日本男道記

ある日本男子の生き様

28・袋井(出茶屋)

2010年05月02日 | 広重東海道五十三次
28・袋井(出茶屋)
袋井宿は掛川から九.七粁で、この絵は宿外れの一風景である。画題は「出茶屋ノ図」であり、出茶屋とは街道の、ところどころに葭簀張りの簡単な休み所のことで、旅人はこうした茶屋で足を休め渇きをいやしたものだ。欝蒼と茂る大樹の下の出茶屋で、飛脚は腰をおろして一服し、駕篭かきの一人は駕篭に休み他の一人は煙草の火をつけている。枝から大薬罐をつるしている茶見世の媼、立ちのぼる薪の煙、まことに野趣横溢の風景である。右手はひらけてとり入れの済んだ野面と村落。左手に絵をよせて、右手の草むらに立てた立札で画面の均衡をはかっている。その立札の上にとまっている燕の姿が印象的で、しかも、この小鳥が、やがてここから去っていくであろう燕であるところに旅情を深く感じさせている。
版元保永堂は、この東海道を出版するに当たって、仙鶴堂の助力を得、合版で十一図(他に岡部の図は仙鶴堂版)出版したが、この袋井の図を最後として合版の印は終わって、以後京都まで、保永堂の単印。つまり保永堂の独力で出版されている。

絵の出典:食るり愉るり知多半島

※歌川 広重(うたがわ ひろしげ、寛政9年(1797年) - 安政5年9月6日(1858年10月12日)
浮世絵師。江戸の町火消しの安藤家に生まれ家督を継ぎ、その後に浮世絵師となったが 現代広く呼ばれる安藤広重(あんどう ひろしげ)なる名前は使用しておらず、浮世絵師としては歌川広重が正しいと言える。
天保3年(1832年)秋、広重は幕府の行列(御馬進献の使)に加わって上洛(京都まで東海道往復の旅)する機会を得たとされる。天保4年(1833年)には傑作といわれる『東海道五十三次絵』が生まれた。この作品は遠近法が用いられ、風や雨を感じさせる立体的な描写など、絵そのものの良さに加えて、当時の人々があこがれた外の世界を垣間見る手段としても、大変好評を博した。
なお、つてを頼って幕府の行列に加えてもらったとの伝承が伝わるが、実際には旅行をしていないのではないかという説もある[2]。 また、司馬江漢の洋画を換骨奪胎して制作したという説もある。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

Daily Vocabulary(2010/05/02)

2010年05月02日 | Daily Vocabulary
9261.on a daily basis(毎日のように)
I exchenge e-mail with them on a daily basis.
9262.transition(移行、転換)
It is my job to help you make a smooth transition inyo your new working environment.
9263.show someone the ropes(人に仕事などのやり方を教える)
I willshow you the ropes.
9264.complain of(不平を言う)
No great man ever complain of want of opportunity.
9265.unsettled(不安定な、動揺した、落ち着かない)
You seem a bit unsettled.
今日の英語ニュースを聞こう!NHK WORLD Daily News

八俣(やまた)の大蛇(おろち)に呑ませる酒を手伝い人と共に作る松尾明神(まつのおみょうじん)。
(第14回倉敷芸文館備中神楽観賞会 2010/04/29)

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