575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

「 ベトナム撮影日記 1996 」から ⑵ 竹中敬一

2019年03月08日 | Weblog


4月15日 午前8時頃 、ベトナム中部のダナンに到着、ホテルで撮影機材

を準備して、日越友好協会のアン会長にお会いした後、ここから東南下

に位置するホイアンへ向かいました 。

「 … 4月15日 午前10時すぎ、コーディネーターのソンさんと運転手とで

車でホイアンへ向かう 。

道路はところどころデコボコしているが、一応 、舗装されている 。

そこを、ブザーを鳴らしっぱなしで走る 。というのも道いっぱいに

自転車やバイクが通るため 。ここでは、乗用車などは殆ど見かけない 。

ダナンからホイアンへアメリカ人観光客がバイクの後ろに乗せてもらって

いる姿をよく見かける 。

ホイアンまで車で一時間間位と聞いていたが、40分ほどで到着 。

むし暑い 。

ホイアンの旧市街を通り抜け、日本橋の入り口にある画廊の軒先を借りて

カメラのセッティング 。

日本橋をあちこちから撮る 。とにかく暑い 。汗が吹き出してくる 。

旧 日本人町街を歩く。古い町並みが200軒近くもあるという。町並みが

フカンできる場所のお宅へ 。

こころよく、屋上へ案内していただく 。…

この後 、例の伊勢うどんの店に行く 。モヤシ続けて太めのヌードル

その上に豚肉、野菜などが加わる 。食べるシーン、 お客さんに協力して

もらって撮る 。… 」


翌日もダナンからホイアンへ撮影に出かけています。

日本橋は現地ではライビエン( 来遠 )橋と呼ばれ、1593年 日本人が建てた

とされています。

橋の幅は約3m 、長さ18mで太鼓橋のように真ん中が盛り上がっており、

中国風の屋根がついています。

江戸時代、鎖国令が出た後、日本人が殆どいなくなると中国人が住みついたようで、

旧市街も所々にウナギの寝床のような京都の町屋を思わせる建物も見つけられますが、

全体は中国風です。

「 伊勢うどんの店 」と勝手に書いていますが、カオラウという郷土料理があるお店で、

私も食してみましたが、淡白な味で美味しく頂きました 。

江戸時代の一時期、ホイアンの日本人町には300人もの日本人が住んでいたそうで、

伊勢 松阪の商人 角屋七郎右衛門率いる伊勢地方の人達も多く含まれていたと思われ、

伊勢うどんに似たカオラウが生まれたといても不思議ではないと思われます。

この後、ホイアン市内を流れるトゥボン川沿いの市場を撮影した際、

「 ワンダラー ワンダラー 」と要求されましたが、収拾がつかなくなると思い、

我慢したことを思い出します。

ダナンの町は宿泊するだけで、ハン川沿いの町並みを車で通ったでけですが、

今回 、アメリカと北朝鮮の首脳会談の開催地が当初、ダナンと有力視された頃、

テレビで見たダナンの町は高層ビルが建ち並び以前とは見違えるほど

様変りしていました 。

ベトナムもかっての中国のように自転車やバイクの洪水は乗用車に取って

代わる日も近いと思いました 。

いや、もうそういう時が来ているのかもしれません。 つづく


写真は日本橋 ( 来遠ライビェン橋 )
撮影に協力して下さった画廊を営む画家の作品。
横 14㎝ 縦6㎝

コメント
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