私は長年、テレビ番組を制作してきましたが、自分で1度 カメラを
回してみたいとかねがね思っていました 。
テレビ局を退職後、やっと、その時がきました 。
テレビ局から一本、番組を任され、ベトナム取材が実現しました。
三重県とベトナムの意外な関係を追った内容です。
自前のデジタルカメラで取材しながら撮るため、どこで、いつ何を
撮ったか、などを日記風にメモ書きすることにしました 。
そのメモ書きが残っていました。
平成8年 (1996 ) 4月14日 ~ 4月19日
ベトナム北部の首都ハノイから国内航空で ベトナム中部のダナンへ 。
ここに宿をとって目的地のホイアンへ 通いました 。
「 4月15日 ダナン 。…… コーディネーターのソンさんは日本語がかなり
出来るので助かる 。
大阪外大にも留学していたそうで、今はダナン大学の教授をしておられる。
…ソンさんとタクシーで日越友好協会へ 。
アン会長からホイアンの遺跡保存について一時間ほどレクチュアーを
受ける 。アン会長は以前に松阪の角屋 、名古屋の茶屋家の足跡を訪ね
られた由 。… 」
まずホイアンの遺跡とは 。
江戸時代、朱印船貿易で日本人町があったホイアン 。
松阪の角屋とは 、江戸時代前期、伊勢 松阪の廻船問屋 角屋七郎右衛門
のこと 。角屋は貿易のためベトナムに渡ったが 、寛永12年 ( 1635 )
鎖国令が出たため、そのまま現地に留まり生涯を終えています 。
その間 、ホイアンの日本人町の長を務めたそうです 。
ホイアンに今でも日本橋があるなど、その痕跡が残っています 。
また 、カオラウという郷土料理がありますが、これは、伊勢うどんが
ルーツといわれています 。
これらの情報を当時、私はどこで知ったのか 。
多分、神職で伊勢神宮の歴史ばかりでなく伊勢地方の民俗にも詳しい
矢野憲一氏から聞いた話だったように思います 。
いづれにしても、ホイアンをテレビで取り上げたのは、最も早い
ほうだと思います 。
ホイアンの古い町並みは 1999年、世界文化遺産に登録されて、今や
ベトナム観光の目玉の1つになっているようですが … 。
名古屋の茶屋家については、蓬左文庫に史料があるようですが、まだ、
見ていません 。
「 茶屋新四郎のこと 。戦国、織豊時代の京都の豪商 、茶屋四郎次郎
の3男で慶長19年 尾張名古屋藩主 徳川義直につかえ、藩の呉服用達や
朱印船貿易に従事 」( 日本人名大辞典plus 講談社 ) とあります 。
次回は伊勢うどんに似たカオラウの味や日本橋 、日本人のお墓など
その痕跡を撮影したメモ書きから お伝えします。
写真の絵はベトナム ホイアンの古い町並み
私の撮影に協力して下さった画廊を経営する画家が描いた作品 。
一枚20ドルで購入 。旧市街の雰囲気がよく出ています 。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_fine.gif)
歴史に、もしも、はありませんが、幕府が鎖国政策をとらなかったら、
日本のあり方は違っていたでしょうね。(遅足)