575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

「色のついた俳句」

2020年10月17日 | Weblog


原石鼎<はらせきてい> 1886年 島根県出雲
の医家の生まれ。島根県立大社高校時代に地
元誌「山陰新報」の俳句コラムに入選。大社
高校の教師を勤め俳人でもあった「竹村秋竹」
<たけむらしゅうちく>宅に寄宿し短歌や俳句
を「国文学」に投稿するようになります。高
校卒業後、京都府立医科大学に入学。大学内
で句会を立ち上げ明星派の歌会でも活躍しま
す。しかし、2年で大学を中退。この一件で
両親より勘当されてしまいます。

石鼎は、しばらく兄の医院を手伝ったりしま
すが、上京し「ホトトギス」に入社。しかし、
長続きせず「ホトトギス」を退社し「東京日
々新聞」に入社。やがて「小野蕪子<おのぶ
し>が主宰していた「草汁」を引き継ぎ「鹿
火屋」と改称し新しい主宰者となります。

石鼎は吉野の山中で隠遁生活したことがあり、
この時、軽やかで自由な独自の作風を生み出
しています。ちなみに、石鼎は「ホトトギス」
で鮮やかな色彩の挿絵画を描いています。画
家の視点で俳句を詠んだことから、当時、色
のついた俳句と呼称されています。

「頂上や 殊に野菊の 吹かれ居り」

「秋風や 模様のちがふ 皿二つ」

関東大震災以降に心が不安定となり、師であ
る虚子から離れ、最晩年まで後進の指導に力
を尽くします。石鼎 の没後「鹿火屋」は石鼎
の妻「コウ子」が主宰。下記は辞世の句。享
年56歳。

「松朽ち葉 かゝらぬ五百木<いおき> 無かりけり」

余談となりますが、石鼎の在学時、大社高校
の教師に「大町桂月」<おおまちけいげつ>が
いました。桂月は美文調で知られる高知出身
の文人。実は家内の遠戚にあたります。そこ
で桂月について尋ねてみました。しかし、南
国市の大町家には、酒豪だった桂月の酒器が
残されている。といった程度。たしかに、桂
月より数代経ています。「明治は遠くなりに
けり」といった感。


写真と文<殿>

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催眠術?

2020年10月16日 | Weblog
今月題「小鳥来る」の句がそろったようです。
発表が楽しみですね。

この題詠のおかげで
ここのところよく空を見上げ
私の目もワイドレンズの仕様になっていました。
ささいな出来事、心配事
取り越し苦労の人間模様など・・
疲れた心にはすこしフォーカスをゆるめた
広角仕様がいいですね。

 小鳥来て何やら楽し物忘れ  星野立子

子どもの頃
私は鳥に催眠術をかけることができました。
嘘!と言われそうですが本当の話。
じっと目をのぞき込むと小鳥が眠ってしまうのです。
お店屋さんのつがいの鳥かご5つか6つ
次々に眠らせ意気揚々ひきあげたこともあります

魔法使いにでもなったように思ったものでしたが
今思えば、生き物から見て
警戒心を抱かせない存在だったのでしょう。
先日は、散歩をしていて
クウクウ鳴いてる鳩の脇を
飛び立たせずに通り過ぎました。
ひょっとして私、
生体反応が薄くなっているのかも??郁子



コメント (3)
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小鳥来る母の生家の枝折戸に   遅足

2020年10月15日 | Weblog

私が小鳥を意識したのは母の生家。
生家は奥三河。
家は山に接し、背戸には小さな流れがありました。
ここには枝折戸が一つ。
初冬の朝などは、小鳥の声が聞こえてきたり・・・
朝ごはんの支度をする母から鳥の名を教えてもらったところです。

5、6歳だったでしょうか?
ちょうどその頃、生家の大黒柱が亡くなりました。
昭和20年代のお葬式は戦前そのまま。
今の棺のようでなく、桶に遺体を納め親族で火葬場まで運びました。
私はその中の一人でした。

テレビでこの母のふる里がドラマの舞台に取り上げられました。
高速道路が出来るという噂で村中が騒然とする内容でした。
結局、高速道路は夢に終わりました。

2020年。生家のお墓には戦死した母の弟も加わり静かに村を眺めています。
母が生家を出て80年余り。
父の母に対する評価は◎でした。
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金木犀の香り  麗子

2020年10月15日 | Weblog
10月の乾いた空気に乗って金木犀の香りが漂い始めました。
2009年の秋に
   幸せはこんな一瞬金木犀
という句を作っていました。

575のメンバーも金木犀を詠んだ句が多くあります。
   あづかりし犬のよく吠ゆ金木犀 佐保子
   病室の窓よりは見ず金木犀  遅足
   木犀の路地にこぼるる弦の音 郁子

たまには懐かしい俳句もいいですね。
金木犀の香りを探して秋晴れを楽しみたいですね。麗子
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ありがたき空気や水や小鳥来る 三橋敏雄

2020年10月13日 | Weblog
「小鳥来る」のお題に合わせたかのように、今朝の毎日新聞の坪内捻典の「季語刻々」で紹介されていた一句です。
作者73歳の時の作。あたりまえの日常に小鳥がやって来ます。環境が破壊されたら小鳥も来なくなってしまいますね。

今朝も青空が悲しいほど美しいです。ありがたいことです。小鳥も来るかな?麗子
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メール句会近づく  麗子

2020年10月12日 | Weblog
台風14号はこの地方には大きな被害が出なくてよかったです。関東方面にお住まいの句友の皆様は大丈夫でしたでしょうか?
さて、改めてのお知らせですが、今月のお題は、「小鳥来る」です。
秋、さまざまな小鳥が北方から渡ってきたり、山から里に下りて来たりします。

小鳥来る音うれしさよ板びさし  蕪村
生きることまだまだ愉し小鳥来る 藤崎久を
分校は大きな巣箱小鳥来る 茨木和生

さあ、この秋、どこにどんな小鳥たちが飛来するでしょうか?
締め切りは10月15日(木)です。遅足さんが圧迫骨折で大変なので今回から郁子さんと麗子の2名に投句、選句ともにお願いします。麗子

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「ミヤコホテル」

2020年10月11日 | Weblog


日野草城<ひのそうじょう> 1901年 東京上野の生まれ。
京都大学の法学部を卒業。住友海上火災の人事部長
を経て神戸支店長となりますが結核により退社。

中学生の時より「ホトトギス」への投句を始め京都
大学で「京大三高俳句会」を創設。鈴鹿野風呂<すず
かのぶろ>長谷川素逝<はせがわそせい>らと「京鹿
子」を発刊します。高浜虚子に師事。20歳で「ホト
トギス」の巻頭句を詠むことにより注目を集めます。
「馬酔木」の同人となり、新興俳句誌「京大俳句」
の創刊顧問となります。

1934年に扇情句として物議を醸した「ミヤコホテル」
10句を発表。花鳥風月を詠むことを信条とする「ホト
トギス」より除名され俳壇より激烈な批判を受けます。
しかし室生犀星<むろうさいせい>らは、俳句への新た
な挑戦と捉えています。

湯あがりの 素顔したしく 春の昼 <草城>

1935年 3誌の新興俳句文芸誌をまとめ「旗艦」を創
刊。無季句や官能的といわれる句を作り続けますが、
戦後は人が変わったように静謐でオーソドックスな句
へと変遷。晩年は虚子との確執もなくなり「ホトトギ
ス」の同人に復帰しています。

「ミヤコホテル」は自らの新婚旅行を句にしたもので
す。しかし、すべてフィックション。草城夫妻は舞台
となったミヤコホテルに宿泊していません。やがて、
穏やかな句に戻った草城。「老人文学」と揶揄されて
いた俳壇に一石を投じたかったのかもしれません。

「荒海や 沈みかねたる 月ひとつ」<草城>

日野草上。新興俳句の創始者。享年55歳。


写真と文<殿>
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「猿蓑」

2020年10月10日 | Weblog


野沢凡兆<のざわぼんちょう>石川県金沢市 江戸初
期の生まれ。しかし、生年不詳で出自は謎に包まれ
ています。京都で医業を営み松尾芭蕉と出会ったと
ころから凡兆は文献に登場します。

「初しぐれ 猿も小蓑を ほしげ也」という冒頭の句
より始まる「猿蓑」の編集を松尾芭蕉、向井去来と
共に編集したことにより俳壇の注目を集めます。元
禄4年7月に発刊された「猿蓑」は芭蕉を超える41
もの秀句が入集されています。

猿蓑に入集されている「田のへりの 豆つたひゆく 蛍
かな」は凡兆の句です。しかし、芭蕉に大きく添削さ
れ、気分を害した凡兆は編纂時に削除を主張。伊賀上
野の豪商の句として入集したという逸話があります。

凡兆は自我が強いのでしょうか。師である芭蕉とトラ
ブルばかり起こしています。そして、芭蕉が旅先で出
会った放浪の俳諧師「八十村路通」<やそむらろつう>
を乞食坊主として、粗略に扱うなどの不祥事が重なり
芭蕉より破門されてしまいます。

やがて、凡兆は抜け荷の罪に関わったとされ投獄され
ます。出獄後、志太野坡<しだやば>、服部土芳<はっ
とりとほう>など芭蕉の門弟たちとの交流を再開しま
すが「猿蓑」の頃と比べどこか精彩を欠いた感があり
ます。ちなみに、凡兆の妻「とめ」俳号「羽紅」は芭
蕉門弟の才媛といわれ「猿蓑」に入集されています。

「石山や 行かで果せし 秋の風」<羽紅>

高浜虚子は、「芭蕉や去来の主観より離れ、敢然と客
観視を貫いた凡兆は高く評価されるべき」と「凡兆小
論」に記しています。また、室生犀星は「芭蕉の門弟
で凡兆を超える句は稀」と絶賛。凡兆が高評価を得る
には長い時が必要だったようです。

「禅寺の 松の落葉や 神無月」<凡兆>


写真と文<殿>
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名句は読み手がつくる  郁子

2020年10月09日 | Weblog

今月の題詠「小鳥来る」
の句作りの真っ最中です。

私の経験として
 何かの瞬間
 ストンと五七五ができることもあれば、
 ああでもない、こうでもないと
 語順入れ替え、助詞を変え、
 整合性を得るために辞書をひき
 独自性を!などと少々の野心も入れると
 なかなかの思いあがった句が完成します。
 私はこの状態を、迷宮入りと呼んでいます。

句会で票を集めるのは
前のケースです。ストンのほう。

宗匠・遅足さんに
「ポエムが舞い降りる」と教えていただきました。

さすればストンはポエムが降りてきたこと
ただ
その状況や句意を上手く言い表せたかといえば
また別の話になります。
(夏井先生の添削には脱帽です。プレバト)


俳句は「詠み手」と「読み手」の共同作業と言われます。
「読み手」の数だけ句意が存在します。
句意を広げ、深める鑑賞力があって
一句がますます味わいのあるものに育っていきます。
作者の手を離れたら読者のものなのですね。

遅足さんはあまりご自分の句意をおっしゃいません。
むしろ、読み手の鑑賞力をいつも楽しんでおられます。
俳句って  奥が深いですね。

  小鳥来るポエムとともに舞い降りる  

    ※今月からは、投句・選句とも麗子さんと郁子にお願いします。
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読書の秋到来  麗子

2020年10月08日 | Weblog
読書の秋到来です。
今、2冊の本を読んでいます。

一冊は、7年ぶりの新作となる山本文緒の「自転しながら公転する」。
30代の独身女性の共感を得る作品。東京で働く32歳の主人公の女性は親の看病のため実家に戻り、近くのモールで働き始めます。
「家事をやりつつ、家族の体調を見つつ、仕事も全開で頑張るなんて、そんな器用なこと私にはできそうもない。」と、出会ったばかりの回転ずしに勤める男性に弱音を吐くと、その男性は「そうか、自転しながら公転してるんだな」と言われます。
地球は秒速465メートルで自転して、その勢いのまま秒速30キロで太陽の周りを公転しているとのこと。ものすごいスピードで私たちは回っていることをさりげなく話してくれ、二人はこのあと付き合うようになります。
なんだか引き込まれる会話の数々。二日で半分ほど読んでしまい、今後の展開が楽しみです。

そして、もう一冊は友人が貸してくれた韓国の作家ソン・ウォンピョンの「アーモンド」。こちらは今年の本屋大賞の翻訳部門で一位になった小説です。脳の扁桃体(アーモンド)が人より小さく、感情がわからない男の子のお話。ある出会いが彼の人生を変えていくというこちらも導入部から引きこまれています。
秋雨に降りこめられそうですが、今週末はどっぷり小説の世界にはまれそうです。

読書にも波があって全く読めない時もあればサクサクと小説の世界に入れる時期もあります。
自転しながら好転するのですね。(笑)
この地球という星に生まれ、私たちはそれぞれの生活にてんてこ舞いになりながらも太陽の周りを高速で回っている。思えば不思議です。
やはり私たちはどこからきてどこに向かうのか?そんなことを考えるのも秋ならではです。

        自転して公転もする秋思かな  麗子

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おねしょの快感   遅足

2020年10月07日 | Weblog
1か月痛みに耐えながら様々な体験をしています。
一つくらい良いものはないでしょうか?

ありました。おねしょの快感です。
一晩に何回もおねしょをしているうちに、
なにか忘れ物をしている気分に。
あの快感です。

瞬間の忘我、とでも表現したら良いでしょうか?
久しぶりなので緊張のあまり心の余裕がなくなっていました。
慣れてくるのにしたがって思い出してきました。
懐かしいあの快感を。

問題は、慣れるに従って失敗もあること。
これは今も昔も変わりません。



  小鳥来る母の生家の裏木戸に
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お風呂で俳句勉強法  麗子

2020年10月06日 | Weblog
ようやく秋らしくなり少しやる気と集中力が戻って来ました。
私の月曜日の夜のお楽しみは、お風呂へ新聞を持って行き、お風呂につかりながら、ゆっくり
毎日新聞の「毎日俳壇」と「「毎日歌壇」を読むことです。週一回全国から応募された俳句や短歌が紹介されており、それを読むのが、私の俳句勉強法です。
昨夜もお気に入りの短歌を見つけました。

「どうやって片付けたらいいものか妻逝きて知る服の多さ」糸魚川の男性の短歌。
まさにうちの実家もこの通りです。今度父に教えてあげたいと思います。

さて、同じ紙面に面白い記事が出ていました。
俳句の代表的な特徴を5項目に分けて採点するというもの。
季感、リズム、意味内容、映像性、斬新さの5項目です。それを五角形のチャートで採点し、きれいな正5角形になると満点となります。
例えば、

書き出せばペン先軽き白露かな  守蕗

この句なら、季感、リズムが5.意味内容、斬新さが4.映像性が3と採点されており、少しいびつな五角形でした。できるだけ正五角形を目指して作ってみたいと思います。皆さんもご自身の俳句をチャートで採点してみてはいかがでしょうか?どんな5角形ができるかな?麗子


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ああ!コルセット  遅足

2020年10月05日 | Weblog

突然、言葉が消えてしまった。しかも、今必要としている言葉。
「段ボール」。「ほら、あのジュースを入れていた。この車椅子に。
背もたれ。ほら!コルセットの代わりに。」

整形外科に2週間ぶりに診断にでかけました。
結果は、予想外!!
「予想通り」骨折した骨が一つ増えていました。
つまりコルセットを有効に使っていなかった結果です。

コルセットが嫌いで着けていない時間が多かった罰でしょうか・・・


車椅子の朝の車輪に小鳥来る  遅足
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能と俳句

2020年10月04日 | Weblog


松本たかし 1906年 明治39年 千代田区猿楽町の生ま
れ。父は江戸時代から続く宝生流の能楽師「松本長」
<まつもとながし>幼児より漢学や国文学を学び能の
修行に専念します。しかし、14歳で結核を発病。静岡
での転地療養を余儀なくされ、見舞いの父が残してい
った総合文芸誌「ホトトギス」を読み俳句に興味を持
ちます。やがて、能仲間の句会「七宝会」に投句。高
浜虚子の目に留まり、虚子より俳句を学ぶ機会に恵ま
れます。

療養先の鎌倉から「ホトトギス」に投句。多くの句が
入選し認められたことで能役者から、俳諧師としての
道を歩むことになります。23歳でホトトギスの同人と
なり、高野素十<たかのすじゅう>や川端茅舎<かわば
たぼうしゃ>との親交が始まります。ちなみに、「泉
鏡花」は松本たかしの従兄弟。

戦中は岩手県に疎開。戦後は井の頭線の久我山に定住。
俳誌「笛」を創刊して主宰者となります。たかしは能
の師であった宝生九郎の伝記小説「初神鳴」を執筆し
笛に掲載。のちに映画化されています。第四句集「石
塊」で読売文学賞を受賞しますが、突然の病いに倒れ
言語を喪失。句作は途絶してしまいます。松本たかし
が最後に詠んだ句。

「避けがたき 寒さに座り つづけおり」<たかし>

ところで、川端茅舎は画家を目指し岸田劉生に師事。
しかし、結核により画家の道を諦めています。松本
たかしと川端茅舎は同じような境遇で親交が厚いこ
とから、俳壇では「句兄弟」といわれました。しか
し、茅舎曰く「松本たかしは、能の視点から句を詠
む美学の貴公子である。私の及ぶところではない」
と絶賛しています。能の視点から眺める俳句。どの
ような情景なのでしょうか。

「夢に舞ふ 能美しや 冬籠」<たかし>

「金剛の 露ひとつぶや 石の上」<茅舎>

松本たかし。能を舞う俳諧師。享年50歳。


写真と文<殿>
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菊紅し

2020年10月03日 | Weblog


中村汀女<なかむらていじょ> 明治33年 熊本の裕福な
家庭の生まれ。本名は斉藤破魔子。星野立子、橋本多
佳子、三橋鷹子と並び「4T」といわれました。熊本高
等女学校の汀女は英文学を専攻する才女。近くにある
熊本大の男子学生たちの話題となり、付け文を送られ
たといわれています。18歳の汀女が詠んだ句。

「吾に返り 見直す隅に 寒菊紅し」<汀女>

女学校を卒業後、熊本日日新聞に投句。俳句への研鑽
を続けます。結婚後、しばらくの期間を経て、総合文
芸誌「ホトトギス」に初投句。度々、入選したことか
ら同人となり、高浜虚子より俳句を学ぶ機会を得ます。
汀女の息子は尾崎士郎の娘と結婚。長女の「小川濤美
子」<おがわなみこ>も、後年、ホトトギスの同人とな
ります。

汀女は、女性の暮らしを率直に詠んだ句が多く「台所
俳句」といわれました。「女性の職場は家庭。仕事の
中心は台所である。描写が台所になることはきわめて
自然である」と汀女は語っています。台所俳句という
どこか卑下したような呼称に汀女は毅然としています。
ちなみに、汀女の「春雪」と高浜虚子の娘である星野
立子の「鎌倉」は姉妹句集とされています。

「秋雨の 瓦斯が飛びつく 燐寸かな」<汀女>

汀女の熊本の生家近くにある「江津湖」の湖畔には熊
本近代文学館があり、汀女や夏目漱石、徳富蘆花、小
泉八雲など、熊本にゆかりのある作家や文学者の資料
が展示されています。数年前、江津湖に訪れたのは初
夏。熊大の漕艇の水しぶきが眩しく輝いていました。

「浮き草の 寄する汀や 阿蘇は雪」<汀女>

中村汀女。和菓子好きの女流俳人。享年88歳。

写真と文<殿>

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