どこかの旅行雑誌に「島の北海岸近くにあるぶりぶち公園は、行っても見つかりません」と書いてあったの で、意地でも見つけてやると行ってみたら、実はこの標識が入り口なのです。どうも近年設置された様ですが、 ぶりぶち公園とは書いていません。
標識の所から林の中の小径を少し分け入れば、正面にこの石標が建っています。他にはコンクリートのベン チが有るだけ。雑草が生い茂り本当に何もありません。でも本当の目的は此処ではありません、左側の崩れ かけた石段を登ると、隆起石灰岩の裏側に下田原城跡の遺跡が広がっています。
昼なお暗いジャングルに埋もれて、東西150m南北100mの城跡の石垣が続いています。八重山諸島の群 雄割拠の時代、13世紀から15世紀のものと言われている。細い踏み跡が奥まで付いていますが、何か気味が 悪くなって途中から引き返してしまいました。(私はゲジゲジやムカデの類が大嫌い)
木を切り倒し、西表島方向の海が見えるように整備する計画があるようにも聞きましたが、そんなことしてほ しくないです。薄暗い森の中に佇み、古人の生活がどんな物だったかに思いを巡らす方が、よっぽど遺跡として の存在感が有ります。
ぶりぶち公園入口から少しだけ下れば、道路の右側に四角いコンクリートの水槽(?)が有ります。ここから 崖下へ続く小径が有り、昔の崖葬(風葬)跡に出られます。崖下の窪み(ノッチの跡か?)に遺体を埋葬し、入 り口を石で塞いでいたようです。骨壺が今では高価なパナリ焼きであったため、ほとんどが盗掘に遭い現在人 骨は残っていないそうです。でも幾つか中をのぞき込んだら、口の欠けた壺が一個残っていた。壺の中までは 見ませんでしたがね。宿の若旦那に聞いたら、子供の頃はキモダメシの場所だったそうです。
道をさらに下って行くと開けた場所に出、下田原城跡の有る丘全体を見ることが出来る。遺跡保存のためと はいえ、この森の木を伐採するなぞと言うことはして欲しくない・・・・ヤッパシ。城跡も崖葬跡も、この亜熱帯の 森の中でヒッソリト眠っていてほしいものだ。
尚、この開けた低位段丘面には縄文後期約3600年前の下田原貝塚と大泊貝塚が有るが、何処なのかは 確認出来なかった。
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