575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

「 ベトナム撮影日記 1996 」 から ⑶ 竹中敬一

2019年03月16日 | Weblog


ベトナム中部のダナンのホテル、 1 泊目の夕方の出来事です。

「 5階の小生のルームからエレベーターで1階 のフロントへ行こうと

したら、扉が開かない 。

その前から、エレベーターの中に" please Call 01・02 " と書いて

あったので気になっていたが 。

つまり、よく故障するらしい予感はあった 。

早速、エレベーター中の電話でこのことを告げる 。

" オー ! アイ ヘルプ ユー " という声は聞こえてくるが …… 。

いらいらしていると、やっと扉がゆっくり開く 。

目の前に初老の係員がニコニコしながら立っている 。

不思議にこちらも気持ちが和らぐ 。

小生が外のレストランで夕食を済ませて帰って来ると、今度はその初老

の係員が一緒にエレベーターに乗ってくれる 。

5階で案の定、また、開かない 。

ところが、係員がエレベーターの下の方にあるボタンを押すと開くのだ 。

初老の彼はまた、ニコニコしなだら" ここを押してもらえばよい "

という。始めに教えてもらいたかったなぁ 。」

今ではこんな人間味あるホテルもなくなっていると思いますが … 。


20年前のことながら、この国では悠然と時が流れているようで、

取材や撮影もなかなか思うようにはいきません 。

ホイアン撮影の2日目の日記 より

「 …… 午後2 時頃、予定通り コーディネーターのソンさんとホイアン

近郊の日本人の墓がある村に向かう 。

舗装もされていない狭い道を行くと、丁度 、学校が終わった頃らしく、

子供たちが多勢 寄ってくる 。

かなり風化しているものの、日本語で名前が刻まれた墓石を撮ろうと

するが、子供たちの人垣ができて、撮りにくい 。

次のお墓は田んぼの中 。ここにも、子供たちがついてくる 。

小生も終戦直後、MPのジープに皆んなで ついて行ったことを思い出す 。

お墓を撮っている時も子供たちが騒がしくって、何回も撮り直し 。

ソンさんもあきらめ顔 。

でも、やっと、30秒位なら使えそうな老婆のコメントを頂いた 。

「私たちは先祖からここのお墓は日本人のものだということを教えられて

きてますので、もちろん、よく知っています 。

今でも私たちは月の 1 日、15 日には、日本人のお墓に線香を手向けて

います。」


撮影中、子供たちではなく少女たちに囲まれた経験があります 。

ベトナムへ行く前の年だったと思いますが、別のテレビ番組の取材、

撮影でカンボジアのアンコールワットへ1人で行った時のことです。

遺跡を撮っていると、何処からともなく少女たちがやって来て、私の

方に向かって、ひざまずき一斉に拝む姿勢で手を合わせ始めました 。

その数 凡そ30人 。

コーディネーターに聞くと、なんと私が畏れ多くもカンボジアの

シアヌーク国王に似ているからとのこと 。

どうも、白人の外国観光客が多いアンコールワットで同じ肌の色を

した人物が当時、まだ珍しかったデジタルカメラで撮影しているのを見て、

親近感をいだき、私を日頃、尊敬するシアヌーク国王に見立てて遊んで

いるように感じました 。

そのうち、2人の少女がどこまでも私のあとを追って来て、三脚を持って

くれたりカメラ助手を務めてくれました 。

せめて、僅かながらチップをと思い渡そうとしますが、受け取りません 。

コーディネーターも収拾がつかなるから止めるようにとのこと。

私の出会った少女たちは、アンコールワットの女神のお使いのように

見えました 。


写真の絵はベトナム ホイアンで画廊を営む画家の作品 。
布地に描かれています 。

            

竹中さんは殿様ならぬ殿下ですね。ベトナム撮影日記は今回で終了です。遅足
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