牡丹の芽は動物の爪への例え。また牡丹の芽は新しい生命の訪れを象徴。
しかし牡丹の芽を獣の爪に例えています。
そこで獣を「獅子」として捉える禅の視点で解釈してみます、と殿様。
京都南禅寺には、左甚五郎作といわれる透かし彫りの欄間。
「牡丹と唐獅子 虎に竹」で有名です。
ところで強い筈の獅子も刺し虫だけは苦手。
この刺し虫は牡丹の花から滴る夜露に弱いとされ、
獅子にとっては牡丹の花の下が安住の地。
さらに虎は象が苦手。しかし象は体が大きく竹林に入れません。
虎にとって竹林は安住の地。つまり安住の地<幸せ>は個々により違い、
自らが探し求めるべきというのが禅の教え。
こうした禅の視点で句を詠めば、安住の地<幸せ>はやがて訪れる
という解釈になると思います。
ところで冒頭の「獣」の一文字で句に引き込まれました。
「獅子」としなかった作者の筋書き通りに私は歩んだようです。
日頃見慣れていた獅子と牡丹、虎と竹の取り合わせ。
こんな深い意味があったんですね。勉強になりました。
南禅寺といえば湯豆腐を思い出すということではダメですね。(遅足)