阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

「原節子の真実」を図書館で借りた

2020年06月12日 | 乱読は楽しい

原節子さんという女優を知ったのは小津安二郎監督の「東京物語」という映画が最初だった。とても美しい女優さんだと思った。また存在感も感じた。

他の女優さんとどこか違いがあるように感じた。それは彼女の持つ品性かもしれない。

小津安二郎が60歳で亡くなり、その通夜に出たのを最後に彼女は42歳の時に人前から姿を消し 95歳で亡くなるまで表に出ることはなかった。

 彼女に関する本はかなり読んできたが、この本は極めつけの本のようだ。読み進めるのが楽しみだ。

彼女の伝記は女優の盛りを太平洋戦争下の映画界で過ごした一人の人間の人生も見せてくれる。

新潮社のサイトの惹句から   

  その存在感と去り際、そして長き沈黙ゆえに、彼女の生涯は数多の神話に覆われてきた。

真偽の定まらぬままに――埋もれた肉声を丹念に掘り起こし、ドイツや九州に痕跡を辿って浮かび上がったのは、

若くして背負った「国民的女優」の名に激しく葛藤する姿だった。伝説を生きた女優の真実を鮮やかに甦らせた、決定版の本格評伝。

 

南沢奈央 (みなみさわ・なお 女優)の感想の一部

「本書は決して、女優原節子の素晴らしさを語るものではない。ひとりの女性の生々しさ、強烈な人間らしさが見えてくる。

普段の私がいかに“生きていない”か、思い知らされる。自分を押し殺し、周りの求めることに応えていくこと。

そんな環境や自分に、納得していなくても順応していくことが、生きる術だと思っていた。原節子がその世界に染まらずに

自分の意志を貫いたことはある意味、生きづらい選択だっただろう。だが小津映画をもうやりたくないと言う彼女も、

映画界を冷ややかな目で見る彼女も、何も告げずに引退する彼女も、その後五十余年沈黙を守った彼女も、そしてもちろん映画の中の彼女も、

とても人間らしい。女優であることより、いち人間でいることを全うした彼女は、何よりも美しかった。」  全文

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コメント (2)
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イタリア・シエナで街中の地区対抗競馬大会優勝パレードに出会った! 2006年夏の思い出       2015年の今日 6月12日に掲載   

2020年06月12日 | イタリア/カナダ旅行

シエナは世界で初めて銀行が出来た歴史のある商業都市です。シエナに行った日は伝統のお祭り「パリオ」の翌日で、街のあちこちにその余韻が漂っていました。

嬉しいことには「パリオ」に優勝した区のパレードにも出くわしました。
「パリオ」はシエナに17ある区がそれぞれ騎手を雇い、この広場「カンポ」で競馬をします。

馬場はレンガの歩道の上に20センチ以上の粘土の様な土を敷いて作ります。

楕円形の広場のぐるりに作られた馬場はコーナーが急角度でここをどう曲がるかが騎手のワザのようですが、今年もまた落馬者が出たようです。
カンポに行ったときはもう馬場の土を取取り除く工事がだいぶ進んでいましたが、馬場の土の上には一部、まだヒズメのあとが沢山残っていました。



普通の区民が優勝した区の中世からの伝統衣装でフラッグをかざして次々通ります。
この人は区長さん?

この連中も、普通の商店街のおっちゃん達でしょうが、なかなかかっこいい。

子供たちも大騒ぎしながら誇り高く歩いてきました。
彼らは今年一年鼻高々で暮らせるのかな?

 シエナの白バイ警官と裏通り。

シエナの大聖堂も由緒あるものだそうですが、補修工事中でした。
その代わりと言うわけではありませんが、パトロール中一息入れている白バイのお巡りさんを撮らせてもらいました。
体型はいささかパスタの食べすぎ?いやそれはしばらく警官と話をしていた町の顔役風の二人連れでした。
☆この路地を車が通るのは驚きでした。

☆それにしても、江戸時代からの建物がいまも改修されては使われているそうです。
そういうイタリアの城郭都市に住む住民の住居感覚は、想像できないなあと
思いながら上を見たり横を見たりしながら沢山の路地を通りました。 
 
 シエナのカンポ(広場)と最古の銀行。

イタリアの街にはどこにも必ず広場があります。シエナの街の広場は広くて
楕円形なのが有名だそうです。娘の友人のE子さんは、下宿していた貝さん地区から毎朝この広場を横切って、
パティシエの学校に通学していたそうです。
☆カンポの中に泉が湧いています。

市庁舎も年代もので高い塔がありました。

☆カフェーはもうバカンスに入った各地のイタリア人観光客や
ヨーロッパ各国からの観光客で一杯でした。

☆世界で最初に出来た銀行は、今もこの創業の地が本社だそうです。

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【重機】コマツの重機が凄い   4倍速の動画

2020年06月12日 | びっくり画像・映像

【重機】コマツの重機が凄い

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本音と建前の違いを広げて放置し 人を人として扱わない日本の入管法(出入国管理及び難民認定法)

2020年06月12日 | SNS・既存メディアからの引用記事
一部引用・・・「技能実習生の失踪」という日本社会の闇
現在、日本の産業の多くは、少子高齢化による深刻な人手不足に陥っている。これが海外――おもに発展途上国からの「留学生」と「技能実習生」によりまかなわれてきたことはなかば常識と言っていい。
しかし話を少し巻き戻すと「留学生」「技能実習生」という呼び方に違和感はないだろうか? 彼、彼女らは実質的には労働力である場合が多い。なのに、日本で働く時は「留学生」「技能実習生」という立場でなければ在留許可を得られない。
このズレの原因は、日本の入管法(出入国管理及び難民認定法)にあった。この法は“専門的知識、技術的知識を持つ外国人材だけを専門的な職業で受け入れる”と定めている。逆に言えば、法は“肉体労働や単純労働とみなされる職種では外国人を受け入れない”と言っているのだ・・




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生活保護申請が23区で4割増えるなか、窓口で渡されたサンマ缶ときんぴらごぼう缶。そして新宿区でのホテルから放り出された172人

2020年06月12日 | SNS・既存メディアからの引用記事
一部引用・・・ここで経緯を振り返ると、Sさんは5月27日、小林さんに同行してもらい、生活保護を申請。この時点で住まいはなく、所持金は200円ほど。申請の意思を示しているこのような場合、すぐに申請書が出てくるものだ。しかも現在は緊急時。しかし、申請書が出てくるまで、1時間5分もかかったという。この時点でありえない対応で、申請を諦めさせようとしていたと言われても仕方ない。
しかも生活保護は申請からだいたい2週間以内で決定されるのだが、対応した職員は、千代田区では2週間で決定することはほぼない、一ヶ月かかると説明。また、申請時に所持金がない場合、決定まで待っていたら餓死してしまうので、他の区では仮払いがされるのだが(その日の夕食から困ってしまうため)、なんとこの日、Sさんに渡されたのは現金ではなく災害備蓄の缶詰などだったという。
その内訳は、白粥13個、サンマ蒲焼缶15個、きんぴらごぼう缶15缶、500mlの水5本。これで生活保護決定まで過ごせということだろうか? 「なくなったら連絡を」ということだったそうが、Sさんが連絡しても折り返しはなかったという。

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