575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

2月句会の投句が集まりました。   遅足

2010年02月15日 | Weblog
2月句会は題詠が「春寒し」「余寒」です。
まさに季語の通りの天気です。
では、題詠です。

①鳩の声人恋しげに余寒なほ
②寝息聞きそっと腕抜く余寒かな
③1でなくゼロではじまる余寒かな
④形見分け終えて余寒の人となる
⑤春寒や母の手縫いし綿蒲団
⑥春寒し手萎え足萎え沖の舟
⑦啄(ついば)まれ縮れて万両余寒かな
⑧春寒や猫左見右見婚活中
⑨新しき硯に響く余寒かな
⑩春寒しとなりのタイツ超厚手
⑪春寒や猫の背中に日のたまり
⑫行列の一番後ろ春寒し
 
   

自由題
 
①梅ぽつぽつ「知足(ちそく)」の縁(ふち)に掛かるかな
②日脚伸ぶ名前をしらぬ顔見しり
③声高く我を呼ぶ妻春の雪
④夕日追うひこうき雲の目指す未来(あす)
⑤春隣洋蘭たちの息づかい
⑥年何夜「深夜便」聴き逆上す
⑦剣先の少しゆれてる寒稽古
⑧冬麗の椅子に天使のわすれもの
⑨幼子の手袋ほうりシャボン玉
⑩どんど焼き苦い焦げ餅食わせられ
⑪流れゆく帽子の行方春寒し
⑫料峭やおやつはなしと叱るママ


  さて、句会の結果や如何に?




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こんな論争があったのですね      愚足

2010年02月15日 | Weblog
★ 俳句の雑学小事典http://www5e.biglobe.ne.jp/~haijiten/index.htm#にこんな俳句論争が紹介されていた。終戦後の熱い時期俳句世界にはこんな熱い論争が有ったのですね。
 
   「草田男の犬」論争

「草田男の犬論争」というのは昭和22年、新俳句人連盟の機関紙「俳句人」の編集委員長であった石橋辰之助が赤城さかえに書かせたエッセーをめぐって争われた論争であります。そのエッセーの概略を述べますと
「赤城さんが草田男の句の中で一番よいと思ふのはどの句か、と尋ねられた。私はその時、『壮行や深雪に犬のみ腰をおとし』の句を挙げ、これこそ俳句文芸の現代最高水準を示すものだと答えた。」
この文章が書かれた時代背景については昭和21年5月に設立された新俳句人連盟がその1年後に西東三鬼や三谷昭、富沢赤黄男らが脱退した後であり、桑原武夫が書いた「第二芸術論」発表された1年後であった。新俳句人連盟の会員の中には草田男に批判的な見解を持っている人の多いいなかでこの様な論文が載せられたのだから当然反発が起きてくる。もとより赤城さかえはそのことは覚悟の上で
「作家の思想といふものが作品の価値を決定するのは、その思想の位置そのものではなくその思想の方向と厚みにある。草田男が戦争支持の俳句を作ったり、敗戦の詔勅に泣き濡れた俳句を発表したところで、ただそれだけのことが草田男の詩人的価値を決定的に損ねるものではない。問題は氏が括弧つかずの前向きの詩人として歩んでいるか、その歩みが豊かな青春性を維持したものであるかどうかである『壮行や深雪に犬のみ腰をおとし』の句にしても、その句に潜む思想の位置といふことのみ重点を置いて、「その程度の戦争に対する批評性は、草田男ならずとも持ち合わせている陳腐なものだ・・・」とか、或いは又「その程度の句を作ってみても、結局戦争に協力してしまったことから見ても高く評価出来ないのではないか・・・」というような批評が行われ勝ちな昨今の雲行きでもある。併し、そのような批評は果たして正しいであらうか。さて、この句の功績は、何と言っても人々が熱狂している喧騒の中から、深雪に腰をおろしている哲学者『一匹の犬』を見出した作者の批評精神である。この一匹の『草田男の犬』によって、そこに画かれた群集図は単なる写実を遥かに越えた誌の世界を展開する。(つまり現実以上の真実=詩的現実の意)・・・・・・・出征風景は未だありありと誰の目にも残っているはずだ。そして、このやうな情景には必ずや『草田男の犬』にも匹敵するような詩のモメントが幾つも転がっていた筈である。併し、そうした喧騒の中から『一匹の犬』を見出し得る能力は、蚤取り眼の写生観でもなければ感覚の鋭さでもない。『一匹の犬』を発見した作者の詩眼には長い間の思想の集積がある。何度も出征風景に接し、何度も考へさせられ、何度も煩悶し、何度も思想するーーそういふ集積の果てに『一匹の犬』が現れるのだ。何故かと言って、出征の熱狂風景に憤り、絶望し憂慮しただけでは『草田男の犬』は決して現れて来ないからだ。戦争に対する懐疑とか否定とかはありふれたことである。その程度の思想の位置は確かに陳腐そのものだ。併し、あの長い戦争の時代にこの草田男十七音詩に匹敵出来る渾然たる文学的表現を克ちえた物がどれ程あったであらうか。・・・・・『壮行や』の表現によって、作者は批評家的客観の位置から、自ら詠ひ上げる詩人の位置にーーつまり、自らを自分の句の中心にーーしっかりと据え得たのである。--依然としてこの句の価値は『草田男の犬』を発見した批評精神である。この様に形式論的には一見矛盾したようなこの句の性質こそが、われわれが明日の文芸に要請するところの、リアリズムとロマンチシズムとの統一の上に成長する新しいリアリズムの性格なのだ。--詩的表現のみならず、文芸に於ける批評精神というものが、かつての『蒼き知性』から、よりヒューマンな創造的精神として把握される時代が来ていることを付記してこの小文を閉じよう。」
以上が「俳句人」に発表された内容である。これに対し、新俳句人連盟の芝子丁種らは
①(草田男の犬は)単なる壮行スケッチと観賞する。この場合傍観の『犬のみ」は添景に過ぎない。
②「壮行や」の「や」を感激と解する。すなわちこの作品は戦争賛歌を詠ったものであった。
③人間的思考なき「犬」に戦争を批判し、哲学する立場を象徴していると見るのは無理ではないか。
④従来俳句にはどちらにも取れるまったく相反する観賞が出来る物とみなされてきたが、これでは第一芸術どころか、俳句ジャンルそのものの成立を否定することではないか?
⑤社会主義リアリズムの表現手法として、「草田男の犬」の如き写実象徴は果たして肯定すべきや否や?
以上それらの見解の違いをめぐって論議が交わされたが結局は平行線のまま「草田男の犬論争」は終わりを見る。結局はお互い気負いすぎて感情的な泥仕合となり結論を見ることはなかった。

追記  赤城さかえ氏が「俳句人」(昭和22年10・11月号)に発表した「草田男の犬」に対し、最初に芝子氏の反論が「写実的象徴の問題」という題であった。
これは「草田男の犬」の中で、さかえ氏が一度だけ使った「写実の果の象徴」からきている。
この論争について鈴木蚊都夫氏は「赤城が指摘するように、深雪に腰をおろしている哲学者ともいえる一匹の犬を発見した作者、中村草田男の批判精神に気づかなければ、単に言葉をもじったに過ぎないだろう。だが、芝子は犬を作者の批判精神の代弁者としてみなかった。むしろ深い雪の中に腰をおろしている一匹の犬の存在感だけを認めており、赤城がいう『写実の果の象徴』としての批判精神をこの犬から発見でできなかったのである。論点の食い違いがこの辺でわかる」
と述べる。

参考    赤城さかえ   「戦後俳句論争史」

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春雨や味噌汁に千切る唐辛子   朱露

2010年02月15日 | Weblog

      「味噌汁に振る」では壜の七色唐辛子。
      干した唐辛子を焙って千切って散らす。
      白い種を二つ三つ入れるのが肝心要だ。
      香ばしい中に憂き世への怒りがガツン。

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