【 内容】
周五郎絶筆!連載途中で中断した『おごそかな渇き』を収録。
さらに、“下町もの” “武家もの” “こっけいもの” “メルヘン調”と、幅広い魅力を集めた短編集。
長年対面しつづけた宗教的課題を取り上げ、“現代の聖書”として世に問うべく構想を練りながらも絶筆となった現代小説「おごそかな渇き」。ほかに“下町もの”の傑作「かあちゃん」「将監さまの細みち」「鶴は帰りぬ」、“武家もの”の名品「紅梅月毛」「野分」「蕭々十三年」、“こっけいもの”の「雨あがる」、“メルヘン調の「あだこ」「もののけ」と、周五郎文学のさまざまな魅力を一冊に収めた。
蕭々十三年・紅梅月毛・野分・雨あがる・かあちゃん・将監さまの細みち・鶴は帰りぬ・あだこ・もののけ・おごそかな渇き
本書「解説」より
(『おごそかな渇き』は)発表された分だけでは、その後の展開を卜(うらな)うことは困難ですが、小説の娯楽性を多少犠牲にしてでも長年対面しつづけた宗教的課題を、熟成した文章で表現しようとしたごとくです。半面、出口のない迷路に、(覚悟のうえとは云え)足を踏み込んだ気配も感じられないこともありません。ただ、ウィリアム・サローヤンの『人間喜劇』が、この小説を作者に執筆させた重要な刺戟(しげき)であったことはたしかで、〝現代の聖書〟を描きたい、というのが『おごそかな渇き』に賭けた山本さんの抱負でありました。
さらに、“下町もの” “武家もの” “こっけいもの” “メルヘン調”と、幅広い魅力を集めた短編集。
長年対面しつづけた宗教的課題を取り上げ、“現代の聖書”として世に問うべく構想を練りながらも絶筆となった現代小説「おごそかな渇き」。ほかに“下町もの”の傑作「かあちゃん」「将監さまの細みち」「鶴は帰りぬ」、“武家もの”の名品「紅梅月毛」「野分」「蕭々十三年」、“こっけいもの”の「雨あがる」、“メルヘン調の「あだこ」「もののけ」と、周五郎文学のさまざまな魅力を一冊に収めた。
蕭々十三年・紅梅月毛・野分・雨あがる・かあちゃん・将監さまの細みち・鶴は帰りぬ・あだこ・もののけ・おごそかな渇き
本書「解説」より
(『おごそかな渇き』は)発表された分だけでは、その後の展開を卜(うらな)うことは困難ですが、小説の娯楽性を多少犠牲にしてでも長年対面しつづけた宗教的課題を、熟成した文章で表現しようとしたごとくです。半面、出口のない迷路に、(覚悟のうえとは云え)足を踏み込んだ気配も感じられないこともありません。ただ、ウィリアム・サローヤンの『人間喜劇』が、この小説を作者に執筆させた重要な刺戟(しげき)であったことはたしかで、〝現代の聖書〟を描きたい、というのが『おごそかな渇き』に賭けた山本さんの抱負でありました。
【 著者】
山本周五郎
山梨県に生まれる。本名は清水三十六(さとむ)。小学校卒業後、銀座の質屋で奉公、後に筆名としてその名を借りることになる店主・山本周五郎の庇護のもと、同人誌などに小説を書き始める。1926年、「文藝春秋」に『須磨寺附近』を発表、文壇デビューを果たした。その後15年近く不遇の時代が続くが、やがて時代小説の分野で認められはじめる。『日本婦道記』(1942-1946)で直木賞に推されるがこれを辞退、生涯で一個の賞も受けることはなかった。『樅ノ木は残った』(1958)、『赤ひげ診療譚』(1958)、『おさん』(1961)など次々と名作を発表し、人間に対する深い愛と洞察力で多くの読者の支持を得た。中でも『青べか物語』(1960)は著者畢生の名作として名高い。
【読んだ理由】
山本周五郎作品
【コメント】
「おごそかな渇き」が絶筆であることを知らずによんだ。次の展開がどうなるのかと思いながら読んでいたが、突然のシャットダウン。残念だが仕方がない。