎が謎を呼び、以来ずっと気になって今朝も早く目を覚まして考え込んでしまい、今だになかなかスッキリしないのデス!
(↑要するにヒマ!!)

友七さんとやらも罪なお人ですワイ。
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・・・テナ調子でモヤモヤしたまますごした翌日、ソウだ!internetだ!と思いつき 柿の木と弓矢をキーワードに検索したところ、一茶の句をご丁寧に英語で解説しているサイトが見つかりそのなかに

鳥の巣や 弓矢間に合う 柿の木に
柿の木の弓矢 蹴落とす 烏かな
の二句が載っていました。英語訳以外の解説はないが、どうもこれらの二句から察するに柿の実を狙ってやって来る鳥や動物を弓で射落とそうとする行為が昔はケッコウあったみたいですね~。だからそういう時射損じて枝に引っかかった矢が初冬の柿の木に残っている情景を詠んだのが友七さんの句だったと言うことなんでしょうか?・・
もしそうなら弓矢はソウ立派なものでなく手作りのオモチャみたいなもの、つまり一茶の書く矢の字の方が相応しい気がするが、友七さんは庄屋で裕福だからホンモノの矢(つまり箭の字が似合う?)を使ったのか?・・等々またもや冷水根性で深入りしちゃいそう・・・・

まぁ 俳句は、IT的に見れば究極の「データ圧縮遊び」と言って良いと思うが、読者の知識と感性がそのままDecode keyになるわけで、決して情報を完全に元どおりには復元出来ないと言う点で、今時むしろトテモ新鮮な感じがしますね~!!
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