日本男道記

ある日本男子の生き様

33・白須賀(汐見阪)

2010年06月06日 | 広重東海道五十三次
33・白須賀(汐見阪)
荒井宿から6.8里。ひろびろとした遠州灘の大景観が見られる汐見阪を越して、白須賀の宿に入る。画題も「汐見阪ノ図」とある。いま、坂を下って大名の行列がいく。この絵は左右をシンメトリカルに構図した作として面白い。手前の丘陵の線が左右に高く、中央がへこんでいる孤線であるが、この湾曲した線を用いることは、広重独特の構図法といってよく、他の図でも度々これを用いている。左右の松の木も、ほぼ相対的であり、遠く水平線の白帆も相対的で装飾的である。「東海道名所図絵」に「汐見阪白菅の東の阪路をいう。眼下に滄海をみれば汐見阪の名あり。所謂、遠州七十五里の大灘眸を遮り弱水三万里の俤あり。渚の松緑濃く沖にこぎつける漁舟は雲の浪にみえかくれ、浪間の艪、浦浜の千鳥みるは汐見阪の眺望なるべし」とある。そのままの姿である。

絵の出典:食るり愉るり知多半島

※歌川 広重(うたがわ ひろしげ、寛政9年(1797年) - 安政5年9月6日(1858年10月12日)
浮世絵師。江戸の町火消しの安藤家に生まれ家督を継ぎ、その後に浮世絵師となったが 現代広く呼ばれる安藤広重(あんどう ひろしげ)なる名前は使用しておらず、浮世絵師としては歌川広重が正しいと言える。
天保3年(1832年)秋、広重は幕府の行列(御馬進献の使)に加わって上洛(京都まで東海道往復の旅)する機会を得たとされる。天保4年(1833年)には傑作といわれる『東海道五十三次絵』が生まれた。この作品は遠近法が用いられ、風や雨を感じさせる立体的な描写など、絵そのものの良さに加えて、当時の人々があこがれた外の世界を垣間見る手段としても、大変好評を博した。
なお、つてを頼って幕府の行列に加えてもらったとの伝承が伝わるが、実際には旅行をしていないのではないかという説もある[2]。 また、司馬江漢の洋画を換骨奪胎して制作したという説もある。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

Daily Vocabulary(2010/06/06)

2010年06月06日 | Daily Vocabulary
9431.there is something to be said for(~は注目すべきだ、~には何らかの利点がある)
There is something to be said for country life.
9432.in accordance with(~に従って、~に応じて、~に沿って)
In accordance with the new social protocol,schools are now questioning perfect attendance awards.
9433.protocol(外交儀礼、儀典、礼儀作法、慣習)
They are trying to shed some of its stifling protocol.
9434.look twice at(~見直す)
Employers are looking twice at sick-day limits.
9435.hygiene(衛生状態、健康法、衛生学)
New rules of public hygiene seem to be emerging.
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この土日、2回目の四国88か所霊場まわりのため徳島市のビジネスホテルに投宿。
正面が映画にもなった「眉山」
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