今日は朝から雨でおまけに寒い、なんと5月中旬にストーブを着けているのだ。
風邪の具合もいっこうに良くならず、歳を取って体力の衰えを実感しつつトホホな日々は
まだまだ続きそうである。
実はこの話ブログに載せようか迷ったのだが、私としては貴重な体験をさせていただき
これもまた旅の楽しみと考えているので、先様には失礼に当たらずと思い載せちゃいます。
唯単にブログのネタ切れのためだろう、なんて言わないで下さい、その通りなんだから。
旅に出る前の口永良部島の民宿に関する情報は、08-09年版まっぷる「屋久島・奄美大島」
の片隅に三軒載っているだけでした。
ゴミみたいに小さな地図ですが、「民宿渡辺」が港に最も近いので予約の電話をしておいた。
フェリーを降り港の前のメインストリートをウロウロ探すが見つからず。
私の頭の中に有る民宿のイメージとは、いかにちんけな安宿でも 「民宿 ×× ⇒」 と
板っ切れに殴り書きした様な小さな看板が表通りの角に打ち付けられているはずです。
船の中で知り合ったオジサンが通りがかったので「民宿渡辺は何処でしょうか?」と聞いたら
目の前の小路を指さし「そこ入った所」と言います。
行く手を黒猫に阻まれながら小路を入って行くと、古びた民家と物置が有るだけで
民宿らしき建物は有りません。
頭の中が「・・・・・・???」状態で、港の前の町役場の窓口おねえさんに聞いたら
「ここから二軒先の家」と言うではないですか。
そこまで言われたら該当する家はこれしか有りません。
玄関戸をガタピシと開けて「民宿渡辺はこちらでしょうか?」と声をかけたら
七十代半ばのお婆さんが出てきて「遅かったね、こないのかと思ってた」と言われた。
古岳頂上から見た本村集落の中心部、これしかないのである。
看板が有ろうが無かろうが、いかな建物であろうとも、解らない方がおかしいということか。
離島の民宿事情について、また新しい知見を1つ得たところである。
築60年から70年は下らないと思われる古民家の内部、奥のちゃぶ台が食事所。
この日の夕食は、茹でた伊勢エビが丸ごと一匹と何かの白身魚の刺身、
そして亀の手の味噌炊きがドンブリ一杯である。
屋久島の芋焼酎「三岳」をチビチビやりながら食べる亀の手の美味しさは絶品であった。
建物は雨風しのいで寝れれば良いのだから、多少古くても許す。
でも、寝るときこの襖を閉めようとしたらびくともせず。
お婆さんがきて「敷居の上に乗っかって引かないと閉まらない」とのこと。
畳の縁に足を載せれば、スカッと床が抜けていた。
部屋は何処でも好きな所使っていいよ・・・・と言われてもなぁ。
もっとも広く明るく綺麗な仏間を使わせていただいた。
今から50年ほど昔に、田舎のおばあちゃんの家に遊びに行ったらこんな感じかな、
と思いつつ眠りにつくのであった。
ちなみに島内の他の民宿は、外見上は普通の人が普通にイメージする
普通の民宿の建物である・・・・念のため。