津島祭礼図屏風には金地の背景に旧暦6月14日の宵と その翌朝 ( 現在は7月
第4土曜とその翌日 )天王川で繰り広げられる川祭の情景が描かれています 。
天王祭は600年余りの歴史がありますが、この屏風絵は江戸時代前期 ( 17 世紀)
頃の作品と見られています。
津島神社発行の由緒書によりますと、天王祭は初夏 ( 現在は7月の第四日曜を中心
として )の三ヶ月間に亘る「神葭 ( みよし)神事」」( 海岸や川辺に群生するヨシに
人間の罪、穢れを託して様々な神事を行い、最後にそのヨシを流す )と
宵祭り、朝祭りの 「川祭り」に分けられるそうです。
〇 屏風絵の右隻( 対になっているものの右の屏風 )ー 宵祭り
川を挟んで向う側 、向島に鎮座する津島神社の鳥居が見えます。その手前の土手道
を急ぐ神官や見物人の姿があります。
天王川に架かる橋の上は槍を立て並べて厳重な警護 。
川には町方衆の一行が乗る船や 祭船に関わる人の乗る伴船など凡そ30艘が配列良く
描かれています。
画面上、一番目を引くのは矢張り、沢山の提灯を掲げた巻藁船 ( まきわらぶね )の5艘 。
大船二艘を結び合せ、その上に屋形を乗せて、真柱 ( まばしら )が中央に高く立って
います。
“ この柱に一年十二ヶ月を表す12の提灯、その下の半円径の提灯は1年365日を示す “
(「 津島市史 」昭和50年 刊 )とありますが、屏風を見て確認できるのは柱の提灯の数は
多くて6個、半円径の提灯も立体的ではないので、はっきりわかりませんが、とても
365個もあるようには見えません。
和ロウソクは江戸時代になってかなり普及しましたが、ぜいたくな高級品で使用できる
のは裕福な商人や武家に限られていたようです。
津島神社のある向島には詰め所や社家、武家の屋敷が見え、祭りを見物に敷き物に座って
いるのは、それら上流階級の家族や親族のようです。
それに比べて、天王川の手前は町民や農民など雑多な見物人であふれかえっています。
女歌舞伎やカラクリ、人形芝居などの見世物小屋 。その周りには、みたらし団子などを
売る飲食物の店が細かく描き込まれています。
眼を凝らして見ないとわからないような場面を出来るだけ多くクローズアップして
後にお伝えします。
写真は「津島祭礼図屏風 」( 大英博物館蔵 )
「 綴プロジェクト 」高精細複製品より
天王川を挟んで津島神社の鎮座する向島は社家や武家の屋敷があり
その一族が敷物に座って祭りを見物 。