阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

天満駅から天神橋筋商店街を通って北浜へ歩く

2011年12月14日 | 大阪あちこち
十三の[シアターセブン」で11時からの“チエルノブイリ・ハート”(シビヤーな映画だったが観ておいてよかった)
を観おわってからうどん屋で昼食。梅田にいったん出てJR環状線で「天満」へ。天神橋筋商店街を歩いて、
朝からやっている「天満酒蔵」へ行った。店は吉田類のテレビ人気シリーズ“酒場放浪記”にも登場したが、常連さんが既に楽しそうに飲んでいた。
店を出てから日本で一番長い商店街をずっと歩いて北浜まで「ブラシンコウ」をやった。
















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「未来の友達 / Mirai no tomodachi」

2011年12月14日 | 音楽・絵画・映画・文芸
「未来の友達 / Mirai no tomodachi」

「2011年3月11日に、3つの大きな災害が日本を襲ったことを決して忘れません。遠く離れたスイスでもこの大惨事は大きく報道されました。テレビに映し出される写真や映像を観て、ショックで言葉を失いました。スイスのニュースメディアも、被害状況や被災支援の様子、そして福島に関する情報を連日伝えていました。

その時私が考えたのは、「しばらく経てばこの大災害についてニュースで報道されなくなるのではないだろうか…、この被災地の犠牲者たちのことは、アっという間に人々に忘れ去られてしまうのではないだろうか…」ということでした。

そして残念ながらそれはすぐに証明されてしまいました。スイスでは東日本大震災に関するニュースはほとんど報道されなくなったのです。震災の3日後、私は被災者のために曲を書くことを決心しました。義援金を集めることではなく、「この大震災、そして被災者のことを決して忘れない。大震災の写真や動画を観た時のショックも決して忘れない」ということを被災者に伝えるために。

音楽教師、そしてミュージシャンである私は、被災した子供たちにこの気持ちを伝える手段と目的を達成するために有効な、いくつかの要素を持ちあわせていました。スイスベルン州オースタムンディゲン市にあるデニコフェン中学校の生徒たちに、このプロジェクトの有志を募ったところ、多くの生徒たちが興味を持ち集まってくれました。ミュージシャン仲間たちも次々と有志がレコーディングに参加してくれ、また映像ディレクターまでもがこのビデオ制作を引き受けてくれました。携わってくれたスタッフたちは皆、本業の仕事をしながら必死に時間を作り、録音、撮影、編集にあたり、大震災から半年以上経った今、やっとこの作品が完成しました。

震災後、世界中から様々な道徳的、および財政的支援があったことはよく知られていることです。この歌を通して、『東日本大震災の被災者たちのことを、私たちは決して忘れないよ、いつかあなた方に会いたい』というメッセージが伝わるでしょうか。

『未来の友達』は、スイスのある中学生たちから、現在もなお被災のダメージに苦しむ人たち、特に子供たちに希望や思いやりを伝えようと制作したメッセージソングです。できるだけ多くの人に伝えたいと思っています。皆さんのヘルプが必要です。このプロジェクトが私たちの目標に達するかは分りません。でも試してみる価値はありますよね?ご協力お願いいたします。ありがとうございます」

コメント (1)
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そこんとこをもう少しモミモミお願い

2011年12月14日 | びっくり画像・映像
My cat massaging my dog
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