575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

「 ベトナム撮影日記 1996 」から ⑴  竹中敬一

2019年03月02日 | Weblog

私は長年、テレビ番組を制作してきましたが、自分で1度 カメラを

回してみたいとかねがね思っていました 。

テレビ局を退職後、やっと、その時がきました 。

テレビ局から一本、番組を任され、ベトナム取材が実現しました。

三重県とベトナムの意外な関係を追った内容です。

自前のデジタルカメラで取材しながら撮るため、どこで、いつ何を

撮ったか、などを日記風にメモ書きすることにしました 。

そのメモ書きが残っていました。

平成8年 (1996 ) 4月14日 ~ 4月19日

ベトナム北部の首都ハノイから国内航空で ベトナム中部のダナンへ 。

ここに宿をとって目的地のホイアンへ 通いました 。

「 4月15日 ダナン 。…… コーディネーターのソンさんは日本語がかなり

出来るので助かる 。

大阪外大にも留学していたそうで、今はダナン大学の教授をしておられる。

…ソンさんとタクシーで日越友好協会へ 。

アン会長からホイアンの遺跡保存について一時間ほどレクチュアーを

受ける 。アン会長は以前に松阪の角屋 、名古屋の茶屋家の足跡を訪ね

られた由 。… 」


まずホイアンの遺跡とは 。

江戸時代、朱印船貿易で日本人町があったホイアン 。

松阪の角屋とは 、江戸時代前期、伊勢 松阪の廻船問屋 角屋七郎右衛門

のこと 。角屋は貿易のためベトナムに渡ったが 、寛永12年 ( 1635 )

鎖国令が出たため、そのまま現地に留まり生涯を終えています 。

その間 、ホイアンの日本人町の長を務めたそうです 。

ホイアンに今でも日本橋があるなど、その痕跡が残っています 。

また 、カオラウという郷土料理がありますが、これは、伊勢うどんが

ルーツといわれています 。

これらの情報を当時、私はどこで知ったのか 。

多分、神職で伊勢神宮の歴史ばかりでなく伊勢地方の民俗にも詳しい

矢野憲一氏から聞いた話だったように思います 。

いづれにしても、ホイアンをテレビで取り上げたのは、最も早い

ほうだと思います 。

ホイアンの古い町並みは 1999年、世界文化遺産に登録されて、今や

ベトナム観光の目玉の1つになっているようですが … 。

名古屋の茶屋家については、蓬左文庫に史料があるようですが、まだ、

見ていません 。

「 茶屋新四郎のこと 。戦国、織豊時代の京都の豪商 、茶屋四郎次郎

の3男で慶長19年 尾張名古屋藩主 徳川義直につかえ、藩の呉服用達や

朱印船貿易に従事 」( 日本人名大辞典plus 講談社 ) とあります 。


次回は伊勢うどんに似たカオラウの味や日本橋 、日本人のお墓など

その痕跡を撮影したメモ書きから お伝えします。


写真の絵はベトナム ホイアンの古い町並み
私の撮影に協力して下さった画廊を経営する画家が描いた作品 。
一枚20ドルで購入 。旧市街の雰囲気がよく出ています 。

             

歴史に、もしも、はありませんが、幕府が鎖国政策をとらなかったら、

日本のあり方は違っていたでしょうね。(遅足)

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