阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

アガパンサスの群生が小松川千本桜の中にあった。

2020年06月29日 | 身辺あれこれ

  歩行数 6460歩  4.0km

 

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社会保険を無視する人を待ち受けるひどい格差 コロナ禍を生きるには税や保障の知識が必要   民度とは暮らしていく上で必要な事を知っているかどうか

2020年06月29日 | SNS・既存メディアからの引用記事
一部引用・・・筆者は、政府が時代に合わせた給付金対策に乗り出す姿勢を示していること、世論も多様な「個人」の状況を重視しようとしていることは非常によいと感じています。ただ、ひるがえって「個人」の姿勢を見ると、相変わらず枠組みに頼りきりのように映ります。結果、自分で情報を積極的に取りにいかない方は取り残されるのではないかという危機感も感じています画像クリックで本文に飛びます。
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多忙で孤立「壊れる教員たち」の過酷すぎる現実 若手が上司に相談できず1人ですべて抱え込む

2020年06月29日 | SNS・既存メディアからの引用記事
一部引用・・・田中さんはなぜ辞めたのか。
「生徒指導で悩みがあっても誰にも相談ができないんです。担当している部活動では、言うことをきかない子もいて。昔みたく、ヤンキーってほどではないんですけど、周りと違う行動をし、かき乱す子が何人かいるんです。
『いい加減にしなさい』と生徒を自分のもとに引き寄せたことがあるんですが、『死ね死ね。わー、胸ぐらをつかまれた最悪』と言われ……。そうした子のために何ができるのか、悩んでいました。でも、同僚教員には、『誰しも直面していることだから。キツかったけど、俺らも乗り越えてきたから、君も乗り越えて』という雰囲気が根付いていました」
関東の大学を卒業し、出身地での教員を目指した。正規採用の試験は落ちてしまい、臨時採用の形で公立中学校の教員になった。
「40人ほどの教員がいました。自分は3年生のクラスで副担任。運動部の副顧問。先生になって2日後です。あれっ、と思った。研修もなく、すぐ現場に出されました。新人ですよ? 『わからなかったら聞いて』と言われたのですが、聞けないんですよ。
職員室ではみんな黙々と仕事をしていて、雑談のような会話はいっさい聞こえない。生徒は自分の言うことをなかなか聞いてくれないし、授業の内容はきちんと理解できているのか、と。保護者との対応も、これで大丈夫なのかと不安でした」
教員の仕事は「つねに1人で孤独だった」と田中さんは振り返る。当然、日々の仕事も忙しかった。
「部活の朝練があるので、朝6時には学校にいました。授業の準備などで夜は10時くらいまで。あと、先輩より先に帰れなかったんですよ。それが暗黙のルールとして根付いていました
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