阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

印旛郡の里山住人Kさんの 「焼尻島・天売島/北海道の旅」  その2/全3回   「エゾカンゾウの群生」や「高山植物の数々」      

2022年06月16日 | 下総の国の住人Kさんの寄稿アルバム集

千葉県印旛郡栄町に住む友人のKさんの「焼尻島・天売島/北海道の旅」のツアーレポートその2です。

⇒夏の北海道の花と言えばどうしても利尻島、礼文島を思い浮かんでしまう。
旅行のパンフレットには「貴重な高山植物を観察できる」とあったが期待していなかった。
 
焼尻島を観光タクシーで廻っていてまず目についたのは初夏を告げるエゾカンゾウの群生だった。
黄色の花が青い空、海に映えて綺麗だった。   トップの画像 エゾカンゾウの群生
 
予定変更で昼食の弁当を食べた後2時間ほど自由時間ができたので「オンコ自然林」を
散策した、原生林には5万本ものオンコ(イチイ)の木があるという。
春の花は終わったか終わりかけていたが初夏の花が咲き始めていた。
 
天売島では朝の散歩に出て道端の崖を覗くと「ノビネチドリ」が一株咲いていた。
花は傷んでなく綺麗なチドリで今回の一番の収穫だった。
 
焼尻島の人口は150人ほど、天売島は300人弱で人口の90%は漁業で生活している。
コロナで2年間観光客が来なかったので島にあったお土産屋、売店、食堂は休業しており
まだ再開できていない。あるのは飲み物の自動販売機だけ。
これらの店の経営者、従業員は皆高齢者なので再開をためらっているという。
 
 タイサンボク
 
  ハナウド
 
 クルマバソウ
  クルマバツクバネソウ
 マイヅルソウ
 ハマナス
 
    テンナンショウ 
 
 オドリコソウ
  蝦夷スカシユリ
 郡内フウロ
  ノビネチドリ
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町田市の三輪南谷の田植えが終わりました。        14年前の今日 2008年6月16日「阿智胡地亭のShot日乗」掲載

2022年06月16日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

長年の勤め人生活を還暦の年に打ち切った町田市に住む従弟のK.Hさん。4,5年前から仲間と共に、持ち主が農作業を放棄したため荒れた田んぼを借り、

元の水田に戻して稲作をする活動をしています。今年の田植えの模様を送ってくれました。


⇒「昨年来、休耕田の復元を行い、アサヒタウンズに紹介された三輪南谷の田植えが終わりました。およそ一反の田んぼです。

水苗代もほぼ成功し、6月14日苗取り、15日田植えの日程で終わり一安心です。この広さの田の草取りが心配です。

先週の金、土には従来より耕作していた「寺家ふるさと村」の大池下の田んぼの田植えも終わらせています。2週続けての苗取り、

田植え平日の補植(植えた苗の手直し)とすっかりお百姓さんです。」




K.Hさんに返信しました。
「水と灼熱の大気がなければ熟さない稲を取り入れまでしゃんと面倒をみる。

写真を見ただけで田んぼの作業は重労働そのものだと実感します。

戦前までの人の手だけでやる稲作農耕というのが化学肥料や機械化で多少は楽になったとは言え、日本中で農家の次世代の後継者が

農業から逃げ出した理由の一つに、今の日本人の身体では耐えられない作業の過酷さがあるような気がしますがどうでしょうか?

勿論、総体的には長期的な休耕田政策など國の農業政策が影響したのでしょうが。結局は人任せで文句だけ言ってきた我々のツケが象徴的に

里や里山に現われているような気がします。

しかし、そんなことを分析したり、なんだかんだ言っていても、里は荒廃していくだけと、

こうして身体を動かして、荒れた田を元に戻す人らがいることを知りました。 」

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日本列島人のルーツ DNAでたどる10万年の旅    | 日本列島人の系譜 |   

2022年06月16日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ
2008年09月17日(水)「阿智胡地亭の非日乗」掲載

幕末にはシーボルトやアーネスト・サトウなど多数の欧米人が日本にやってきた。飛行機のない時代、彼らは船で喜望峰をまわり

インド洋を通りマラッカ海峡を通過してその間の多くの国の港に入港し、それぞれの現地の人間に接した上で日本にやってきた。

その彼らが日本人に接した第一印象は「この土地の人たちは同じ民族に属しているのだろうか」ということだった。

同じ日本語という言語を用いているのでお互い同国人意識はあるようだが、どう見ても顔相や体のフィジカルな特徴からすれば、

多様性に富んでいて同一民族とは思えないと。

 その彼ら外国人の観察を裏付ける科学的なツールが現れ、その分析結果が公刊された。 


岡田先輩に教えて頂いた「DNAでたどる日本人10万年の旅」崎谷満著作・昭和堂発行2008年、がその本だ。

副題「多様なヒト・言語・文化はどこから来たのか?」とあるこの研究の基本ツールは「Y染色体によるDNA多型分析」である。

『約10万年ほど前に生まれた現生人類は、誕生の地アフリカを後にして全世界へと冒険を重ねて広がっていった。

その人類の移動の流れがユーラシア大陸東部に位置する日本列島にも数次にわたって押し寄せてきた。

このアフリカから日本列島へいたる長きにわたる人類の移動の歴史について、DNA多型分析という強力な方法により、

かつDNA中に宿されている歴史の直接証拠でもって、今ではその再現がほぼ可能となった。

そして日本列島においてルーツを異にする多様なヒト集団が現在でも共存していることが明らかになった』

§ユーラシア大陸の西側には日本と同じような島嶼国家イギリスがある。

イギリス諸島へのヒトの移住は有史以来判明している限りでも、紀元前9世紀ころから紀元前5世紀ころにかけてのケルト系民族、

紀元前55年ローマのユリウス・カエサルのグレートブリテン島への侵攻、次にゲルマン人のアングロ・サクソン諸部族がブリタニアへ侵入し、

また1066年にフランスのノルマンディー公ギヨームによって征服されている。イギリス人はこれらの歴史から自らを単一民族と規定することはない。

明治政府が江戸幕府の支配原理に代わる統一国家意識の醸成のため、各地にあった多様な自然宗教である神道を「国家神道」に統一しようとしたときまで、

日本人にも「単一民族」の意識はなかったと思われる。

イギリスからはじまりアメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、などアングロサクソンを主体にしたイギリス列島人は

ここ百五十年ほど地球各地をコントロールしているが、かれらの強みはハイブリッド文化の多様性にあるように思える。

DNA多型分析から、世界の各地の中で日本列島に住むヒトのルーツに最も多様性があることが判明した!

出アフリカの三大グループのDNAが全て日本列島に今も生きている。 

長年この島の住人は全て大陸各地からのボートピープルの末裔だと思ってきたが、それはどうも当たりらしい。
(続く)



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6月15 日に目に留まったSNS・メディアの記事

2022年06月16日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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