日本男道記

ある日本男子の生き様

2:三世瀬川菊之丞の田辺文蔵の妻おしづ

2012年05月06日 | 東洲斎写楽撰 全40点

2:三世瀬川菊之丞の田辺文蔵の妻おしづ
この絵は寛政六年五月、都座の「花菖蒲文禄曽我」に出場する三世瀬川菊之丞の田辺文蔵の妻おしづの役であるが、田辺文蔵は石井兄弟の仇討ちを助け暮らしの困窮にたえる役であるが、その妻おしづも夫とともに苦難に沈む役で、病身であるために鉢巻をしている。
この絵は写楽の女形を描いた図のうちでは一、二を争う名作といえる。
それは役柄の寂しさの出ていることもさりながら、三世菊之丞の女形としての芸質をあますところなく描いているからである。
ふっくらとした顔面、悠揚とした芸質がにじみ出ている姿態描写はただただ感銘の深さを感ずる。
ことにこの絵で驚くべき配色美をみせている。
それは写楽が最も好む色彩と思われる、紅と草の二色の下着である。
それは僅かな部分でありながら全体の色彩を引き締めて、しかも女形としての派手さもうかがわせている技巧を示している。
まことに写楽の独特な感覚の豊かさを見せた作品である。

三世瀬川菊之丞は、天明、寛政時代の名女形で、座頭にもなった。二世菊之丞の養子で、大阪の振付師市山七十郎の二男として生まれた。初名は市山富三郎、二世の養子となってから瀬川富三郎と改め、安永三年十一月に三代目をついだ。年ごとに名声を上げ、江戸随一の女形となった。浜村屋大名神さまともいわれた。享和元年に俳名の路考を芸名とし、文化四年に仙女と改名、文化七年十二月、六十歳で没した。

東洲斎 写楽
東洲斎 写楽(とうしゅうさい しゃらく、旧字体:東洲齋 寫樂、生没年不詳)は、江戸時代中期の浮世絵師。
寛政6年(1794年)5月から翌年の寛政7年3月にかけての約10ヶ月の期間内に約145点余の錦絵作品を出版し、忽然と浮世絵の分野から姿を消した正体不明の謎の浮世絵師として知られる。
本名、生没年、出生地などは長きにわたり不明であり、その正体については様々な研究がなされてきたが、現在では阿波の能役者斎藤十郎兵衛(さいとう じゅうろべえ、1763年? - 1820年?)だとする説が有力となっている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

Daily Vocabulary(2012/05/06)

2012年05月06日 | Daily Vocabulary
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