元号は空気のような存在。普段、気にすることはありません。
それが変わる。新しい元号になります。しかも「令和」なじみのない言葉。
戸惑いを感ずるのは作者だけではありません。
作者は日記帳に「令和」と書いてみました。新元号への違和感。
そして、それに慣れていかなくては、という気持ちからでしょうか。
年号の数え方は二通りあります。
一つは、西暦のように歴史上のある出来事を起点とするもの。
もうひとつが元号。こちらは皇帝など君主の即位によってリセットされます。
元号は、君主は空間だけでなく、時間をも支配する、という考えに基づいています。
朝鮮・日本・ベトナムなどは中国にならって元号を持っていましたが、
今では日本だけです。世界でもおそらく唯一の国だそうです。
作者が令和と書いてみたのは日記帳です。
日記帳は毎日の出来事を記録するいわば個人の歴史書。
この歴史を空気のように支配しているのが元号なんです。
上五の「日記帳」は、この句に深い意味を与えているのでは?(遅足)