![]() | ぼくは猟師になった千松 信也リトル・モアこのアイテムの詳細を見る |
【一口紹介】
◆内容紹介◆
各紙誌 大絶賛!!
今、いちばん話題の本!
京都に住む33歳の若き猟師による書き下ろしエッセイ。
著者の千松信也は何を思い猟師になったのだろうか。
幼少期の思い出や山での暮らしを淡々と語る一方で、現代の食肉に対する考えや自分の在り方、人の在り方について明解且つシンプルに綴る。
「地球の裏側から輸送された食材がスーパーに並び、食品の偽装が蔓延するこの時代にあって、自分が暮らす土地で、他の動物を捕まえ、殺し、その肉を食べ、自分が生きていく。
その全てに関して責任があるということは、とても大変なことであると同時にとてもありがたいことだと思います」(本文より抜粋)
そのほか、千松さんが行う「ワナ猟」と呼ばれる狩猟方法、獲物の解体やワナのメカニズムを写真と図で詳細に解説。猟師によるおいしい肉料理のレシピも掲載。猟師の一年間に密着できる一冊。
◆内容(「BOOK」データベースより)◆
獲って、さばいて、食べる。狩猟8年目、33歳の猟師の暮らし。京都に住む若者は、いったい何を思い猟師になったのか?自然と共にある生活から、現代の食卓を見つめなおす。獲物の解体や、調理方法、ワナのメカニズムを写真と図で詳細に解説。猟師の1年間の生活に密着できるエッセイ。
【読んだ理由】
新聞記事を読んで。
【印象に残った一行】
動物の肉を食べるということは、かなりの労力とを費やす一大事です。ありきたりな意見ですが、スーパーでパック詰めの肉が売られているのを当然と思い、その肉にかけられた労力を想像しなくなっている状況はおかしいと思います。誰かが育て、誰かがその命を奪い、解体して肉にしているのです。狩猟は残酷だという人がよくいますが、その動物に思いをはせず、お金だけ払い買ってきて食べることも、僕からしたら残酷だと思います。
自分で命を奪った以上、なるべく無駄なくおいしくその肉を食べることがその動物に対する礼儀であり、供養にもなると僕は考えています。dからこそ、解体も手を抜かず、丁寧にやります。取れた肉をなるべくおいしく食べられるように工夫もします。
七度目の猟期を迎えて思ったのは、やはり狩猟というのは非常に原始的なレベルでの動物との対峙であるが故に、自分自身の存在自体が常に問われる行為であるということです。地球の裏側から輸送された食材がスーパーに並び、食品の偽装が蔓延するこの時代にあって、自分が暮らす土地で、他の動物を捕まえ、殺し、その肉を食べ、自分が生きていく。そのすべてに関して自分に責任があるというとは、とても大変なことであると同時にとてもありがたいことだと思います。逆説的ですが、自分自身でその命を奪うからこそ、そのひとつひとつの命の大切さもわかるのが猟師だと思います。
【コメント】
味だのカロリーだのばかり気にして、動物の命に、そしてそれに手を下す人がいることを一切顧みず暴食し、命の糧を得て、生きている自分・・・・・・。
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