575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

6月句会の投句があつまりました。 

2020年06月15日 | Weblog
姿を消したと思っていたカタツムリ。雨が降ればちゃんと存在を誇示。
今日は梅雨の中休みで、木陰に。
どのカタツムリが先頭きってゴールに・・・。遅足

兼題「かたつむり」
1  かたつむり マスク二枚の 生命かな
2  雨だれの音一人聴くかたつむり
3  ででむしを空に透かして子規独り
4  しとど濡れ 急ぐ蝸牛に 傘かざし
5  ででむしや野宿旅の子知覧発
6  前へ前へ篠突く雨の蝸牛
7  てで虫やぬるり顔出す葉裏かな
8  うずまきはねむりのかたちかたつむり
9  何用ぞ車道横切るかたつむり
10 我を見て葉裏に隠れかたつむり
11 卒寿過ぎ馬場あき子飼ふ蝸牛
12 葉の裏で揺られて眠るかたつむり
13 次世代のネットぐるぐるカタツムリ
14 かたつむり老いにほどよき暮し向き
15 藪こぎできもかわの出合いかたつむり
16 蝸牛その枝の先虚空なり
17 銀のすじ残して何処かたつむり

自由題
1  見ぬふりの網戸の埃日に増して
2  十薬の灯りをともす墓場かな
3  さくらんぼ三時のチゴイネルワイゼン
4  井戸端に皆でしゃがんで枇杷の味
5  桑の実で唇染めて若返り
6  でで虫やステイホ-ムをしておりぬ
7  初夏の空気を汚すコロナ菌
8  アマリリス赤き風船膨らます
9  かたつむり星降る音をかぞえつつ
10 七七日過ぎて見上げる梅雨の星
11 かたつむり 甲冑重き 戦士かな
12 舟唄も若葉に負けじ最上川
13 枇杷の実や 隠れ平家の 味を秘め
14 赤や黄の千羽鶴持ち炎天下
15 父の日や手巻き時計は抽斗に
16 暗き天隙間光れる走り梅雨
17 カタツムリ家出していた父帰る

 
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かたつむり 蓑ひとつなき 庵主かな <殿>

2020年06月14日 | Weblog


蓑<みの> カヤやスゲで編んだ日本の雨具。
庵<あん> 僧尼の住む粗末な小屋。

時は室町。ある武人が狩りをしていると村
雨が降ってまいります。武人は雨具を借り
ようと粗末な小屋に立ち寄ります。すると
若い女が出てきて「お恥ずかしゅうござい
ます」と一言。差し出された盆の上には山
吹の枝が一本。武人は意味がわかりません。
ある家来が「七重八重 花は咲けども 山吹
の実のひとつだに なきぞ悲しき」という古
歌があり「実の」とは「蓑」<みの>のこと
で「お貸しする蓑もない」という意味だと
伝えます。武人は自らの無学を恥じ研鑚を
積み和歌の達人となります。ちなみに古歌
は後拾遺和歌抄に収められていて作者は兼
明親王。武人とは太田道灌のことで、落語
の演目「道灌」として有名。この「道灌」
「ななへやへ はなはさけども 山ぶきの みの
ひとつだに なきぞあやしき」を「ナナヘヤ
ヘ、ハナハサケドモ、ヤマブシノ、ミソヒ
トダルト、ナベトカマシキ」とする口上が
見せ場となります。

落語「道灌」<14分間>は下記サイトよりご
鑑賞いただけます。
https://www.youtube.com/watch?v=PkUmQS4cNIs

写真と文<殿>

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かたつむり 雨降る夢の 仮寝かな <殿>

2020年06月13日 | Weblog


梅雨の晴れ間。かたつむりの仮寝。雨の夢を
みているのでしょうか。カタツムリの仮寝。
暑さや乾燥から体を守るため殻に篭った状態。

カタツムリの語源は、笠つぶり、潟つぶりな
ど諸説さまざま。ちなみに「つぶり」古語で
巻貝を意味します。カタツムリの料理といえ
フランスのエスカルゴが有名。しかしスペイ
ンや米国でも食したことがあります。日本の
飛騨地方では「クチベニマイマイ」と称する
おやつが子どもたちに食べられていました。
殻を割った肉をクワの葉に包み囲炉裏に埋め
焼いて食べたとの由。クチベニマイマイは桑
の木で繁殖するため養蚕農家で食されていま
したが、戦後、養蚕の衰退とともに消滅。こ
の話、高山市荘川町猿丸在住の友人の母堂よ
りお聞きしました。この猿丸は今昔物語 猿神
退治の舞台となった地。

とまれ、子どもたちに人気のあるカタツムリ。
童謡だけでなく子どもたちに食されていたと
は驚きです。

写真と文<殿>
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卯の花に問えば垣あり陶火色(トウヒイロ)   結宇

2020年06月12日 | Weblog

どうも陶芸に関する句のようです。茶碗などに知識のない遅足です。
この句にはまったくお手上げ。作者にお聞きしました。

数少ない茶碗の国宝のひとつに、志野茶碗、銘“卯の花垣”と言う名碗があります。
現在、東京・三井所有で時折展示されます。
まさにこの卯の花垣は、志野焼に鉄絵で“井の字”のような模様が描かれてます。
これを後の人が“卯の花”の垣根と見立てたようです。
白いところを、卯の花ことでもみたのでしょう。

朝鮮の真似から脱し、日本独自の陶器をつくろうとした時代の空気が、
あのとっぷり白い釉薬を使った志野焼を完成させたようですね。
私は志野の茶碗が大好きで東京へ時々見に行くのですが、
桃山時代のものですから、当然作者の銘はありません。

            

なるほど。私も志野は好きなんですが、そういう背景があったんですね。
勉強になりました。遅足

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かたつむりちょっと上向く青時雨  麗

2020年06月11日 | Weblog
来週のメール句会は「かたつむり」が兼題です。
東海地方も昨日梅雨入りしました。
ようやくかたつむりも姿を見せてくれることと思います。来週が俳句の締め切りならもっと楽に作れたかもしれませんね((笑)

さて、今日はこのブログの便利な検索方法をご紹介します。
今までどんな俳句を作ったか、どんな記事があったかを気になるワードを入れて検索できます。このブログをパソコンでご覧になっている方は、
右上の検索機能をご存じでしょうか?
検索の小さな四角の箱の「ウエブ」の横の✔をクリックすると「このブログ内」となります。その横の🔍クリックするとかたつむりと書いてある全てのこのブログの記事が出てきます。

私も以前、「かたつむり」の句を作ったな~と思い「かたつむり」と入れてみました。
すると2010年の6月の「青時雨」句会の中で作っていました。(もう10年前でびっくり!!)
記憶力が衰えて来たこの頃、自分で書いたブログの内容もよく覚えていないことがあります。 

「葉の裏で青い夢見るかたつむり」というイギリス人の大学の先生が日本語で作った俳句のことも紹介していました。
国や人種を超えても共感する俳句の心は同じですね。俳句万歳!!

            共感の角出してみるかたつむり  麗子
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鈴の音を追ってきえゆくかたつむり   遅足

2020年06月10日 | Weblog

6月句会が近づいてきました。
今回の兼題は「かたつむり」です。

最近、姿をみませんね。
蝸牛の住みにくい街になったのでしょうか。
ちょっと前までどこにでもいたのですが。
かたつむりの一句といえば、これ。

  かたつむり甲斐も信濃も雨の中  飯田龍太

こんな句もみつけました。どうしても、が、上手い。おかしい。

  どうしても吾に似てをり蝸牛  大牧 広

いまのご時世をかたつむりの目で見ていると・・・

  かたつむり人に優しくしてますか  加藤峰子

さあ、どんな句があつまるのでしょう?

  ででむしや野にかえりゆく母の郷  遅足


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「 詩歌に見る望郷 、若狭 」⑸ 若狭彦姫神社   竹中敬一

2020年06月09日 | Weblog


福井県小浜市遠敷 ( おにゅう ) に鎮座する若狭姫神社の境内に昭和の中頃、

地元の人が詠んが句碑があリます 。



  姫宮を 出て彦宮へ 秋日和


地元の人でないと、なかなか実感が湧かないのではないかと思います 。

若狭姫神社を下の宮と言います 。ここから約 1、2キロ 行ったとろに

若狭彦神社 があり、上の宮といっています 。

この距離が丁度、散歩には向いています 。

一年中、曇りや雨の日が多い中で晩秋の頃、雲一つない日があります 。

父がこの若狭彦姫神社に一時期、奉職していた頃 、中学生の私はよく

母からの届け物を乗せて自転車で凡そ8キロ離れた神社まで行っていた

ので、この道は今でも思い出せます 。


この句を詠んだのは小浜で内科医院を営む医学博士の村田眉丈 ( びじょう )、

本名 秀太郎 。この句碑は昭和38年、水原秋桜子の主宰する俳誌 「馬酔木 」

の同人らによって建てられました 。



                  若狭彦神社 ( 福井県小浜市 )に通じる山道
                               昨年 夏 撮影


若狭彦姫神社の近くを流れる遠敷 ( おにゅう ) 川に沿った街道は古代、奈良に

通じる最も近道でこのルートから中国、朝鮮の文化が入って来ました 。

若狭彦神社を更に遡ると若狭神宮寺があり、毎年春先、近くの遠敷川の淵、

鵜の瀬で奈良東大寺二月堂へ送るお水送りの行事が続けられています 。

鵜の瀬の白石神社の境内には山口誓子の句碑があります 。


  瀬に沁みて 奈良までとどく 蝉の声


誓子と親交のあった田村眉丈が誓子を鵜の瀬に案内した時、詠んだ句を

もとに昭和41年に建てられたそうです 。

中世まで若狭の中心地だった遠敷、松永地区 。

鵜の瀬から滋賀県境に根来 ( ねごり )という集落があります 。

遠敷 ( おにゅう )、根来 、いかにも渡来人と関係がありそうな地名です 。

帰省する度に通るこの辺りも今はひっそりとしています 。

奈良の古道 “ 山辺の道 “ のようにこの遠敷街道を歩くと、昔の栄華が

偲ばれます 。
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卯の花の歌懐かしく友の顔  泉

2020年06月08日 | Weblog
思い出すのは高校時代の友ばかり。
今も付き合っているのも高校時代の友が多い。
小中の友とは交流がないのは、戦争のためでしょうか・・・。(静荷)

小学生の音楽の授業で「夏は来ぬ」を歌いました。
給食の後の5時間目で眠くて眠くて、先生もついに「立って歌いなさい」と言いましたが
全員半分寝ながら立ったまま歌いました。(作者)




藤の房土に積み上ぐ2020(ニセンニジュウ)  竹葉

九州の有名な藤園で見物客がこないよう房を切り落としてしまいました。
そんな無残な様子がコロナの年の象徴の様に感じました。(作者)

これは八女市にある国の天然記念物「黒木の大藤」の花が、
見頃を迎えたにもかかわらず、刈り取られることになったというニュースだそうです。
コロナウイルスの感染拡大防止のために祭りも中止しましたが、
それでも多くの人出があり、「人の命より大切なものはない」と苦渋の決断。
「花に罪はないのに」との声も。

球根を大きくするために。
チューリップの花びらを皆切ってしまう。
藤の花も、実が木の栄養分を吸収し、
木の負担をかけないように房切り作業を行うそうです。
どちらも人間優先の世界観で、花には迷惑な話かも・・・。(遅足)


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払暁に 病葉<わくらば>散りて 心ゆれ <殿>

2020年06月07日 | Weblog


注釈。未曾有のコロナ禍。世界は過渡期を迎えてい
るのかもしれません。早朝、微かな物音で目覚めま
した。病葉<わくらば>の散り落ちる音でしょうか。
心が揺れ動きます。

病葉<わくらば>は夏の季語。青葉の生い茂る季節
に病害虫などで朽ち落ちゆく葉のことです。コロナ
禍にざわめく心を詠んだ時事句のつもりだったので
すが稚拙な表現のため凡句となりました。

実は、この句の発想のスタートは万葉集「この里は
継ぎて霜や置く 夏の野に 我が見し草は もみちたり
けり」<万葉集 巻19-4268> この歌の題詞「黄葉せ
る沢蘭一株」は世界最古の植物ウイルスの記録とい
われています。この万葉集に詠まれたヒヨドリバナ
のウイルスについては英科学誌ネイチャーに掲載。
ちなみに、名前は「ジェミニウイルス」との由。

「病葉落つ 輪廻をひとつ 終えし夜に」<石田波郷>

構成と写真<殿> 
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A氏からの手紙

2020年06月06日 | Weblog


「A氏からの手紙」

クリスチャンのA氏。彼から届いた手紙をご紹介
いたします。

近頃、コロナ禍とキリスト教の予定説について考
えています。教会でオルガンを弾いていた、あな
たなら熟知されていると思いますが、神が人の運
命を決めるという。あの予定説です。

例えば、善人と悪人が乗っている船が沈んだとし
ます。神は誰を助けるのでしょうか。普通、女子
供、年寄り、善人となるでしょう。悪人など助け
なくてよいという考えもあるかもしれません。し
かし神は悪人を助けるかも知れません。予定説は
誤解され冷酷にも受け取られるため、教会で話題
にすることを避けています。

キリスト教は神と人との契約であり、日本の神と
人との関係とは大きく異なります。勘違いされる
と困るのですが、私は、ここで宗教の優位を述べ
ているわけではありません。

さて、コロナ禍は神の御心を表す予定説なのでし
ょうか。あなたはどう思いますか。

A氏の予定説とは、16世紀のフランス改革派教会
の神学者。ジャン・カルヴァンにより教理として
確立されました。


ここからはA氏に宛てた私の手紙より引用します。

「弥陀の誓ひぞ頼もしき、十悪五逆の人なれど、
一度御名を称ふれば、来迎引接疑はず」これは、
親鸞の「悪人正機説」です。浄土真宗では「南
無阿弥陀仏」と唱えるだけで阿弥陀が極悪人であ
っても浄土へ招き入れるとされています。悪人も
仏に生かされているという悪人正機説。カルヴァ
ンの予定説とは真逆のようですが、私は、真意は
同じではないかと考えています。

とまれ、世界にはさまざまな宗教があります。コ
ロナ禍で傷ついた魂に安らぎを与えること。信じ
る神は違っても願いはひとつでしょう。

画像「ジャン・カルヴァン」

文と構成 <殿>
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白牡丹   麗

2020年06月04日 | Weblog
母の容態が悪いとの連絡を受け実家に帰ったのが4月23日のことでした。
実家の庭に母が愛した白牡丹が一輪咲いていました。それから一週間後の朝、最後の花びらがはらりと落ちました。
なんとなく、もしかして母は今日亡くなるのではないかという気がしました。実際もう予断を許さない状況でした。
その日の夕方、兄が父を母の病室に連れて行きました。、父は「お母さん、これまでありがとう。」とお礼を言っていました。何年かぶりに家族4人だけが病室に集いました。
そしてその日の夜、9時ごろ病院から連絡があり兄が車で駆けつけましたが、間に合いませんでした。母らしい最期だったと思います。
あの日から1か月経ちましたが、まだ、この世から母がいなくなった気がしません。
茜色に染まった夕焼け空を見るたびに「お母さん!」と呼び掛けています。
最近、いろんな蝶が庭にやって来ます。母が来てくれているようです。

           夏蝶になって母の現れぬ  麗子

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花空木亜炭の跡の竹林   千香子

2020年06月03日 | Weblog

亜炭坑の跡は、この地方にも結構あるようですね。日進あたりにも。
戦争中の厳しい労働や戦後の燃料にしたことが思い出されます。
竹林と卯の花との取り合わせもバランス取れてますね。(結宇さん)

美濃から尾張西部の丘陵には亜炭の層があります。
戦後も燃料として利用されました。戦争中には、特に燃料不足になった
東山動植物園でも利用されたそうです。(作者)

「亜炭の跡」は「亜炭鉱の跡」のほうが良いでしょうね。

 亜炭鉱の跡の竹林花空木   亜炭鉱跡の竹林花空木

安全を無視した採掘で落盤事故が相次いだ亜炭鉱。
エネルギーが石油にかわってからは放置されました。
地盤沈下を防ぐために竹林を植え付けたと聞いています。(遅足)
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「 詩歌に見る望郷、若狭 」 ⑷ 尾崎放哉 (おざきほうや )と小浜   竹中敬一

2020年06月02日 | Weblog


私の高校時代の友人、四方吉郎氏 ( 故人 )の書いた「 若狭余録 」の中に

「 尾崎放哉と常高寺 」という記述があります 。

明治大正期、尾崎放哉は種田山頭火と並んで自由律俳句の代表的な俳人と

して知られていますが、若狭小浜での足跡は殆ど知られていないようです 。


まず、「 若狭余録 」を参考にその短い生涯 を簡単に辿っておきます 。

放哉は明治18年、鳥取市の生まれ 。一高、東大法科卒、大手の保険会社に

勤務するも間もなく退職 。妻とも別れて京都の一燈園 (奉仕活動 や懺悔の

生活で修養する団体 )に入ったが、長続きせず、神戸市の須磨寺太子堂の

堂守 に 。しかし、ここも一年くらいで去り、小浜の常高寺で色々、雑役を

する寺男 として入る 。そして、最後は小豆島にある西光寺奥ノ院 南郷庵

にて死す 。享年42 歳 。


放哉が小浜の常高寺にいたのは、僅か50日ほど 。

彼が友人の萩原井泉水( おぎわら せいせんすい )の主催する俳誌 「 層雲 」

で活躍したのは須磨寺にいた頃から晩年にかけてのことです 。

小浜でも短い滞在期間ながら、多くの句を詠んでいます 。


  風がおちたままの駅である田んぼの中

  背を汽車通る草ひく顔あげず

  時計が動いている寺の荒れている




小浜湾 ( 福井県 )に面した市内全景 ( 昨年 夏 撮影 )


旧国鉄 小浜線の敦賀ー舞鶴間が開通したのが大正11年 ( 1922 ) 。

放哉はその3年後に京都から舞鶴経由で小浜駅に降り立っています 。

停車場は大正9年、敦賀ー小浜間が開通した時、田んぼの中にぽつんと

できたばかりでした 。

常高寺はその駅のすぐ近くで山門の前を列車が走っていました 。

やっと来たお寺は臨済宗妙心寺派の名刹ながら、当時は荒れ放題 。

大正12年、本堂が焼失し庫裏と古びた庭が残されているだけでした 。

放哉が井泉水に送った手紙の中にこの寺の状況について

「 アマリヤリスギタノト、横暴ナノトデ末寺 ( 十ヶ所バカリアリマス )

ノ和尚連中全部カラ反対サレテ 」住職は本山からその名義を取り上げ

られています 。しかし、和尚はこの寺を出ないと云っています 。

「コンナ事ハ少シモ知ラズニ来タ 。妙ナコトデスネ 」

と、嘆きながらも仕事に励みます 。

「朝ハ、四時起キト、五時起キガアリマス 。四時起キハ中々コタエル 。

ソレデ、台所一切カラ庭ノ草トリ、全部ヤルノデス 」

こんな日々の中で句が生まれます 。


  どろぼう猫の目とにらみあっている自分であった

  遠くへ返事して朝の味噌をすっている

  蛙たくさん鳴かせ灯を消してねる

  小さな橋に来て 荒れる海が見える

  波音淋しく三味やめさせている


放哉が寺男として働いていた常高寺は海辺にも近く、この辺りに

色町がありました 。千本格子の家々が軒を連ね、三味線の音が少し離れた

とこでも聴こえてきます 。

多分、放哉も庭仕事の時など三味の音が聞こえてきたのでしょう 。


尾崎放哉の代表作 せきをしても ひとり

私も一人 。コロナ禍 、部屋で はばかることなく思わず咳 を 。不安です 。

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あじさいの月始まりぬ恐ろしき   遅足

2020年06月01日 | Weblog

いつの間にか季節は進み庭に咲く花も変わっています。
雨とともにあじさいが咲きました。

一旦は収まったかに見えたコロナウイルスの感染。
北九州市で再発。東京もじわじわと感染者が続いています。
恐ろしい月になりそうです。




私事ですが、体重が37キロまで落ちてしまいました。
3つ目に処方された薬が合わず、食欲がなくなって・・・。

まず体重を増やすことにして新しい薬をやめました。
しばらくすると味が分かるようになりました。
朝食が美味しく、体重も38キロへと。
一方、パーキンソン病は進行。
いまは別のクスリをいただいています。

長くない人生。どう生きるのか?
決めるのは患者の私なんだ、と改めて思い知らされました。
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