阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

カモのお母さんと六羽の子供たちが旧中川の畔をゆうゆうと泳いでいるのに出会った。まさに眼福、至福の時(笑)。

2020年06月07日 | 身辺あれこれ

歩いたルートのすぐ近くに世界の王貞治さんの生家跡があるようだ。次は訪ねてみよう。彼の生家のある八広は Wikipediaによると

「一帯は元々「吾嬬町」(あずままち/あずまちょう)といい、1965年12月1日の住居表示実施に伴い、寺島町六・八丁目、隅田町四丁目・吾嬬町西五 - 九丁目の

8地区が合併して成立した[5]ため、「八」の字を採り、その字体から「末広がり」の縁起を担いで命名された。」

永井荷風の「墨東奇譚」の舞台、玉の井があった寺島町の隣町であり、また阿智胡地亭が尊敬する作家の一人半藤一利さんは、旧吾嬬町育ちである。

歩行数 6465歩 4.2km

 

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コロナ禍で見えてきた人間の真価 、「何を守るために、誰と、どう生きるのか」という大きな問題へと歩み出す契機。

2020年06月07日 | SNS・既存メディアからの引用記事
一部引用・・・ 「すべては、その人がどういう人間であるかにかかっている」というシンプルかつ重大な啓示は、「厳正な眼差し」となって自他の言動――電車でたまたま隣り合った人から一国の首相に至るまで――の道義性を見極めようとする。現にもうそのような傾向が少なからず定着しつつある。
 わかりやすく言えば「人間性を疑うような者たちとどう向き合うのか」ということであり、抽象的な言い方をすれば、フランクルの「裸の実存」に基づき自分自身の生き方を問うのである。
 「こんなひどい働き方を強いる職場には戻りたくない」「パートナーは家族のことを何も考えていないかもしれない」などといった現在進行形の不信や疑念は、「何を守るために、誰と、どう生きるのか」という大きな問題へと歩み出す契機にすぎない。
逃げられる社会から逃げられない社会へ
 人類学者の西田正規は、「定住革命」について「逃げられる社会から逃げられない社会へ」というフレーズで表現した。その昔、人類は「定住者」ではなく「遊動者」として生きてきた。それが劇的に変化したのはおよそ1万年前といわれている。
 西田は「霊長類が長い進化史を通じて採用してきた遊動生活の伝統は、その一員として生まれた人類にもまた長く長く受け継がれた。定住することもなく、大きな社会を作ることもなく、稀薄な人口密度を維持し、したがって環境を荒廃することも汚物にまみれることもなく、人類は出現してから数百万年を生き続けてきた」と指摘する。
だが、今、私たちが生きる社会は、膨大な人口をかかえながら、不快であったとしても、危険が近づいたとしても、頑として逃げ出そうとはしないかのようである。生きるためにこそ逃げる遊動者の知恵は、この社会ではもはや顧みられることもない。(以上、西田正規『人類史のなかの定住革命』講談社学術文庫)
 地震や噴火、津波や大洪水といった自然災害を、「遊動者」は身軽に移動することで、かわすすべを心得ていたが、わたしたちは「定住」という言葉が示すとおり、あくまでそこにとどまろうとする。西田は「ある時から人類の社会は、逃げる社会から逃げない社会へ、あるいは、逃げられる社会から逃げられない社会へと、生き方の基本戦略を大きく変えた」という。
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法務省「黒川氏の退職、捜査に支障ない」 定年で辞められたら「重大な障害」だったのでは? - 毎日新聞

2020年06月07日 | SNS・既存メディアからの引用記事
一部引用・・・山添氏 黒川氏が検事長の座を降りたことで、管内事件の捜査公判に何らかの支障はあったんでしょうか?
 川原氏 えっと……特段の支障は生じないものと承知しております。
 山添氏 特段の支障は生じないんですね。「余人をもって代えがたい」などということはなかったということが図らずも露呈したわけです。同時に「業務の<継続的遂行>のために勤務延長が必要だ」という法解釈の変更と検察庁法改正案の立法事実も失われたというべきであります。
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