29・見附(天竜川図)
袋井から六粁で見附宿(現在磐田市)につくが、この宿を出ると、天竜川で行く手を拒まれる。しかし、天竜川は急流なので舟で渡った。この舟渡しの情景を描いたのが、この絵である。東海道には川の絵が多いが、この絵は川の絵の中でも傑作といわれている。それは、霧に煙る遠景の色彩処理と近景の描写にすぐれた広重の手腕が示されているからである。この絵では近景の二艘の渡し舟と、二人の船頭が焦点となっている。しかも一人の船頭のもつ棹が、画面唯一つの縦の線となってこの絵に活を与えている。この構図法は実にすばらしい。この一本のカッキリした直線によって、中景の河原の旅人の群の遠さも生き、さらに川霧に模糊とした対岸の樹木の二段描写が遙かに、遙かに、その遠さを見せている。全体の色彩も実に簡略で、しかも情景美が浮き上がっている。また二人の船頭の描写も巧みである。画題は「天竜川図」であるが、この絵は天竜川にこだわらず、風景画として秀逸である。この図には、遠景の二段のぼかしの下に二本の実線が霞のように入っている図がある。これは校合摺の時に残されたぼかしの当たりであったが、そのまま削り残ってしまったものらしく、後には削られている。
なお、見附と次の浜松の間で、江戸、京都間百二十里の丁度半ばに達する。ちまり江戸へも、京へも六十里のところに中の町がある。
絵の出典:食るり愉るり知多半島
※歌川 広重(うたがわ ひろしげ、寛政9年(1797年) - 安政5年9月6日(1858年10月12日)
浮世絵師。江戸の町火消しの安藤家に生まれ家督を継ぎ、その後に浮世絵師となったが 現代広く呼ばれる安藤広重(あんどう ひろしげ)なる名前は使用しておらず、浮世絵師としては歌川広重が正しいと言える。
天保3年(1832年)秋、広重は幕府の行列(御馬進献の使)に加わって上洛(京都まで東海道往復の旅)する機会を得たとされる。天保4年(1833年)には傑作といわれる『東海道五十三次絵』が生まれた。この作品は遠近法が用いられ、風や雨を感じさせる立体的な描写など、絵そのものの良さに加えて、当時の人々があこがれた外の世界を垣間見る手段としても、大変好評を博した。
なお、つてを頼って幕府の行列に加えてもらったとの伝承が伝わるが、実際には旅行をしていないのではないかという説もある[2]。 また、司馬江漢の洋画を換骨奪胎して制作したという説もある。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
袋井から六粁で見附宿(現在磐田市)につくが、この宿を出ると、天竜川で行く手を拒まれる。しかし、天竜川は急流なので舟で渡った。この舟渡しの情景を描いたのが、この絵である。東海道には川の絵が多いが、この絵は川の絵の中でも傑作といわれている。それは、霧に煙る遠景の色彩処理と近景の描写にすぐれた広重の手腕が示されているからである。この絵では近景の二艘の渡し舟と、二人の船頭が焦点となっている。しかも一人の船頭のもつ棹が、画面唯一つの縦の線となってこの絵に活を与えている。この構図法は実にすばらしい。この一本のカッキリした直線によって、中景の河原の旅人の群の遠さも生き、さらに川霧に模糊とした対岸の樹木の二段描写が遙かに、遙かに、その遠さを見せている。全体の色彩も実に簡略で、しかも情景美が浮き上がっている。また二人の船頭の描写も巧みである。画題は「天竜川図」であるが、この絵は天竜川にこだわらず、風景画として秀逸である。この図には、遠景の二段のぼかしの下に二本の実線が霞のように入っている図がある。これは校合摺の時に残されたぼかしの当たりであったが、そのまま削り残ってしまったものらしく、後には削られている。
なお、見附と次の浜松の間で、江戸、京都間百二十里の丁度半ばに達する。ちまり江戸へも、京へも六十里のところに中の町がある。
絵の出典:食るり愉るり知多半島
※歌川 広重(うたがわ ひろしげ、寛政9年(1797年) - 安政5年9月6日(1858年10月12日)
浮世絵師。江戸の町火消しの安藤家に生まれ家督を継ぎ、その後に浮世絵師となったが 現代広く呼ばれる安藤広重(あんどう ひろしげ)なる名前は使用しておらず、浮世絵師としては歌川広重が正しいと言える。
天保3年(1832年)秋、広重は幕府の行列(御馬進献の使)に加わって上洛(京都まで東海道往復の旅)する機会を得たとされる。天保4年(1833年)には傑作といわれる『東海道五十三次絵』が生まれた。この作品は遠近法が用いられ、風や雨を感じさせる立体的な描写など、絵そのものの良さに加えて、当時の人々があこがれた外の世界を垣間見る手段としても、大変好評を博した。
なお、つてを頼って幕府の行列に加えてもらったとの伝承が伝わるが、実際には旅行をしていないのではないかという説もある[2]。 また、司馬江漢の洋画を換骨奪胎して制作したという説もある。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』