三年前の3月11日の朝、私は初めて長崎に旅行するためセントレアに向かっていました。
空港に向かう車の中からそれはそれは美しい朝日を眺めていたことを思い出します。
午前中に長崎空港についてまず平和公園を訪れました。原爆で犠牲になった方のご冥福と平和を祈り、それから浦上天主堂という教会に到着した時ちょうど教会の正午の鐘の音が迎えてくれました。
お昼にはおいしい長崎チャンポンをたべ、早春の長崎の青い空と青い海。坂のある異国情緒あふれる街なみを堪能し、路面電車にのったり降りたりと楽しく市内観光をしていました。
地震のことは全く知らずに、坂本龍馬で有名な亀山社中に向かおうとしていたとき、観光客の団体さんとすれ違いました。東北で大きな地震が起きたらしいよ、という声が聞こえてきました。
それでも歩いていたので特に情報を得ることもなく急な坂道を上って、三時半くらいにようやく亀山社中に到着しました。そこで一息ついて、ちょうど持っていたテレビの音声がきけるケータイプレーヤーのスイッチを入れてみますと、大津波警報とアナウンサーの叫ぶ声が聞こえてきました。
あまりの惨状にもう観光をする気持ちにもなれず、夕方早めにホテルに入りそのままテレビの映像から目を離せなくなりました。現実に日本で起こっていることとは思えませんでした。
旅先では何もできず、ホテルから見た長崎の夜景をとても悲しいやるせない気持ちで眺めていました。
たまたま私は長崎に旅行をしていましたが、あの日、東北に旅行にでかけ被災された方も多くいらっしゃったことと思います。
あの日から無事につつがなく一日をおえることが、いかに尊いことかを思い知らされました。
三年たっても仮設住宅などで不自由な生活をされている26万人以上の方。家族と離ればなれで暮らしている方、原発のこと、大切な人を亡くして悲しみの中に沈んでいる方が多くいらっしゃると思うと、本当にやるせない気持ちになります。
私たちは日常生活に追われ、被災された方としていない人とではこの3年の過ごし方や気持ちには隔たりがあるかもしれません。震災のつらい映像はもうみたくないという方もいらっしゃると思います。でもやはり、あの日の想像を絶する津波の恐ろしさを、全ての人が絶対に忘れてはいけないと思います。
80年前の昭和8年に東北地方を襲った昭和三陸大津波のことも私は今回の地震まで知りませんでした。
100年後を見据えて語り継いでいくことは大事だと思います。
最後に西村和子さんという俳人が作った俳句をご紹介します。
言の葉の非力なれども花便り
どんなに言葉を尽くして現実を切り取ってもあの大震災の前に打ちのめされ言葉もありませんでした。それでも季節は巡り3年が経ちました。言葉は非力かもしれませんが、やはり言葉で語り継いでいかなければならないと思います。
空港に向かう車の中からそれはそれは美しい朝日を眺めていたことを思い出します。
午前中に長崎空港についてまず平和公園を訪れました。原爆で犠牲になった方のご冥福と平和を祈り、それから浦上天主堂という教会に到着した時ちょうど教会の正午の鐘の音が迎えてくれました。
お昼にはおいしい長崎チャンポンをたべ、早春の長崎の青い空と青い海。坂のある異国情緒あふれる街なみを堪能し、路面電車にのったり降りたりと楽しく市内観光をしていました。
地震のことは全く知らずに、坂本龍馬で有名な亀山社中に向かおうとしていたとき、観光客の団体さんとすれ違いました。東北で大きな地震が起きたらしいよ、という声が聞こえてきました。
それでも歩いていたので特に情報を得ることもなく急な坂道を上って、三時半くらいにようやく亀山社中に到着しました。そこで一息ついて、ちょうど持っていたテレビの音声がきけるケータイプレーヤーのスイッチを入れてみますと、大津波警報とアナウンサーの叫ぶ声が聞こえてきました。
あまりの惨状にもう観光をする気持ちにもなれず、夕方早めにホテルに入りそのままテレビの映像から目を離せなくなりました。現実に日本で起こっていることとは思えませんでした。
旅先では何もできず、ホテルから見た長崎の夜景をとても悲しいやるせない気持ちで眺めていました。
たまたま私は長崎に旅行をしていましたが、あの日、東北に旅行にでかけ被災された方も多くいらっしゃったことと思います。
あの日から無事につつがなく一日をおえることが、いかに尊いことかを思い知らされました。
三年たっても仮設住宅などで不自由な生活をされている26万人以上の方。家族と離ればなれで暮らしている方、原発のこと、大切な人を亡くして悲しみの中に沈んでいる方が多くいらっしゃると思うと、本当にやるせない気持ちになります。
私たちは日常生活に追われ、被災された方としていない人とではこの3年の過ごし方や気持ちには隔たりがあるかもしれません。震災のつらい映像はもうみたくないという方もいらっしゃると思います。でもやはり、あの日の想像を絶する津波の恐ろしさを、全ての人が絶対に忘れてはいけないと思います。
80年前の昭和8年に東北地方を襲った昭和三陸大津波のことも私は今回の地震まで知りませんでした。
100年後を見据えて語り継いでいくことは大事だと思います。
最後に西村和子さんという俳人が作った俳句をご紹介します。
言の葉の非力なれども花便り
どんなに言葉を尽くして現実を切り取ってもあの大震災の前に打ちのめされ言葉もありませんでした。それでも季節は巡り3年が経ちました。言葉は非力かもしれませんが、やはり言葉で語り継いでいかなければならないと思います。