鶴見は、哲学は学問ではないという。そして、「なんとかして哲学が、われわれの歩き方、すわり方、とまで交流するようなところまで持っていきたい」という。
哲学における「概念くだき」(これに対応するのが教育における「学びほぐし」だ)をするなかで哲学は、
「哲学的問題に関する物理学者のメモ、歴史家のメモ、人類学者のメモ、官吏のメモ、労働者のメモ、教師のメモ、病人のメモ、子供のメモなどの統合の場」として
再建されるべきだというのだ。
ここにあるのは、哲学を構築するというのではなく、「現実と切り結んでいる人のやり方」から哲学を聴き、汲み取ると言う精神だ。
そしてそのとき絶対に「自分をぬきにしない」こと。
倫理を語るときも、生き物としての「殺しあいの史実」から、「存在としてのどうしようもなさ」から目を逸らさないこと。
この二つの「しないこと」が、鶴見の反哲学主義の思考を貫いている。
そういえば、鶴見のほぼ3百年前に生まれたパスカルも、【哲学をばかにすることこそ真に哲学することである】と手元の紙片に書き付けたのであった。
引用元:ニッポンの哲人④鷲田清一「鶴見俊輔ー大仰な言葉を激烈批判」 日経5月22日付夕刊。コラム夕刊文化。
♪ある時、ある人と話しをしていて気付いたのだが、ある社会問題でお互い「自分を抜きにして」話し続けた。
2時間ほど話をしているうちに猛烈にむなしくなった。
そのことがあってから出来るだけ「自分はどう思う」と自分を主語にして会話するようにしているが、これがなかなか難しい。
だれそれがこういっているらしいという言い方でないと、日本語の一般会話ではカドが立つような空気が流れる。
先の戦争のおり、開戦の御前会議で「とてもそんなことは言える空気ではなかった」ので開戦が決まった。
空気で重要なことが決まる社会では、権力を握った連中は強い。
鶴見俊輔はそういう日本を真っ当に見てきた人だ。
この人の敗戦後のこれまでの63年の言動を知ると、日本人で世界に通用する人がここにもいると思う。
同じ時期に執筆活動をした司馬遼太郎と鶴見俊輔が自分の生きている時代にいるのはありがたいことだが、この二人に共通しているのは言動著作に「自分を抜きにしていない」ことだ。
江戸と東京をつないでくれた司馬遼太郎の立ち位置は自分とは全く違うが、鶴見俊輔の立ち位置はまた超人のものであって 常人の自分としては後を追いたい願望があるだけだ。
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