9月22日は秋分の日、一年の四分の三が過ぎてしまった。
この頃は秋風が体の中を通り過ぎてゆく様な気がする、我が肉体に存在感が無くなってきた。
まだ明るさの残った空に夕月、9月17日は十五夜です。
9月22日は秋分の日、一年の四分の三が過ぎてしまった。
この頃は秋風が体の中を通り過ぎてゆく様な気がする、我が肉体に存在感が無くなってきた。
まだ明るさの残った空に夕月、9月17日は十五夜です。
空の色が秋の空になってきた、今日の最高気温は24℃、外へ出ると肌寒い。
絶好の山歩き日和なんだが何時になったら山へ行けるんだろう、この体は元へは戻らないのだろうな。
近所の公園の青りんご、昨日行ってみたら一つ残らず無くなっていた、世の中には悪い人が居るものだ。
全部採っちゃいけない、自然にある物は自然のまま残しておけ。
これも近所の公園の林の中にあったもの、これはエゾウコギではないだろうか。
蝦夷五加と書く、別名シベリア人参という、旧ソ連で薬としての有用性が証明されたから。
漢方薬名は刺五加皮(シゴカヒ)、これも悪い人に採られてしまったりして。
9月12日の上弦の月、9月17日は中秋の名月満月です。
これから満ちてゆく半月を上弦の月といい、欠けてゆく月を下弦の月といいます。
月見の頃になるとススキの穂も出そろい、涼しい秋風が吹く頃ですが、
近年はまだまだ暑い日が続きます、地球は変になってしまった。
先日裏山で見つけたこの花、色々と調べたらミント系の園芸種カラミンサと分かりました。
この場所は夜間は人通りが無く残土などを不法投棄しています、その中に種が混じっていたのでしょう。
園芸種ですから野草図鑑を調べても載っていないはずです、まったく紛らわしい。
脳梗塞を発症してから約二ヶ月が経過したが依然として体調が何か変、
歩いていると右足が短くなった様な気がする・・・そんな訳ないか。
体力回復のため裏山の何時もの散歩道へ、往復3.0km、標高差160m、7,500歩、少し疲れた。
キツリフネの花と蕾と種です。
今時道端が真っ白になる程咲いているオオイタドリ雄花です。
ヤブマメの花が沢山咲いていた、秋になると小さな豆を付ける。
シソ科の植物だと思うのだが、なんだろう、図鑑に該当するもの無し。
この写真の何処かにエゾリスが居ます、エゾリスは動くヌイグルミと言いますが、本当にかわいいです。
強い日差しの下ではコンデジのモニターは見えずらいので、こんな写真いなってしまった。
オオハンゴンソウの筒状花です、周りの大きな舌状花は飾りみたいなもの。
アカトンボが飛ぶ季節になりました、別名アキアカネ(秋茜)といいます。
今年は銀杏の実が豊作です、イチョウは中生代からの生き残り、生きた化石です。
もしかしたら草食恐竜はこの葉をムシャムシャと食べていたかもしれません。
18時11分の西の空、日は落ちたがまだ空に明るさが残っている。
18時37分、西の空に僅かに残った茜色、街に明かりが灯る。
今日9月7日は草露白(くさのつゆしろし)で白露、朝夕は冷え込んで草の葉に白く露が付く頃。
雲一つない青空、風が少しだけ涼しく成ってきた裏山の散歩道、もうすぐ紅葉の季節だ。
山の上の方にはなんとなく色付いた木々が見える、今日は秋晴れの空。
オニヤンマが居た、蜻蛉は秋の季語です、やはり秋が近い。
エゾトリカブトが彼方此方で濃い紫色の花を咲かせていた、秋だね。
木漏れ日にまだ青いマムシグサ、真っ赤に熟した実を雪の中で見ることが有る。
ミズヒキとキンミズヒキの花。
日の射さない草むらの中に咲くヤブマメの花。
道端のミズナラの木、今年はドングリ一杯付けていた。
深い森の中へ分け入る一本の道、のように見えるでしょうが本当は唯の土手の上の道です。
周辺の空間を切り捨て、草木の生い茂る部分だけを切り取るとこうなります。
写真は真を写すというのはウソです、特に戦争の現場写真はほとんどがプロパガンダです。
空と海との境目がはっきりしない、のもウソです。
たまたま海の色と空の色が似かよっているため、見かけ上こうなります。これも写真のウソです。
夕日に照らされた雲の写真、ただの雲だが異次元の感じ、核戦争が始まるとこんな感じかな。
それにしても暑い夏だ、世界中では最高気温が50℃越えなんてのは珍しくないそうだ。
日本でも夏になんとか人が住めるのは北海道と沖縄県だけになってしまう、
沖縄は海洋性気候だから海水温以上に気温は上がらない。
街明かりに照らされた雲の底、こんな光景も失われゆく自然の象徴か。
夜の闇を照らすのは月明り星明り、上からの光だ、下からの光は不自然だ。