7:南駅は印
湯上りにくつろいだ女の姿態の美しさは、古今を通じて変わらないもののようである。ことに無造作にはおった浴衣の衿元からのぞける頸すじから胸元への流れるようなふくよかな線、手拭をもつ抜けるように白い腕―歌麿は遊女や町家の娘、または年増女の湯上り姿を数多くものにしているが、いづれもそれぞれの個性と姿態を描いて妙を得ている。ほかに西駅た印という絵がしられているが、た印、と印などと意味は判然としないが、当時遊客の間で通称されていたものか。
※喜多川歌麿
江戸時代の日本で活躍した浮世絵師の代表的な一人。
姓は北川、後に喜多川、幼名は市太郎、のち、勇助(または勇記)と改め、名は信美。
初号は豊章といい、歌麻呂、哥麿とも号す。
通常は「うたまろ」と読むが、秘画本には「うたまる」としているものもある。
俳諧では石要、木燕、燕岱斎、狂歌名は筆の綾丸、紫屋と号して、蔦屋重三郎とともに吉原連に属した。
国際的にもよく知られる浮世絵師として、葛飾北斎と並び称される。
繊細で優麗な描線を特徴とし、さまざまな姿態、表情の女性美を追求した美人画の大家である。
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