山菜天ぷら稲庭うどんに満足したあと二人は多町大通りを秋葉原方面に向いました。
正面の古い建物は昭和49年(1974年)9月に大阪から転勤で神田美土代町の事務所へ通いだしたころには既にあった建築物です。当時は確か医院でした。
この店の様式はもうほぼ絶滅の「関東大震災のあとに建てられた看板建築と呼ばれる形式をもつ建物」のにおいをわずかに残している。
この古い家屋は昭和6年の木造家屋で、国の有形文化財として登録されています。神田青果問屋街の復興震災町家としてとても貴重な建物です。
最中の店はまだ頑張っています。