日本男道記

ある日本男子の生き様

30・浜松(冬枯図)

2010年05月16日 | 広重東海道五十三次
30・浜松(冬枯図)
見附を出て、16.8里。街道は再び海へ近づいて浜松へ達する。しかし、広重の絵は、その宿から外れた街道筋の一本松を描いている。画題は「冬枯ノ図」。
まことに寒々とした冬の枯野の眺めである。杉の根方に雲助どもが焚火をして暖をとっている。旅人が廻し合羽も寒そうに、焚火の火をかりて一服している。里の子守が熊手で枯草を集めている。手前の土手の草も枯れた色である。風はなく焚火の煙は真っ直ぐに杉の梢へのぼっているが、いかにも冷たい野面の色である。遠く見える浜松の町の上に浜松城がそびえている。袋井の絵とよく似た気分の絵であるが、これは静かに、つめたい大気の絵といえよう。
浜松へ入る途中に古歌にもある引馬の原があるが、この絵は、このあたりの風景であろう

絵の出典:食るり愉るり知多半島

※歌川 広重(うたがわ ひろしげ、寛政9年(1797年) - 安政5年9月6日(1858年10月12日)
浮世絵師。江戸の町火消しの安藤家に生まれ家督を継ぎ、その後に浮世絵師となったが 現代広く呼ばれる安藤広重(あんどう ひろしげ)なる名前は使用しておらず、浮世絵師としては歌川広重が正しいと言える。
天保3年(1832年)秋、広重は幕府の行列(御馬進献の使)に加わって上洛(京都まで東海道往復の旅)する機会を得たとされる。天保4年(1833年)には傑作といわれる『東海道五十三次絵』が生まれた。この作品は遠近法が用いられ、風や雨を感じさせる立体的な描写など、絵そのものの良さに加えて、当時の人々があこがれた外の世界を垣間見る手段としても、大変好評を博した。
なお、つてを頼って幕府の行列に加えてもらったとの伝承が伝わるが、実際には旅行をしていないのではないかという説もある[2]。 また、司馬江漢の洋画を換骨奪胎して制作したという説もある。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

Daily Vocabulary(2010/05/16)

2010年05月16日 | Daily Vocabulary
9326.observer(観測者、識者)
The election was judged fair and free by observer.
9327.stock market(株式市場)
Poor preparation should stock market has already factored in the potential for a rate cut.
9328.rally(持ち直す、回復する)
Home sales are risinhg in many parts of the country,and the stock markety rallied.
9329.near-death(瀕死の、崩壊寸前の)
Tell me what the near-death experience was like for you.
9330.focus on(~に集中する、~に重点を置く)
Americans now need to focus on surviving.
今日の英語ニュースを聞こう!NHK WORLD Daily News

5/15.16とCareer Development Adviser研修参加のため久しぶりの広島での夜,立ち飲み屋さんで旧交を温める。
中国から研修中の汪さんも飛び入り参加。

宿泊したホテルの窓から。
昨夜広島カープの劇的なサヨナラ勝ちに沸いたマツダスタジアムが正面に。
ここで試合前のノック中に倒れ37歳で亡くなった木村コーチことを思い胸が痛む。
ご冥福をお祈りする。

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