【原文】
遍照寺の承仕法師、池の鳥を日来飼ひつけて、堂の内まで餌を撒きて、戸一つ開けたれば、数も知らず入り籠りける後、己れも入りて、たて籠めて、捕へつゝ殺しけるよそほひ、おどろおどろしく聞えけるを、草刈る童聞きて、人に告げければ、村の男どもおこりて、入りて見るに、大雁どもふためき合へる中に、法師交りて、打ち伏せ、捩ぢ殺しければ、この法師を捕へて、所より使庁へ出だしたりけり。殺す所の鳥を頸に懸かけさせて、禁獄せられにけり。
基俊の大納言、別当の時になん侍りける。
【現代語訳】
遍照寺の雑務坊主は、日頃から池の鳥を餌付けして飼い慣らしていた。鳥小屋の中まで餌を撒き、扉を一つ開けておくと、夥しいほどの鳥が誘き寄せられた。その後、自分も鳥小屋に入って鳥を閉じ込めると、捕獲しては殺し、殺しては捕獲した。その悲鳴がただ事では無いので、草むしりをする少年が、大人に言いつけた。村の男達がやって来て、鳥小屋の中に突入すると、大きな雁が翼をバタバタと必死に最後の抵抗をし合っていた。この中に坊主がいて、雁を地面に叩きつけ、首を捻って虐殺していたので、現行犯で逮捕された。判決が下りると、坊主は殺した鳥を首からぶら下げられて、豚箱にぶち込まれた。
久我基俊が、警視庁長官だった頃の話である。
◆鎌倉末期の随筆。吉田兼好著。上下2巻,244段からなる。1317年(文保1)から1331年(元弘1)の間に成立したか。その間,幾つかのまとまった段が少しずつ執筆され,それが編集されて現在見るような形態になったと考えられる。それらを通じて一貫した筋はなく,連歌的ともいうべき配列方法がとられている。形式は《枕草子》を模倣しているが,内容は,作者の見聞談,感想,実用知識,有職の心得など多彩であり,仏教の厭世思想を根底にもち,人生論的色彩を濃くしている。
久我基俊が、警視庁長官だった頃の話である。
◆鎌倉末期の随筆。吉田兼好著。上下2巻,244段からなる。1317年(文保1)から1331年(元弘1)の間に成立したか。その間,幾つかのまとまった段が少しずつ執筆され,それが編集されて現在見るような形態になったと考えられる。それらを通じて一貫した筋はなく,連歌的ともいうべき配列方法がとられている。形式は《枕草子》を模倣しているが,内容は,作者の見聞談,感想,実用知識,有職の心得など多彩であり,仏教の厭世思想を根底にもち,人生論的色彩を濃くしている。