575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

流れ星   麗

2018年08月16日 | Weblog
お盆も終わりました。
以前にこのブログにも書きましたが、大阪の実家では13日に迎え火。15日に送り火を玄関で焚き、最後に年長者から順に水をかけて火を消していくという風習があります。
ご先祖さまが少しでも家にいる時間が長いようにと迎え火は早い時間に、送り火は夜遅く焚くということも教えられました。
ご先祖さまにお供えする三度のお膳は精進料理なので、必ず昆布だしでと母に言われていました。元気な頃、母は、かわいいお膳におままごとのように、にんじん、里芋、カボチャ、油揚げなどの煮物を細かく切り、ナスのごま和え、ごまどうふ、そうめんのおつゆなどを作ってお供えしていました。
ここ数年は父がスーパーで総菜を買って来て盛りつけています。

ご先祖さまももう流れ星に乗って黄泉の国へお帰りになった頃かと思います。
お盆に帰省できずごめんなさい。9月にお墓参りにいきますからと西の方に向かい手を合わせた私のお盆でした。

        流れ星黄泉の国までひとっ飛び   麗
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8月句会が近づいてきました。

2018年08月15日 | Weblog

今回の題詠は「流れ星」です。

流星は秋の季語。傍題には、夜這星(よばいぼし)、星流る、
星飛ぶ、星走る、があります。

  願ひごと半ばに消えて流れ星  大野花子

流れ星が消えぬ間に願い事を口にすれば叶う、と聞き、
子供のころ、夜空を見つめたこともありました。

  五人居て三人気付く流れ星   村井信子

「あっ流れ星」という声が聞こえた時はもう遅いようです。

  男には滅びの美学星流る  遅足

今年のペルセウス座流星群は13日の夜が一番見頃だったとのこと。
都会でも見ることが出来るということでしたが、
あいにくの天気、何人がご覧になったのでしょうか?

今回は8月22日(水)午後1時20分
栄・愛知芸術文化センター12階C会議室です。お間違いのないように。

            

今日は73回目の終戦記念日。曇りです。完全に亜熱帯の気候。
安倍さんの改憲への動きが最終段階へ。
自民党結党以来の夢が実現するのか?静かなる嵐の気配です。(遅足)




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函館の自由市場に売られたる巨大なしじみ 十勝産とふ

2018年08月14日 | Weblog

函館の市場といえば駅のすぐ横にある函館朝市が有名です。
そこからほど近いところにあるのが函館自由市場です。
ここのスタートは昭和20年の夏。
終戦直後のヤミ市として自然発生的に誕生した市場です。
戦中は国家の統制があり「自由」という言葉は禁句でした。
自由という言葉には戦時体制の終わった喜びが込められていたのです。

函館朝市が観光客を中心にした市場なら、こちらは市民の市場。
新鮮な海産物が売り物です。
店先を覗いていたところ、大きなシジミが目の飛びこんできました。
500円玉より大きく、アサリくらいあります。
このジャンボしじみは、十勝地方の大樹町で獲れるそうです。
それも一年に二日間だけ7月の中旬に漁が許可されているとか。
これこそ北海道だなあ!と思いました。(遅足)

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翼なき羆(ひぐま)渡れる利尻島 右舷に見つつトーストを食む

2018年08月13日 | Weblog

先日、平成天皇ご夫婦が訪れた利尻島。
本島からおよそ20キロ離れています。
ここでさる6月にヒグマの足跡が見つかったそうです。
大人のオスとみられ、泳いで渡ったと推測されています。
この時期は、オスがメスに求愛をする時期で、
争いに負けたオスが新天地を求めて渡ったと考えられています。

利尻島にはおよそ100年前にもヒグマが渡った記録があるとか。
この時は殺されてしまいましたが、今回の熊は消息不明。
メスがいないとわかったら本島に戻った可能性もあるとのことです。

写真は、宗谷岬を廻り南へ、飛鳥の右舷より見た利尻島です。
利尻富士は顔を隠していました。
                 遅足



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摩周湖のあおより生るる秋の蝶   遅足

2018年08月12日 | Weblog

摩周湖(ましゅうこ)は、北海道の弟子屈町にある湖。
バイカル湖についで世界で二番目に透明度の高いことで有名です。
七千年前の噴火によって出来たカルデラ湖で、
アイヌ語では「キンタン・カムイ・トー(山の神の湖)」
と呼ばれていたそうです。

摩周湖は交通が不便なため、観光客はほとんどいなかったとか。
布施明の『霧の摩周湖』のヒットで、知名度を高まり
全国から観光客が押し寄せるようになりました。
大学生の頃に一度、おとずれたことがあります。
その時は歌の通りに霧に閉ざされて、一瞬、湖面が見えただけ。

透明度が高いことから、青以外の光の反射が少なく、
よく晴れた日の湖面の色は「摩周ブルー」と呼ばれています。
今回は7月の下旬に訪れた時は、晴天に恵まれました。
摩周湖の青を堪能できました。

  初秋の霧閉ざしゆく摩周湖に千年貝となって眠らん


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陽は熟(う)みて水面死す河骨の花  等

2018年08月11日 | Weblog

557の破調の句です。
太陽が中天に熟しきっています。
風もなく、水面は死んだように静かに。
ただ一花。黄色の花が水中から・・・
河骨の花です。

熟む、死す、骨という死をイメージさせる言葉。
畳みかけるようなリズム。
破調も内容によく合っています。
写生を超えた写生の句です。(遅足)

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浮草を揺らす水底誰(た)が棲むや   能登

2018年08月10日 | Weblog

一面の浮草。よく見ると一か所、揺れているところが・・・
鯉か鮒か?はたまた・・・
いや、ひょっとすると河童かもしれない。
作者には子供のこころがよみがえったのでしょうか?
誰が棲むや、という呼びかけには、そんな気持ちが
込められているように感じました。

日本人とヨーロッパ人では自然に対する態度が違うとか。
自然と人間をつながったものと捉える日本人の世界観が
この句のなかにも流れているように感じます。

  群生の浮草の中動く影  狗子

群生とは、同一種類の植物が1か所に群がって生えること。
同じような景を詠んでいますが、こちらの句は
主観を抑え、客観的に詠まれているように思います。

子規が唱えた写生とは、どんな写生だったんでしょう?
                  
                    遅足
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一人舞う厨私の神楽堂  

2018年08月09日 | Weblog
これは、大分に住む叔母の川柳です。
35度のクーラーのない台所で家族のために料理を作っている叔母。主婦のプロとしての心意気が伝わってきます。母と14歳も年の離れた叔母は、母と雰囲気がとても似ています。

新婚当時、叔母は大阪に住んでいました。私が小学校一年生の夏休みの思い出。兄と二人だけでで電車に乗り、叔母の新婚家庭を訪ねました。初めての二人旅です。

叔母は、お昼ごはんに私と兄のためにオムライスを作ってくれました。なんと、黄色の薄焼き卵の上に、ケチャップで「まこと」「みちよ」と私たちの名前を書いてくれました。
それがとっても嬉しくて、今もそのオムライスの美味しかったことをはっきりと覚えています。

母とあまり会話が出来なくなってから、私と叔母は電話でよく話をするようになりました。母に甘えられなくなった私は叔母に頼ってばかり。。
そんな叔母が今日も暑い台所を神楽堂に見立て、孤軍奮闘、一人舞っている様子を想像し、私も暑さに負けずご飯を作ろうと思うのです。

先日も叔母からおいしい酒蔵の甘酒が届きました。飲む点滴と言われる甘酒。これで今年の猛暑も乗り切れそうです。ありがとう!おばちゃん。

       ケチャップで名前を書いたオムライス  麗
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炎天の通勤電車音軋む   狗子

2018年08月08日 | Weblog

作者の住む豊橋市では今も市内電車が走っています。
炎天下、カーブを曲がる時、軋むような音が。

8月6日は広島。9日は長崎。米軍は、相次いで原爆を投下。
広島では通勤の電車が走っていた時間でした。
そんなことも思い起こさせる句です。
「軋む」という言葉の持つイメージの力でしょうか?

本歌取りで、こんな句を詠んでみました。

  炎天を軋ませて列車征きにけり   遅足


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炎昼の熱閉じこめてアスファルト  すみ

2018年08月07日 | Weblog

アスファルトは、道路舗装でお馴染みです。
大昔から、接着剤や防水材として利用されてきたそうです。
縄文時代の日本では、矢尻を固定するために、また
土器や土偶の修理にも使用されていたとか。

観測史上最高の気温のつづく名古屋。夜になっても気温が下がりません。
さまざまな原因が考えられますが、アスファルト道路もその一因かも。
昼間に蓄積した熱を夜に放出しているのでしょう。
オランダでは、高速道路のアスファルトが溶けたため閉鎖となったとか。

松平盟子さんが1日のふらんす堂の短歌日記に発表した歌。

  熱まとうアスファルトの坂のぼりかけ、火星よわたしはまだ戦っている

             

今日は立秋。朝から雨。恵みの雨です。
しかし35℃まで気温はあがるという予報。
今日はこれから病院で年に一度のMRなどの検査。
水が飲めません。               遅足



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連続・中日歌壇

2018年08月06日 | Weblog
先週に続いて、宗匠の歌が今朝も掲載されています。

島田修三選
   
   りんりんと鎌の刃を研ぐ三日月の鋼は光り匂いはじめる

  {評}
   三日月の鋭利なイメージを端的に描いた。
   不思議な臨場感を帯びる下二句

トキントキン(名古屋弁?)の三日月のイメージが浮かびます。
おめでとうございます。
郁子
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浮草やスーダラ節の桃源郷  郁子

2018年08月05日 | Weblog

東京オリンピックのあと、一斉を風靡したスーダラ節。
『わかっちゃいるけどやめられない』と唄う植木等の声が、
高度経済成長期の日本人の心を捉えました。

青島幸男が、植木の口癖であった「スイスイスーダララッタ~」を
ヒントに作詞。しかし、真面目な植木は歌うことを躊躇したそうです。
この時、浄土真宗の僧侶だった父の植木徹誠は、
「『わかっちゃいるけどやめられない』は人間の矛盾をついた真理で、
親鸞の教えに通じる」「必ずヒットするぞ」と励ましたといいます。

父の言う通り、発売されるや否や「スーダラ節」は大ヒット。
スーダラ節で日本人が浮かれていた頃は、昭和の桃源郷だったのかも。
浮草と言う季語もピッタリで・・・・見事な文明批評になっています。

                         遅足

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その下に目高くつろぐ根無草  佐保子

2018年08月04日 | Weblog

浮き草にはメダカが身を隠すことのできる場所を提供するほか、
夏の水温上昇を抑えたり、緩やかにする効果があります。
目高も根無し草も季語ですが、この句の場合は
根無し草が主、目高が従で、問題ないと思います。

           

東京に文学講座を聞きにいってきました。
折口信夫や石牟礼道子についてのお話でした。
クーラーの効いた講堂での講義、ついつい居眠りも。
連日の暑さ。いつ雨が降ってくれるのでしょうか?

                   遅足
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流れざるごとく浮草流れゆく  亜子

2018年08月03日 | Weblog

浮草は沼など流れのないところに繁殖します。
一見すると、動いてはいないようですが、
水は決して留まってはいません。
その上の浮草も知らず知らずのうちに流れています。

人間も社会も一日一日は変化のないように感じます。
しかし一年、あるいは十年単位で見ると随分変っています。
時間ははゆっくりとしかし確実に動いています。
そんなことをも思わせる一句です。
                    遅足

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炎暑お見舞い申し上げます。   麗

2018年08月02日 | Weblog
昨夜は寝苦しい夜でした。一晩中27度のクーラーをつけていたのに汗をかいていました。
でも朝からセミたちは元気です。
セミの抜け殻をみると思い出すのは、母が何度も話してくれた子育て中のひやっとしたお話。

私がまだ1歳ぐらいの時、せみの抜け殻を兄が家の中に持って来て、机の上に放置しておいたそうです。それを私が一人でむしゃむしゃと食べてしまったそうです。母が気づいた時には満足げな私の口元からセミの足が出ていたそうな?(ちょっと話を盛ってる気がします)

食いしん坊だったのでしょうか?またある時は、兄が水疱瘡にかかって母が薬を皮膚に塗っている間にも、枕元にあった甘い飲み薬を私がごくごくと一気飲みしてしまったそうです。
さすがにその時、母は青ざめ、足は震え、お医者さんに駆け込んだそうです。抱っこして走ってもちっとも足が進まず。。。でも私は、母が走ってくれるのが嬉しいのか、ニコニコ笑っているというお話です。

この繰り返し聞かされた私の子供の頃の思い出話を、今、母が覚えているかな?と思い先日、施設にいる母とケータイでおしゃべりした時に聞いて見ました。

私「お母さん、私が子供の時、セミの抜け殻食べたの覚えてる?」
母「覚えてるよ。おいしそうに食べてたわ~」(笑)
私「お兄ちゃんの薬、一気に飲んだことは?」
母「あんな怖かったことなかった!!死ぬかと思ったわ。でも先生があの薬は大丈夫って言ってくれて。。。」
としっかり記憶されていました。
新しいことは覚えられなくなっているけど思い出話はできるのでまたおしゃべりに帰ってあげたいと思っています。

            蝉しぐれ同じ話を何度でも  麗
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